勿体ないなぁ、この悪魔!
「ふぅ……っ、はぁ……」
脱力した彼女がばたりと絨毯に倒れ込む。僕も自分の胸倉を掴んで喉にぎりぎりと食い込む痛みを押し殺す。
さっきのようにただの死んだふりでしたという結末や、そうでなくても息を吹き返して反撃してくるという展開になってしまってはたまらない。
痛みなんて喉元過ぎればなんとやらだ。この程度耐えて、早いところこの女を殺してしまわなくては。僕は痛みをなるべく感じないように浅く呼吸を繰り返しながら、彼女の手からナイフを取る。
もうお遊びはしていられない。次失敗したら今度こそ策が無くなってしまう。僕は覚悟を決めた上で手に取ったナイフを構え、彼女の心臓を目掛けてナイフを振り下ろした。
ぐさりと肌と肉を裂き貫く嫌な感触。骨と骨の間へナイフが押し入り、心臓のドクドクとした拍動がナイフを通じて伝わってくる。二度ほど等速で脈打ったその拍動は、ばくっと震えた後から不規則に揺れた。皮膚とナイフの間から、その狂った脈動に合わせて血が溢れる。手が血で濡れる間も、僕はその拍動が止まるのを待っていた。
随分長い沈黙を噛み締めていたような気がする。しりしりと僕の耳元で血管の中を血が迸る音がする。
だんだんゆっくりと遅くなっていた拍動を聞き終え、止まってしまったそれに僕はようやく息を吐いた。
今までずっと息をしていなかったような錯覚すらしてしまうほど、その息を吐いたときの安心感は大きかった。同時に吸い込んだ空気は血の香りと埃の気配とが混じって不愉快だったはずなのに、やけに美味しい空気のように感じられた。
ナイフを彼女の心臓に突き立てたまま、僕はよろよろと立ち上がる。ひどく消耗した気がする。めまいがするし、視界がちかちかぶちぶちと黒と白で彩られている。
やはり魔力の温存はしておいて正解だった。もし魔力を浪費していたら、僕はきっと今頃……いや、ちょっと考えたくないかも。
けれど、見下ろしたこの悪魔が死んでしまっているのが残念だと思ってしまう。
この悪魔のおかげで、僕は可愛い契約者たちと出会えたのだ。それと同時に、これからも彼女を生かしておけば僕は可愛い人間たちともっと出会えたかもしれない。
ああ……もったいない。惜しい悪魔を殺してしまったかもしれないなぁ。
そうだ、サロモンは生きているだろうか。僕はふらふらしたまま彼に歩み寄り、軽く屈んでその首筋に指をあてがう。ぴり、ぴり、と微かな脈が指先に感じられる。
けれど彼はこのまま放置すればあっという間に死ぬだろう。かといって僕にももう魔力は残っていない。つまり、回復や治癒の類の魔法をかけることはできそうにない。
僕にできるのは彼の死をこうして隣で見守ること。
けれどそれだけ、というわけではない。
僕は重たい首をゆっくりと回して、ドロースの死体を見つめた。




