第21話 狐は笑わない ――テイル・ワガー
煤煙と、安物の硝煙の匂い。それから、どろりとした人間の血の悪臭。
豪奢な大富豪の屋敷は、今や完全に地獄の屠殺場と化していた。
大理石の太い柱の物陰。ヴィクトリア・“ジャンゴ”・フォックスは、背中を冷たい壁に預け、荒い息を殺していた。
褐色の肌。
男のように短く刈り込んだ黒髪。
鋭くぎらついた金色の瞳。
赤いフリル付きのジャケットは、激しい死闘によってあちこちが引き裂かれ、その隙間から極限まで鍛え上げられたしなやかな筋肉が覗いている。
興奮に、狐の耳がぴくりと跳ね、長い尻尾が床の埃を払うように揺れた。
その腰には、数多の獲物の肉を削いできた、使い込まれた狩猟ナイフが不気味な鈍色を放っている。
厚い木製の扉の先から、罵声が響いた。
ドカドカと床を鳴らして銃を構えるのは、賞金首のリーダー、筋骨隆々とした大女――インディオ。そして、彼女が率いる私設の凶悪武装団の生き残りどもだ。
「てめえ、よくもアタイの可愛い仲間たちを殺してくれやがったな!」
ウィンチェスター銃をがしゃりとコッキングし、床に唾を吐く。その瞳は完全に血走っていた。
「この、クソ汚ねえ『テイル・ワガー(尻尾を振る野良犬)』がッ!!」
獣人に対する、最大級の蔑称。
奴隷制が色濃く残るこの辺境地帯において、彼ら“ヒューマン”が、ジャンゴのような獣人を家畜以下に見る時の決まり文句だ。
「ぶっ殺して細切れにしてやる! 吊るして豚の餌だァ!」
ジャンゴは低く笑った。
その笑みには、厳しい人生を歩んだ者特有の乾いた冷徹さが宿っている。
そっと物陰から首を覗かせ、中の様子を伺った――その瞬間。
ズドォン!!
強烈な散弾が壁を砕き、破片が頬を鋭くかすめた。
一筋の鮮血が、美しい褐色の肌を伝って顎へと落ちる。
(くそっ……最悪だぜ。こんなことなら大人しくベッドでぬくぬくしてるべきだったな)
心の中で毒づきながら、自身の左腕を見た。ジャケットの袖が引き裂かれ、血がだらだらと流れ落ちている。
(残るは……あと5人。全員が重武装の賞金首。対して、こっちの残弾はシリンダーの中の12発と、腰のベルトの6発だけ、か)
普通なら絶望する状況。
だが、地獄の奴隷鉱山を自らの牙で這い上がってきたジャンゴにとっては、「たった5人」でしかなかった。
(まあ――なんとかなるか)
ニヤリと肉食獣の凶悪な笑みを浮かべた。
「おい、てめえら! もうそっちは、たったの5人しか残ってねえのかよ!」
挑発の言葉を叫んだ。
インディオの手下たちが動揺した、まさにその刹那。
ジャンゴは物陰から躍り出た。
両手に握られた2挺のコルト・ダブルアクション・リボルバーが、神速の火を噴く。
ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!――ッ!!
凄まじい連射速度。それは弾丸の壁となって通路を制圧した。
狙いはミリ単位で正確。
突撃しようとしていた手下2人の、眉間のド真ん中へと鉛の弾丸が吸い込まれる。
「ぐはっ!?」
脳髄をぶち抜かれた大女たちが、糸の切れた人形のように後方へと吹き飛び、床に沈んだ。
ジャンゴはすぐさま、再び柱の物陰へと滑り込む。
「ははっ! 残りは3人だ。ザマーミロ、クソアマども!」
息を荒くしながらも、ジャンゴの手は流れるように動いていた。
2挺の銃のシリンダーをスライドさせ、エジェクターロッドを叩く。
カラン、カラン、カラン……。
静まり返り始めた館に、空の薬莢が床に落ちる乾いた音が響く。
すぐさまベルトから引き抜いた新しい弾丸を、手感覚だけで素早く装填していく。
(……ちっ、残弾がもうねえ。完全にすっからかんだ)
その時、鋭い狐の耳が、微かな足音を捉えた。
インディオの目配せを受け、残った手下2人が、別の回り込み通路からジャンゴの死角を突こうと回り込んでくる。
(甘いんだよ、ヒューマン)
ジャンゴは野生の反射速度で通路の角から身を乗り出し、迫る手下の一人の胸へと銃弾を叩き込んだ。衝撃で手下が派手に吹き飛ぶ。
間髪入れず、もう一人に銃口を向け、引き金を引いた――。
カチッ……。
館に響いたのは、あまりにも虚しい、撃針が空を叩く音。
「くそっ! 弾切れかよ!」
手下の女が勝ち誇った顔で銃を構える。
だが、ジャンゴの動きはその先を行っていた。
銃を投げ捨てると同時に、腰の狩猟ナイフを抜く。一歩で間合いを詰め、肉薄――相手が引き金を引くより早く、鋭利な刃をその首筋へと深く突き立て、真横に引き抜いた。
ドシャリ、と鮮血を噴き上げながら手下が崩れ落ちる。
勝った。
そう思った瞬間、背後から、冷たく、そして重い金属の感触がジャンゴのうなじに突きつけられた。
カチャリ。
背後に立っていたのは、この武装団の頭領、インディオだった。傷だらけの巨体を震わせ、獰猛に笑っている。
「――終わりだ。弾切れだろ、テイル・ワガー」
「……」
「獣人のくせに、よくここまで泥縄を引いてくれたもんだ。」
「だが、最後に勝つのはアタイらヒューマンだよ」
絶体絶命。脳天をぶち抜かれるまで、あと一瞬。
しかし、ジャンゴの金色の瞳から、光は消えなかった。
彼女は恐ろしいほどに落ち着いた様子で、ゆっくりと、銃口を向けられたままインディオの方へと振り返った。
「……だな。」
「確かに弾はねえよ」
フッと息を吐くと、あろうことか、ジャケットの胸ポケットに手を伸ばした。
「死ぬ前に、一服いいか?」
まるで、自分がここで死ぬことなど1ミリも信じていないかのような、圧倒的なタフガイの佇まい。
インディオがその気迫に一瞬気圧された隙に、ジャンゴはシワの寄った煙草を唇にくわえ、マッチを擦った。
シュッと、暗闇に小さな炎が灯る。
ゆっくりと火をつけ、深く、深く、肺いっぱいに煙を吸い込んだ。
ハァ――……。
吐き出された濃厚な紫煙が、二人の間を遮るように漂う。
「インディオ」
「……あ? 遺言か?」
「銃をしまえ」
「はあ!? ふざけてんのかてめえ!」
「死ぬのは――お前だ」
ポトリ、とジャンゴはまだ火のついた煙草を床に落とした。
その瞬間、インディオが逆上して引き金を引く。
だが、狐獣人としての反射速度は、人間の限界を遥かに超越していた。
銃声と同時に真横へと跳躍。弾丸が空を切るのと完全に同時に、逆の手に隠し持っていた狩猟ナイフを、凄まじい腕力で投げつけた。
ドスゥッ!!
「ぐはあああああーーーっっ!?」
インディオの右腕に、ナイフが深く、根元まで突き刺さる。激痛に耐えかねて、ウィンチェスター銃が床へと転がった。
腕を押さえてうずくまるインディオ。
ジャンゴはしなやかに着地すると、床に落ちた手下のコルトを素早く拾い上げ、銃口をインディオの眉間へと突きつけた。
「言え」
ジャンゴの声は、地獄の底から響くかのように低く、冷たかった。
「お前らと裏で繋がっている『アウトレイジ・バンチ』――パイクとダッチは、今どこにいる?」
「……っ」
「吐けば、命までは取らねえ」
インディオは、ナイフの刺さった腕から血を流しながら、顔を苦々しく歪め、ジャンゴを睨みつけた。
「知ら……ねえよ。知ってても、てめえみたいな『奴隷あがり』に教えるわけねえだろ……!」
「 テイル・ワガーになんぞ、アタイらの美学は売らねえんだよ……!」
最後まで、獣人を見下した、哀れなプライド。
「――そうか」
ジャンゴの瞳から、完全に感情が消えた。
ズドン、と乾いた銃声が、血塗られた館の中に虚しく響き渡った。
静寂が戻った。
ジャンゴは、床に落ちていた、まだ微かに煙を上げている煙草を拾い直した。
汚れを息で吹き飛ばし、再び口にくわえる。
数時間後。
夜明け前の薄暗い荒野。街へと続く一本道を、一台の古ぼけた馬車が走っていた。
荷台に積まれているのは、冷たくなった5人の賞金首たちの死体。街の保安官事務所へ持っていけば、それなりのドル札にはなるだろう。
御者台に座り、手綱を握りながら、紫煙の向こうの、どこまでも荒涼とした西部の地平線を見つめていた。
だが、すぐに荷台の死体から漂う血の匂いが、彼女を過酷な現実へと引き戻す。
生きている間は、獣人だの奴隷だのと偉そうに差別していた、傲慢なヒューマンども。
「――ヒューマンなんてさ」
ぽつりと寂しげに呟いた。
その金色の瞳には、かつて奴隷として同胞を虐殺され、自身も家畜のように扱われてきた、底知れない過去の悲哀が濁っている。
「死んじまえば……」
「どいつもこいつも、ただの肉塊。」
「同じだな。」
冷たい風が、狐の耳を優しく揺らす。
煙草を荒野へと投げ捨てると、馬に鞭を当て、さらに暗い闇の先へと馬車を走らせるのだった。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。




