千夏の空④
「過去十年分の農作物の収穫量や糖度、労働者の活動状況のデータ、いただけますか?」
優花の申し出に、城田は少し驚いたような表情を見せたが、すぐに納得したように頷いた。
「もちろんです。ここにあるのは主に紙の記録ですが、デジタル化している分もあります。後ほどデータをお送りしますね」
「ありがとうございます」
優花は渡された資料をタブレットでスキャンしながら、過去の気象データと照らし合わせていった。タブレットの画面には、気温や降水量と収穫量の関係を示す簡単なグラフが浮かび上がる。
「……なるほど。気温が高い年の方がブルーベリーの糖度が上がっていますね。ただし、一定以上の気温になると逆に収量が減っている。湿度との関係も見た方がよさそうです」
優花は画面をスワイプしながら、素早く分析を進めていく。その手際の良さに、城田が感心したように目を細めた。
「さすがですね。短時間でここまで読み解くとは」
「まだ細かい分析が必要ですが、まずは現地に小型気象センサーを設置して、日照時間、温度、湿度のリアルタイムデータを取得しましょう。次回持参します」
「なるほど、それがあるとさらに正確なデータが取れますね。期待しています」
城田が頷くと、千夏はタブレットの画面を覗き込みながら、少し圧倒されたような表情を浮かべた。
「……優花さん、本当にすごいですね。こうやって数字から関係性を見つけて、役立てていくなんて」
優花は微笑みながらタブレットを閉じた。
「こういうのは、やればやるほど面白いんだよ」
作業を終えた二人と畠山は、畑を出て車へ向かう道を歩いていた。夕暮れの光が長く伸びる影を作り、遠くの山のシルエットを淡く染めている。
千夏は少しうつむきながら、ぽつりと呟いた。
「……私、優花さんの力になれますか?」
優花は立ち止まり、千夏の顔を正面から見つめた。
「城田さんも言っていたでしょ。あなただからこそ大丈夫なんだよ」
「でも……私は気象予報士の資格を持っているだけで、実務経験も浅いし……」
「だからこそ、できることがあるんだよ。千夏ちゃんは相手の気持ちに寄り添おうとする。その素直さが、こういう仕事にはとても大事なんだよ」
千夏はしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げると、少し照れくさそうに笑った。
「……頑張ります!」
その言葉に、優花も満足そうに頷いた。
「うん、一緒に頑張ろう!」
千夏の春休みとともに、「農業日和!」の収録が始まった。
ピンク色のお揃いのつなぎに身を包んだ優花と千夏が、笑顔でカメラの前に立つ。
「はい! 今日から始まりました、『農業日和!』のコーナーです。担当する小林優花です!」
元気いっぱいの優花の声に合わせ、千夏も続く。
「はじめまして。高原千夏です。憧れの小林優花さんと一緒に頑張ります!」
「では、千夏ちゃん、早速行きましょう!」
「はい!」
「はい、オッケー!」
ディレクターの合図がかかると、千夏はホッとしたように膝をついた。
「緊張した……」
「大丈夫だよ、一発でオッケー出たから上等上等」
優花が明るく励ますと、千夏も少しだけ笑顔を取り戻した。
二人は農園の入り口で、管理を担当する城田に案内されながら、ブルーベリーとオーガニック野菜の畑へ向かった。
「じゃあ、まずはブルーベリーの剪定からやってもらおうか。春先の剪定は、良い実をつけるために重要なんだよ」
剪定バサミを手にした優花と千夏は、農園のスタッフから剪定の方法を教わった。
「この枝、どうしたらいいですか?」
千夏が慎重に一本の枝を指さすと、隣で作業をしていた年配の農業スタッフが微笑みながらアドバイスをくれた。
「いい質問だね。ブルーベリーは風通しが大事だから、こういう絡み合っている枝は切ってあげるんだ。あと、去年の実がついていた古い枝も、更新するためにカットするよ」
「なるほど……」
千夏は真剣な表情で枝を見つめ、指示通りにハサミを入れた。優花も、慣れない手つきで古い枝を選びながら、作業を進める。
次に二人は、オーガニック野菜を育てるビニールハウスへ向かった。そこでは、障害のある人たちがスタッフのサポートを受けながら作業していた。
「この畑では、障害のある方々が、それぞれの得意な作業を担当しているんです」
案内役のスタッフが説明する。
「例えば、ここでレタスの苗を植えている彼は、同じ作業を丁寧に繰り返すのが得意なんです。一方で、向こうでミニトマトの支柱を立てている彼女は、細かい作業が得意なので、こういう作業を担当しています」
二人は興味深そうに作業を見つめた。あるスタッフが、絵カードを使いながら説明をしていた。
「作業の手順を視覚的に伝えると、よりわかりやすくなります。言葉だけだと難しいこともあるので、こういうホワイトボードや絵カードを使っているんです」
「すごい……皆さん、それぞれ得意なことを活かして働いているんですね」
千夏は感心しながら呟いた。
休憩時間、二人は作業に従事している農家の方々と話をする機会を得た。
「農業って、やっぱり天気に左右されるんですね」
千夏が尋ねると、年配の農民が頷く。
「その通り。雨が少なければ水やりが大変だし、多すぎても病気になりやすい。台風が来れば、せっかく育てた作物がダメになることもある。まさに天気次第だよ」
別の農家の女性が、トマトの苗を見ながら話す。
「たとえば、このトマト。日照時間が短いと甘みが乗らないの。逆に夏場に高温が続くと、実が割れてしまうこともある。毎日、天気を見ながら手入れを調整するのが大事なのよ」
「じゃあ、天候の情報がすぐに分かれば、もっと作業がしやすくなるんですね?」
優花が言うと、農民たちは大きく頷いた。
「そうだね。天候を予測して、適切な管理ができれば、収穫量も安定するし、働く人たちの負担も減る。もし何かアイデアがあれば、一緒に考えてくれたら嬉しいな」
「わかりました! 一緒に考えましょう!」
優花と千夏は、お互いに目を合わせ、意気込むように頷いた。
収録を終えた優花と千夏は、城田のオフィスに戻り、農作業に関わる過去のデータを広げた。
「まず、農作物の収穫量や糖度の推移を整理して、過去の気象情報と照らし合わせますね」
優花はタブレットを操作し、過去10年分の気象データと農作物のデータを並べた。
「例えば、ブルーベリーの収穫量ですが、平均気温と日照時間が長い年ほど収量が増えています。一方で、開花期に遅霜があった年は収量が落ちていますね」
優花はグラフを指しながら説明する。
「糖度に関しても、高温が続いた年ほど上がっていますが、35℃を超えると逆に低下している。高温障害で光合成が阻害された可能性があります。なので、遮光ネットの導入や、蒸散を促すための適切な水やりが重要ですね」
千夏と城田は感心したように頷く。
「なるほど……やっぱり、単純に気温が高いから甘くなるわけじゃないんですね」
「そうです。適度な日照と、水分のバランスが大切なんです」
さらに優花は、降水量と水やりの関係を分析した。
「過去のデータを見ると、雨が少ない年はブルーベリーの成長が遅れていますが、逆に多すぎると根腐れのリスクが増えています。なので、降水量に応じた水やりの最適化が必要ですね。これには土壌水分センサーを活用して、リアルタイムで水分量を測るのがいいかもしれません」
城田は驚いたように目を丸くする。
「そんなことまで分かるんですね……! 農業と気象の関係をここまで細かく分析できるなんて」
「まだ詳細な検討が必要ですが、基本的な方向性は見えてきました。あとは風と災害リスクですね」
優花はさらに、過去の台風の進路や風速データと農作物の被害状況を比較した。
「この地域は、特に秋口の台風で被害を受けやすいですね。風速10m/sを超えるとブルーベリーの枝折れが増えています。防風ネットの設置場所を工夫すれば、被害を軽減できるかもしれません」
「なるほど……」
千夏はデータを見ながら、ふと考え込んだ。
「そういえば……」
千夏は利用者が作業している様子を思い出しながら口を開いた。
「障害のある方々の作業効率って、暑いとか寒いとか単純な気温の問題だけじゃなくて、気象の変化と関係している気がするんです」
「どういうこと?」
優花が興味深そうに尋ねる。
「今日、一緒に作業している時に気づいたんですけど、みんなが『暑い』とか『寒い』って言っている時より、気温が急に変わった時のほうが、作業のペースが乱れていたんです。 それに、特定の時間帯や曜日に体調が悪くなったり、発作を起こす人が多いみたいで……」
城田が驚いたように顔を上げる。
「確かに、利用者の体調管理については気をつけていますが、気象の変化と関連づけたことはありませんでした」
「例えば、気温が急に5℃以上変化した日や、気圧が急激に下がった時、体調を崩す人が多いかもしれません。あと、湿度が高い日は作業の集中力が続かないことがあるかも」
優花はタブレットで気象データを検索し、千夏の話と照らし合わせた。
「……確かに、過去のデータを見ると、気圧が急低下した日に、休憩を多く取った記録がありますね。それに、湿度が80%以上の日は作業効率が落ちている」
千夏はさらに続ける。
「だから、気象データを活用して、利用者が働きやすい環境を作れるんじゃないかと思うんです。例えば、気圧が下がる日は休憩時間を長めに設定するとか、暑さを感じる前に冷房を入れるタイミングを決めておくとか」
優花は目を輝かせた。
「千夏ちゃん、それすごくいい視点だよ! 気象予報士の仕事って、農作物の管理だけじゃなくて、働く人たちが快適に作業できる環境を作ることにもつながるんだね」
城田も深く頷く。
「やはりこのお二人にお願いして良かったです。農作物の管理だけでなく、働く人たちの環境まで考えてもらえるなんて、本当にありがたいです」
優花は千夏の肩を軽く叩いた。
「千夏ちゃん、すごいよ。ちゃんと利用者さんのことを見てるし、それを具体的な提案にできてる。これからもっと活かせるよ」
千夏は少し照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます……。なんだか、自分でもちょっと誇らしいかも」
「うん、その調子!」
こうして、優花と千夏は、農作物の管理とともに、農福連携の現場で働く人たちのための気象データ活用にも取り組むことになった。




