第11話 「その恋人、本当に見えているのですね?」──最強シスターは最後まで信じてくれなかった。
夕陽が、教会のステンドグラスを朱く染めていた。
静寂。
祈り。
古い樫の木で作られた告解室。
そこへ、一人の女が座る。
エレノア・ウエストウッド。
賞金稼ぎ。
酒場最強。
そして現在――人生最大級の恋煩い中である。
小窓が静かに開く。
向こう側から落ち着いた女性の声が響いた。
「どうぞ、お話しください。」
「恐れる必要はありません。」
「神は、迷える者をお見捨てにはなりません。」
その声の主は、シスター・ミリアム・クリフ。
銀の十字架。
知性を感じさせる眼鏡。
冷静な眼差し。
どんな重罪人を前にしても声色一つ変えない。
そんな教会で最も信頼されるシスターだった。
「……私は愚か者です。」
エレノアが小さく呟く。
「どうか、この罪をお赦しください。」
「もちろんです。」
ミリアムは静かに頷いた。
「ここで聞いたことは、神と私だけの秘密です。」
「安心して、お話しください。」
エレノアは深呼吸する。
覚悟を決めた。
「……実は。」
「荒野で男と出会いました。」
「……はい。」
「その男に命を救われました。」
「ええ。」
「今、その男が私の家に住んでます。」
沈黙。
(……誘拐?)
ミリアムの眉が一ミリだけ動いた。
(いや。)
(エルは、そんなことをする人ではない。)
(すると……幻覚?)
しかし声色は一切変えない。
「そうですか。」
「続けてください。」
エレノアは少し安心したようだった。
「その男は。」
「何の見返りも求めません。」
「ほう。」
「掃除します。」
「ええ。」
「洗濯します。」
「はい。」
「料理します。」
「はい。」
「毎日です。」
再び沈黙。
(……重症。)
(かなり具体的。)
(妄想が生活レベルまで進行している。)
(アルコール……?)
(それとも脳障害……?)
(まずは否定しない。)
(寄り添うことが大切。)
感情ではなく理性で判断する。
「そうですか。」
「お酒は飲まれますか?」
「たまに一緒に飲みます。」
(共有幻覚……?)
「しかも。」
エレノアはさらに続ける。
「私のシャツを着ています。」
(ああ……。)
(かなり進行している。)
ミリアムは静かに十字を切った。
「その男性は、どのようなお姿ですか?」
「黒髪。」
「黒い瞳。」
「東洋人です。」
(東洋人。)
(この辺境に。)
(いるわけがありません。)
(都会でも滅多に見ません。)
(やはり心因性でしょう。)
だが表情は崩さない。
「最近、お身体の具合はいかがですか?」
「絶好調です。」
即答だった。
「三食、栄養を考えて作ってくれるので。」
「昨日はアメリカングーラッシュ。」
「今日は弁当にサンドイッチまで。」
「……。」
(設定が細かい。)
(本当に存在するかのよう。)
(ここまで自然なのは初めてね。)
ミリアムは内心だけでため息をついた。
そして静かに本題へ戻す。
「それで。」
「本日の懺悔は。」
エレノアは顔を真っ赤にした。
「……多分。」
「その男に恋をしました。」
沈黙。
ミリアムは優しく微笑んだ。
「恋とは、素敵なものです。」
エレノアは目を丸くする。
「……え?」
「人を想う心は、罪ではありません。」
「神もそれを祝福されます。」
「その方は、おいくつですか?」
「二十です。」
(なるほど。)
(二十歳。)
(エルは二十八。)
(年齢コンプレックスが妄想に影響している可能性もある。)
分析は冷静だった。
「それで。」
「年齢を聞かれまして。」
「何と答えました?」
「……二十四、と。」
「なるほど。」
ミリアムは静かに頷く。
「恋する乙女なら、そのくらいの見栄は神もお許しになるでしょう。」
「……。」
エレノアは言葉を失う。
(……笑われない。)
(馬鹿にもされない。)
(怒られもしない。)
胸が熱くなる。
「シスター……。」
「もしかして……。」
「俺の話……。」
「信じてねぇだろ。」
静かな沈黙。
ミリアムは柔らかく答えた。
「いいえ。」
「本当なのでしょう。」
エレノアの顔が少し明るくなる。
しかし。
「あなたの中では。」
固まるエレノア。
「人は皆。」
「心の中に理想の相手を思い描くものです。」
「それは決して恥ずかしいことではありません。」
優しい。
どこまでも優しい。
だからこそ。
「……いや。」
「信じてねぇじゃねぇか。」
「信じています。」
「ですが。」
「ですが?」
「良い病院をご紹介できます。」
「やっぱり信じてねぇぇぇぇ!!」
告解室いっぱいに叫び声が響いた。
エレノアは勢いよく立ち上がる。
「今度うちへ来い!」
「見せてやる!」
「本当にいるんだ!」
そのまま教会を飛び出していった。
静寂が戻る。
数秒後。
ミリアムも告解室から出る。
夕陽を浴びるその姿は、凛として美しい。
黒髪。
銀縁眼鏡。
端正な横顔。
修道服の上からでも分かる長身と均整の取れた体躯。
この世界では「醜女」と評される容姿だった。
ミリアムは困ったように頬へ手を当てる。
「……お邪魔するときは。」
「見えるふりをして差し上げた方が良さそうですね。」
そう呟いて、小さくため息をついた。
彼女はまだ知らない。
数日後。
その「幻覚」と握手を交わし、一緒に昼食を食べることになるとは。
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