第13話 シスターは名探偵。でも、この男だけは理解できない。
それから数日後――。
夕暮れの荒野を抜け、一人のシスターが木造の家の前へとやって来た。
黒い修道服。
銀縁の眼鏡。
背筋を真っすぐ伸ばした凛とした立ち姿。
冷静な眼差し。
知性を感じさせる整った顔立ち。
名は――ミリアム・クリフ。
辺境では珍しい、高い教育を受けた修道女だった。
扉が開く。
「おう、よく来たな」
迎えに出たのはエレノアだった。
満面の笑みで言う。
「今、食事の用意させてるから入れよ」
その一言に、ミリアムは目を細めた。
(……"させてる"?)
(まるで夫婦じゃない。)
(症状が進行しているわね。)
先日の告解室。
エレノアは、
『男が家にいる』
そう真顔で話していた。
ミリアムは精神的な疲労による幻覚だと判断していた。
だから今日は、その様子を見に来たのだ。
ところが――。
カラン。
玄関のベルが小さく鳴った。
家の奥から一人の青年が姿を現す。
「いらっしゃい。シスター・ミリアムですね」
柔らかな笑顔。
黒髪。
黒い瞳。
東洋系の整った顔立ち。
どこか儚げなのに、不思議と安心感を与える青年だった。
ミリアムの思考が止まる。
(……男?)
(東洋人?)
(いや。)
(まず落ち着きましょう。)
観察。
呼吸は自然。
影もある。
足音も聞こえる。
服には料理中についたらしい小さな小麦粉。
袖は少しまくってある。
手には包丁だこ。
(料理人……?)
いや。
違う。
(精神魔法?)
(絶滅したはず。)
(香料系の幻覚?)
周囲を見渡す。
異臭なし。
魔力反応なし。
室内にも不自然な痕跡はない。
(集団幻覚?)
(私まで?)
(そんな馬鹿な。)
人生で初めて。
ミリアム・クリフの論理が音を立てて揺らいだ。
青年は笑顔のまま言う。
「料理できたので座ってください」
テーブルには、
黄金色のシュニッツェル。
マッシュポテト。
ザワークラウトの煮込み。
焼き立てのパン。
「シスター、旧大陸の出身だって聞いたから。」
「口に合うといいんだけど。」
ミリアムは眼鏡を押し上げた。
「……幻覚にしては、随分と完成度が高いわね。」
圭介は首をかしげる。
「え?」
「この料理。」
ミリアムはエレノアを見る。
「あなたが作ったの?」
「いや。」
エレノアは即答した。
「ケースケだ。」
「……。」
ミリアムは静かに頷く。
「そう。」
「やはり幻覚ね。」
「この人、実在しないもの。」
「いや、しますよ?」
圭介が苦笑する。
「ふーん。」
ミリアムはそのまま圭介の前まで歩いた。
そして。
ぎゅっ。
いきなり抱きついた。
「ほら。」
「幻覚じゃないなら普通、私が抱きつけないでしょう?」
「私みたいな顔なら逃げるもの。」
「男に縁がなかった願望が見せている幻覚ね。」
「でも……。」
くん。
「いい匂い。」
「石けん?」
圭介の顔が真っ赤になる。
「ご、ごめんなさい!」
「シスターみたいな綺麗な女性に急に抱きつかれたら……。」
「その……心臓が……。」
真っ赤。
耳まで真っ赤だった。
その瞬間。
エレノアの頭の中で何かが切れた。
(近い。)
(近い近い近い。)
(離れろ。)
(俺だって。)
(まだこんな近くで抱きついたことねぇのに。)
「おい。」
低い声。
「離れろ。」
「俺でさえケースケにそんなことしてねぇ。」
ぐいっ。
二人を引き離す。
バランスを崩したミリアムが、
「きゃっ。」
床へ尻もちをついた。
静寂。
ミリアムは床へ座ったまま、
圭介を見つめ続けた。
「……本物?」
「はい。」
「本当に?」
「はい。」
「人間?」
「はい。」
「悪魔?」
「違います。」
「天使?」
「違います。」
「じゃあ何なの?」
「人間です。」
即答だった。
ミリアムはゆっくり立ち上がる。
職業病だった。
患者を見るように、
圭介の腕を持つ。
脈。
正常。
瞳孔。
正常。
顎を持ち、
左右へ向ける。
「目も正常。」
「薬物反応もない。」
「注射痕もない。」
ぶつぶつと診察を続ける。
最後に、
エレノアを見た。
「……脅してるの?」
「弱みでも握った?」
「いや?」
エレノアは首を振る。
「別に。」
「じゃあ。」
ミリアムは理解できないという顔で、
圭介を見る。
「どうしてエレノアと一緒にいるの?」
圭介は照れ臭そうに笑った。
「優しい人だから。」
「料理も褒めてくれるし。」
「すごく頑張り屋だし。」
「綺麗だし。」
「かっこいいし。」
エレノアの思考が止まる。
(……死ぬ。)
(俺、今日死ぬ。)
一方のミリアムも固まっていた。
「……信じられない。」
そして、静かに聞く。
「じゃあ。」
「私は?」
「どう見える?」
圭介は少し考えてから笑った。
「知的で綺麗です。」
「映画に出てきそうな雰囲気があります。」
「例えるなら……。」
「ナタリー・ポートマン。」
「『レオン』で見たとき、本当に綺麗だなって思いました。」
沈黙。
ミリアムは瞬きを二度した。
「……誰?」
その一言で。
食卓は静まり返った。
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