第23話 狐は人の飯を信じない。
二挺拳銃を構えるエレノアと、扉の影でナイフを握り直すジャンゴ。
リビングを支配していた一触即発の、タランティーノ映画のクライマックスさながらの緊張感。
それを一瞬で、まるでそよ風のように吹き飛ばしたのは、床から立ち上がった圭介の、一点の曇りもないニコヤカな笑顔だった。
「あ、エレノア。」
「頼んでたもの、ちゃんと買ってきてくれた?」
「あ、ああ……」
つい一秒前まで般若のようだったエレノアの顔が、一瞬でふにゃりと弛んだ。
腰のホルダーへコルトを突っ込み、手渡したのは、ずっしりと重い茶色の紙袋だ。
「……だが、本当にあれでいいのか? 」
「あんな安くて硬い、誰も見向きもしないような部位で……」
「うん! これが欲しかったんだ。」
「楽しみにしててよ。」
「ちょっと料理に時間はかかるけどね」
紙袋を受け取ると、嬉しそうに中身を覗き込む。
そして、扉の影でまだ警戒を解いていないジャンゴへと、弾けるようなひまわりのような笑みを向けた。
「ジャンゴも、よかったらご飯食べていってよ」
「──おい、本気か?」
ジャンゴの鋭い金色の瞳が、驚愕で見開かれた。
カウボーイハットを押し上げ、長い尻尾をピンと直立させる。
(信じらんねえ……。俺、獣人だぞ?)
( お前から見たら)
(薄汚いテイル・ワガーだぞ?)
この辺境地帯において、獣人と人間が同じ食卓を囲むなどあり得ない。
圭介の瞳には差別も、恐怖も、あるいは獣人に対する下卑た好奇すらも一切なかった。
ただ「お客さん」を歓迎する温かさだけ。
「じゃあ、今から用意するから。」
「二人は座って待ってて」
パタパタと軽い足取りでキッチンへ向かい、エプロンを締め直す圭介。
残された二人の最強ガンスリンガーは、リビングの古いソファへと、互いに強烈に背を向けながら腰を下ろした。
ローテーブルの上に置かれたのは、一本のバーボン。
エレノアはグラスに琥珀色の液体を注ぐと、ジャンゴに対し、これみよがしに「いいだろ、俺の男は」と言いたげなドヤ顔でニヤリと。
ジャンゴは不愉快そうに狐耳を伏せ、グラスを掴んで一気に喉へあおった。
「……おい。見損なったぞ、エレノア」
「何だ」
「どこの闇マーケットであいつを買ってきた?」
「誘拐か? 」
「それとも、東部の金持ちから掠め取ってきたのか?」
ジャンゴの目が軽蔑の色を帯びる。
男が激減したこの世界だ。
女に料理を振る舞うような『極上の男』が、まともなルートで手に入るはずがない。
「買ってないぞ」
エレノアもまた、鼻を鳴らしてバーボンを喉に流し込む。
「じゃあ、やっぱり無理やり攫ってきたのか。」
「足の骨でも折って、ベッドに縛り付けてるのかよ。」
「いくら男に飢えてるからって、賞金稼ぎのプライドが泣くぜ」
「ふざけるな。俺はそんな卑劣な真似はしない。」
「……賞金首を追った砂漠の渓谷で助けられただけだ。」
「そうしたら、あいつがそのまま、俺の家に居着いてくれたのさ」
「嘘だ」
ジャンゴは、カツンと空のグラスをテーブルに叩きつけた。
「お前や俺みたいな、人殺しの『ブス』に、自ら進んで飯を振る舞う男なんているはずがねえ。」
「男ってのはな、もっとゴツくて強くて、金をたっぷり稼げるエリートの女に飼われて、贅沢三昧するのが生き甲斐なんだよ」
「いるさ。……」
「現に、あそこにいるだろ」
エレノアの視線の先。
キッチンで、ツボニールから授かった『調理』スキルを無自覚に発動させ、鼻歌混じりで肉を仕込んでいる圭介の背中がある。
その背中は、確かに優しさと幸福感に満ちていた。
「……チッ」
ジャンゴは言葉に詰まり、自分でボトルを掴むと、なみなみとバーボンを注ぎ足した。
この不条理な現実を、アルコールで脳に無理やり納得させるしかない。
「──で、お前の用事は何だ。ジャンゴ。」
「俺の家に泥棒に入ったわけじゃないんだろ」
「ああ、仕事の話だ。……パイクとダッチ、『アウトレイジ・バンチ』どもを探してる」
ジャンゴはグラスに口をつげ、低い声で言った。
瞳の奥に、元奴隷としてのドス黒い執念がチラリと覗く。
「自分で調べろ。」
「お前なら国境沿の情報屋くらい抱えてるだろ」
「おい、俺がこの街のヒューマンどもにどれだけ歓迎されてないか、知ってるだろ。」
「獣人がうろつくだけで、奴らは銃を抜く」
エレノアは何も言わず、テーブルの上で人差し指と中指をちょいちょいと曲げてみせた。
──情報をタダで売ると思うな。
アウトローのジェスチャーだ。
「……ケッ。がめつい死神め」
ジャンゴは忌々しげに舌を打ち、ジーンズのポケットから革の財布を引っ張り出すと、汗の染みたドル札を数枚、テーブルに叩きつけた。
エレノアはそれを手際よく回収し、胸ポケットに仕舞い込む。
「……多分、国境沿いだ。」
「ここから馬で3日ほど行った渓谷で、俺は奴らの待ち伏せに遭った。」
「パイクのウィンチェスターに、あやうく脳天をぶち抜かれるところだったんでな」
「さっさとその渓谷へ行くんだな」
「待てよ、エル。手を貸してくれ。」
「お前の早撃ちがあれば、あの強盗団を根こそぎ壊滅させて、山分けできる賞金は数千ドルを下らないぜ?」
ジャンゴの誘いに、エレノアは即座に首を横に振った。
「断る」
「ああん? なんでだ。」
「いつもなら金の匂いには真っ先に飛びつくだろ」
「だめだ。」
「今、俺がそんなデカい賞金稼ぎを引き受けたら、何日も家を空けることになる」
エレノアは、チラリとキッチンへ愛おしそうな視線を向けた。
「……あいつのためか」
「ああ。俺は、あいつと所帯を持ちたいんだ。」
「荒野でいつ死ぬか分からないような無茶な生活はもう控える」
「ハッ! 笑わせるな。」
「なら、余計に金がかかるだろ?」
「 あんなに白くて綺麗で、まともに労働もできなさそうな極上の男なら、他の女に寝取られないように高い宝石やシルクの服でも買い与えなきゃいけないんじゃないのか?」
ジャンゴは顎で圭介を指しながら、フンと鼻で笑った。
だが、エレノアは完璧なドヤ顔で胸を張る。
「いや、あいつは贅沢なんてしない。」
「生活費だけでいい、と言ってくれる。」
「俺が稼いできたはした金でも、本当に嬉しそうに笑ってくれるんだ」
「……余計に信じられねえな。」
「そんな都合のいい幻覚みたいな男、この世にいるわけねえ」
「現実さ。」
「あいつは俺に、首ったけなのさ」
ふんぞり返るエレノアに、ジャンゴは盛大にあきれ果てた。
「俺はな……賞金稼ぎなんていう物騒な稼業は引退して、定職に就こうかと思っているんだ。」
「鉄道会社の用心棒か、保安官助手か。」
「いくつか、あてがあるしな……」
そう言って、窓の外の遠い空を見つめるエレノア。
あの、悪党どもを恐怖のどん底に叩き落としてきた『死神ウエストウッド』が、完全に『恋する普通の女』の目をしている。
「……もっと信じらんねえ。」
「頭のネジが4、5本ぶっ飛んだか、エル」
ジャンゴはため息をつき、苛立ちを紛らわすように胸ポケットから一本のシワの寄った煙草を取り出した。
マッチを擦ろうとした、その瞬間。
「だめだ。」
「ここ、禁煙だからな」
エレノアの手が、鋭くジャンゴの手首を掴んで制止した。
「はあ!? 」
「お前、自分だって一日一箱は吸ってただろ。」
「どうしちまったんだよ」
「ああ、やめたんだ。」
「完全にな」
エレノアはキッチンの方を見つめ、その凶悪な碧眼を、信じられないほど温かい、蜂蜜のような光で潤ませた。
「あいつが、煙草の匂いを嫌がるからな。」
「……あいつの体に、悪い煙を吸わせたくない」
「…………」
ジャンゴは完全に限界だった。
くわえていた煙草をポロリとテーブルに落とし、両手で顔を覆う。
「おい……」
「『死神ブラック・エル』はどこへ行ったんだよ。」
「悪党の死体の上で平然とシガーを燻らせてた、冷酷非情なウエストウッド大先生はよぉ……」
「なんとでも言え。俺の勝手だ」
エレノアが鼻歌を歌い始めた、その時。
キッチンから、トントン、というまな板の音が止まり、ジューーーッという暴力的に美味そうな、肉と脂の爆発するような音が響いてきた。
スパイスの効いた、嗅いだこともないような芳醇な香りが、リビング全体に一瞬で広がる。
「二人とも、お待たせ! できたよ〜!」
圭介の明るい声が響く。
「よし、じゃあ食べようぜ、ジャンゴ!」
エレノアは待ってましたとばかりにソファから跳ね起き、上機嫌で鼻息を荒くした。
「俺の男の料理は、本当に絶品だからな。」
「美味すぎて、その尻尾の毛が全部ひっくり返るんじゃねえぞ!」
キッチンから運ばれてくる、湯気の立つ大皿。
ジャンゴは、お腹の虫がキュゥと鳴るのを必死に抑えながら、この不条理で、どこまでも甘くて狂った『エレノアの家』の空気に、完全に圧倒され始めるのだった。
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