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第10話 人生で初めてもらった弁当を踏むな──酒場最強の女が本気でキレた日

 昼の鐘が鳴る。


 エレノア・ウエストウッドは、今日だけは仕事が手につかなかった。


 サルーン――西部辺境では数少ない酒場。


 昼になれば、酒飲み、賞金稼ぎ、馬商人、鉱夫たちが集まり、昼飯をかき込む。


 普段なら自分も同じだ。


 腹を満たせれば、それでいい。


 飯なんて、生きるための燃料でしかなかった。


 ――昨日までは。


 胸の前で、大事そうに紙袋を抱える。


(早く昼になれ……)


 何度も確認する。


 ちゃんとある。


 紙袋の中には、圭介が朝早く起きて作ってくれた弁当。


 人生で初めて。


 誰かが、自分だけのために作ってくれた昼飯だった。


 思い出すだけで頬が緩む。


(帰ったら、またあいつがいる。)


(……へへ。)


 自然と口元が緩んでしまう。


「エル。」


 カウンターの奥から声が飛ぶ。


 店主のイザベラだ。


 首がほとんど見えないほど恰幅がよく、四角い顔をした女。


 この世界では、裕福さと力強さの象徴。


 誰もが認める美人だった。


「今日はまかない食うか?」


 エレノアは胸を張る。


「今日はいらねぇ。」


「珍しいね。」


「弁当がある。」


 紙袋を掲げる。


 イザベラが首を傾げた。


「自分で作ったのか?」


「違う。」


「じゃあ女か?」


「違う。」


「……?」


「男だ。」


 沈黙。


 酒場全体が止まった。


「……え?」


 イザベラが瞬きを繰り返す。


 エレノアは誇らしげだった。


「俺のために。」


「朝早く起きて。」


「作ってくれた。」


 再び沈黙。


 イザベラはゆっくりため息をついた。


「みんな。」


 周囲へ向かって言う。


「エルが壊れた。」


 酒場中が頷いた。


「とうとう幻覚を見るようになったか。」


「薬はやるなって言ったろ。」


「酒もほどほどにしろ。」


「だから娼館へ行けって……」


「だから違ぇ!!」


 エレノアが机を叩く。


「幻覚じゃねぇ!」


「本当にいる!」


「男だ!」


「俺の家で!」


「飯作って!」


「掃除して!」


「洗濯して!」


「弁当まで作ってくれた!」


 全員が真顔になる。


「重症だ。」


「うむ。」


「末期だな。」


「頭を診てもらえ。」


「だから違ぇって言ってんだろ!」


 酒場中に笑いが広がった。


 エレノアだけが本気だった。


「勝手に笑ってろ。」


 窓際の席へ座る。


 大事そうに紙袋を置く。


 深呼吸。


 まるで宝箱を開けるように。


 ゆっくり紐をほどく。


「……。」


 綺麗に包まれたサンドイッチ。


 丁寧に折られた紙。


 紙を開く。


『仕事、頑張ってね。 圭介』


 その一文だけで。


 胸が締めつけられた。


(なんだよ……。)


(反則だろ……。)


 喉が熱い。


 目頭まで熱くなる。


 サンドイッチを一口。


 パンは柔らかい。


 ハムの塩気。


 卵の優しい甘み。


 野菜のみずみずしさ。


(……うめぇ。)


 思わず涙がこぼれた。


(人生で一番うめぇ飯だ。)


(俺なんかのために……。)


(作ってくれたんだ。)


 その頃。


「てめぇ!」


「やんのか!」


 酒場の反対側では、二人のカウガールが胸ぐらを掴み合っていた。


 どちらも筋骨隆々。


 岩のような腕。


 この世界では誰もが認める美女。


 拳が飛ぶ。


 椅子が飛ぶ。


 机が倒れる。


 酒場中を巻き込む乱闘へ発展した。


 だが。


 エレノアは気付かない。


(帰ったら……。)


(『おかえり』って言われて。)


(『昼、美味かったぜ』って言って。)


(『明日も作るね』って笑われて。)


(『毎日頼む』って言って……。)


 頭の中では。


 圭介との未来だけが流れていた。


「エル、おかえり。」


「ただいま。」


「今日も作ったよ。」


「ありがとう。」


「毎日作るね。」


「じゃあ子供の分も頼む。」


「え?」


「孫の分までよろしくな。」


「ええっ!?」


 顔を真っ赤にする圭介。


 その頬へ手を添える。


「照れるなよ。」


「エル……。」


 二人の距離が近づく。


(あわわわわわわ……。)


 妄想のエレノアは限界だった。


 ドンッ!


「きゃっ!」


 現実へ引き戻される。


 一人の女がぶつかった。


 その拍子に。


 サンドイッチが宙を舞う。


「……あ。」


 時間が止まる。


 紙。


 パン。


 レタス。


 ハム。


 くるくる回りながら落ちていく。


 そして。


 グシャッ。


 乱闘していた女のブーツが。


 サンドイッチを踏み潰した。


 静寂。


 酒場中が息を呑む。


 エレノアは、踏みつぶされたサンドイッチを見つめていた。


 拳が震える。


 肩が震える。


「……なぁ。」


 低い声だった。


「それ。」


 ゆっくり顔を上げる。


「誰が踏んだ。」


 乱闘していた女たちが振り返る。


 一歩。


 また一歩。


 エレノアが歩く。


 その目には、いつもの豪快さはなかった。


 あるのは、静かな怒りだけ。


「人生で初めて……。」


 震える声。


「俺のためだけに。」


「作ってもらった弁当だったんだ。」


 ゆっくり帽子を被り直す。


 そして。


「テメェらァァァァァァァァァァァッ!!」


 酒場が爆発した。



 ◇◇◇



 数分後。


 酒場の外。


 筋骨隆々のカウガールたちが、山のように積み上げられていた。


 イザベラが人数を数える。


「二十八人……。」


「また新記録か。」


 エレノアは服についた埃を払う。


 帽子をかぶり直し。


 踏み潰された紙を、大切そうに拾い上げた。


 そして、小さく呟く。


「……二度と。」


「人の宝物を踏むんじゃねぇ。」


 その言葉だけは。


 誰よりも優しかった。

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