第17話 人は、金では買えない。
エレノアと圭介は、教会をあとにした。
昼下がりの街路を並んで歩く。
乾いた風が吹き抜け、馬車が石畳を揺らしながら通り過ぎていく。
「なんか食べないか?」
エレノアが何気なく尋ねる。
すると圭介は目を輝かせた。
「じゃあさ、サルーンに行ってみたい!」
「……は?」
「あのスイングドアをくぐってみたいんだよ!」
「カウンターの後ろに大きな鏡があって、みんなでポーカーやってるんでしょ? 映画みたいで憧れてたんだ。」
完全に西部劇ファンの目だった。
しかし。
「い、いやいや! ダメだ!」
エレノアは慌てて両手を振る。
「男が行くような場所じゃねぇ!」
「え?」
「ほ、ほら……喧嘩とか多いし。」
言葉が詰まる。
(違う。)
(お前みたいな男が入ったら――)
(娼夫と勘違いされる。)
この街で黒髪黒目の青年など、それだけで目立つ。
ましてや圭介は、この世界の価値観では"極上の男"なのだ。
(絶対に連れていけねぇ……。)
「じゃあホテルのレストランにしよう。」
「ステーキがうまいぞ。」
「うん、それなら!」
圭介は嬉しそうに笑った。
その笑顔だけで、エレノアの鼓動が少し速くなる。
二人は街でも一番大きなホテルへ入った。
磨き上げられた木の床。
白いクロスが敷かれたテーブル。
辺境とは思えない上品な空間だった。
席へ着くと、エレノアが小声で言う。
「あのさ……。」
「ん?」
「食う前に言っとく。」
「ケースケが作る料理のほうが――」
そこへ料理が運ばれてきた。
コーンブレッド。
野菜スープ。
そして鉄板で焼かれた分厚いステーキ。
圭介はスープを一口飲む。
「……うん。」
少しだけ首を傾げた。
物足りない。
視線を上げると、
エレノアが、
(ほらな。)
という顔をしている。
思わず笑ってしまう。
続いてステーキを切る。
肉汁があふれた。
一口。
「美味しい。」
「だろ?」
「うん。」
「こういう素朴な味、好きだよ。」
その一言だった。
(好き。)
(……好き?)
エレノアの思考が止まる。
(今……。)
(俺に言ったのか。)
(この俺と。)
(二人で街へ来て。)
(レストランで食事して。)
(『好き』って。)
耳まで真っ赤になる。
(いや違う。)
(ステーキだ。)
(ステーキの話だ。)
(わかってる。)
(でも……。)
(期待しちまうだろ。)
照れ隠しにエールを一気にあおった。
その時だった。
「まぁ。」
「エレノアじゃない。」
女の声。
「信じられないわね。」
「男と一緒なんて。」
二人が振り返る。
そこに立っていたのは、
縦巻きロールの金髪。
羽扇子。
宝石だらけのドレス。
後ろには数人のガンスリンガー。
隣には派手な服を着た男。
「ヘレンか。」
エレノアの声が低くなる。
「失せろ。」
ヘレンは優雅に笑った。
「相変わらず野蛮ね。」
取り巻き達も笑う。
「まさか男を囲うなんて。」
「いくら払った?」
「日給か?」
「月契約か?」
下品な笑い声。
圭介は黙って状況を見ていた。
(有力者の娘か。)
(揉めても得はない。)
(落ち着け。)
するとヘレンはエレノアを完全に無視し、
圭介の前まで歩いてきた。
「あなた。」
「黒髪、黒目……素敵ね。」
財布を取り出す。
分厚い札束。
「エレノアの倍払うわ。」
「私の男になりなさい。」
「愛人契約でもいい。」
「欲しいだけ払う。」
札束を軽く叩く。
「何枚欲しい?」
「それとも、この財布ごと?」
圭介は札束ではなく、
ヘレンの瞳を見た。
そこにあったのは、
人を見る目ではない。
品物を値踏みする商人の目だった。
(……だろうね。)
一方エレノアは、
静かに顔を伏せていた。
(終わった。)
(ここまでか。)
(ヘレンは金もある。)
(家柄もある。)
(俺なんかよりずっと。)
(やっぱり夢だった。)
胸が締め付けられる。
圭介は目を閉じた。
「お願いがある。」
「いいわ。」
「エレノアとの生活が気に入ってる。」
静かな声だった。
「今の生活が好きなんだ。」
「だから。」
「僕たちのことは、放っておいてほしい。」
沈黙。
エレノアの胸が熱くなる。
(……っ。)
その一言だけで十分だった。
全部報われた気がした。
「てめぇ!」
取り巻きが拳銃へ手を伸ばす。
エレノアも立ち上がる。
「やるか。」
だが。
「やめよう。」
圭介が肩へ手を置く。
「なんだか冷めちゃった。」
「帰ろう、エル。」
「……ああ。」
エレノアは笑った。
(やっぱり。)
(俺は。)
(こいつといたい。)
二人が歩き出した、その時。
ヘレンが鼻で笑う。
「そんな。」
「野蛮で。」
「性格最悪。」
「社会の底辺。」
「三十前の行き遅れ。」
「そんな女が好きなんて。」
「あんた――」
「ブス専なの?」
ピタリ。
圭介の足が止まる。
エレノアは首を振った。
「行こう。」
「気にするな。」
しかし。
圭介はエレノアの手を、
そっと外した。
ゆっくり振り返る。
静かな瞳。
「今、なんて言った?」
ヘレンが肩をすくめる。
「あんたは、ダメな女が好きな変態だって言ったのよ。」
圭介はまっすぐ見つめ返した。
「君は。」
「人を値札でしか見ていない。」
静まり返る店内。
「お金で買えると思わないでくれ。」
「売り物じゃない。」
その声に怒鳴り声はない。
だが。
誰よりも強い怒りが宿っていた。
そして静かに言う。
「勝負しよう。」
ヘレンが口角を上げる。
「面白いじゃない。」
「私が勝ったら?」
「僕を一晩好きにしていい。」
「僕が勝ったら。」
「エレノアへ謝罪してもらう。」
「さっきの言葉も取り消してもらう。」
「それと――」
「今日の食事代は君が払う。」
ヘレンは笑った。
「いいわ。」
「乗った。」
「で?」
「何で勝負するの?」
「私は決闘なんて野蛮な真似はしないわ。」
圭介はゆっくりと振り返る。
その視線の先。
昼間でも賑わう酒場。
スイングドアが、風に揺れていた。
圭介は静かに指差す。
「あそこで勝負しよう。」
その一言で、レストランにいた客たちが一斉に息を呑んだ。
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