高慢な神の意外な一面(1/3)
「どこへ連れていく気だ」
翌日。私はドラドの手を引っ張って、石造りの家々が立ち並ぶ大通りを歩いていた。
時刻は、街路に植えられたリュウゼツランの上にいるクモさえも、眠そうにだらりと糸の先からぶら下がっているくらいの早朝だ。無理やり叩き起こされたドラドは、不機嫌そのものの顔をしている。
「球技場よ。一緒に試合を観戦しましょう?」
「球技の試合だって? そんなもの、私は興味がない。手を離せ」
「離したら逃げる気でしょう」
「当たり前だ」
言い合いながら、私たちは昨日も通った市場を抜ける。ここを突っ切っていくのが、球技場に一番早く着くのだ。まだ早朝ということで、空いている店は少なく、お客さんもまばらだった。
「なぜこの私が、試合の見物などしなければならないんだ」
ドラドはブツブツと文句を言っている。
「球技など、どこがいいのかさっぱり分からん。ただ人間どもが球を追いかけるだけじゃないか……」
「いたわ! あの人よ!」
ふと、幼い声がしたかと思うと、何かがこちらに向かって飛んできた。近くの出店の天幕の支柱に当たったそれは、手のひら大の石ころだ。
私はとっさに、石が飛んできたほうを見る。すると、店と店の間に息をひそめるようにして、幼い子どもが二人、身を屈めていた。
「あの子、昨日の……」
二人組のうちの一人には、見覚えがあった。昨日、市場で転んで泣いていた少女だ。もう一人は、彼女より何歳か年上の少年である。彼の手には石が握られていた。
ドラドも異常事態に気づいたらしい。二人のほうに視線を向ける。少年が声を張り上げて、石を振りかぶった。
「よくも妹にひどいことをしたな! この悪魔!」
「私は神だ。不届き者が」
ドラドは低い声で言って、少年を睨みつけた。途端に少年から威勢の良さが失われ、石を握っていた腕がわずかに下がる。幼い顔が恐怖で凍りついた。
「お、お兄ちゃんをいじめないで!」
兄の危機を察した少女が、ドラドから守るようにとっさに少年を背中に庇った。少年はハッとしたような顔になり、慌ててドラドから視線を外す。そんな兄の手を少女が引っ張った。
「もう行こう。試合が始まっちゃうよ」
「お前なんて、地の底の冥府に落ちちゃえばいいんだ!」
捨てゼリフを残して、幼い兄妹は去っていく。残されたドラドは、そんな二人を黙って眺めていた。その時の彼の表情は、昨日、あの少女に拒絶された時とそっくりだった。
どうして、昨日といい今日といい、怒りだしても不思議ではない場面で、彼はこんな顔をするんだろう。私はますますドラドのことが分からなくなる。
「……ケガはない?」
「平気だ」
ドラドは素っ気なく言って、市場を歩いていく。私は「どこに行くつもり?」とあとを追いかけながら尋ねた。
「球技場だ。試合を見るんだろう」
「え、ええ。そうだけど……」
さっきまであんなに嫌がっていたのに、どうしたのかしら? 急な心変わりに、私は不可解な気持ちになる。
けれど、これで彼を会場まで引っ張っていかなくてもよくなったのは幸いだった。好きでもない人と手を繋いで移動なんて、ゾッとするもの。
と言いたいところだけれど、本当のことを言えば、そこまで不快感は覚えていなかった。ドラドの手は滑らかで温かくて、こちらをほっとさせくれたから。
……昨日と同じように。
昨夜の出来事を思い出しかけた私は、慌てて頭を振ってあのおかしな一時を記憶の彼方に追いやろうとした。
確かに、あの時の私は強くドラドを意識していた。けれど、それは思いもかけず彼の粗暴ではない一面を見て、動揺しただけのことだ。それ以上のものは何もない。決して。絶対に。何があっても。
それに、ドラドも昨夜のことは何でもなかったかのように振る舞っていた。きっと、あの優しさは一夜限りのものだったんだろう。今の彼は、いつものワガママな自称神だった。
市場を抜けると、細長い長方形の建物が見えてくる。目的地の球技場だ。
中に入ると、朝も早いというのに観客席にはすでに大勢の人がいた。
球技場で試合が行われる際には、都中に告知がされることになっている。
球技は神聖な儀式であると同時に、国中の民が愛する娯楽という側面も持っているのだ。見物料もかからないので、試合が開催される度に、老若男女がこぞって見にくるのである。
「こんなものに熱中する奴らの気が知れんな」
日よけのついた桟敷席の椅子に座ったドラドは、横柄な態度で足を組んだ。近くに座っているお偉方の表情が硬くなっていることに、彼はまるで気づいていないらしい。
この試合が行われる理由を、私はドラドに話していなかった。事情を打ち明ければ、彼が魔術を使って試合の結果に細工をするかもしれないもの。球技は神聖な儀式だ。不正は決して許されない。
やがて、ホラ貝の音が会場に鳴り響く。試合開始の合図だ。
球技のルールは至ってシンプルである。
五人ずつの白組と赤組に分かれた選手が、一つのゴムボールを奪い合う。細長い会場の左右の壁に設置された輪っか状のゴールにその球をくぐらせることができたら、一点獲得。
こうして点を奪い合いながら、先に十点を取ったほうのチームの勝ちとなる。
手を使ってはいけないという規則があるため、選手たちはボールを足で蹴りながらゴール穴を目指していた。
ゴムボールは非常に重たいので、当たってケガをしないように、皆は防具をつけている。
それでも選手たちの動きが鈍くなることはなかった。長い黒髪を風になびかせ、爽やかな汗を額に浮かべながら、土煙の中を目にも留まらぬ動きで駆け抜けていく。
その勇姿に、私はいつも途中から球技が神聖な儀式だということを忘れて、夢中になって応援してしまうのだ。
それは神官長様も同じだったようで、日頃の威厳はどこへやら、お気に入りの選手が相手チームに弾き飛ばされて転んだ時など、下品な罵り言葉を口にしながら拳を振り上げて怒り狂っていた。
そして、試合を楽しんでいるのは神官長様だけではなかった。私の隣からも、はしゃぎ声が聞こえてくる。
「おい、今のを見ていたか!? 宙返りしながらゴールを決めたぞ! 翼もないのに、どうしてあんなことができるんだ!?」
頬を紅潮させ、青い目をキラキラと輝かせながら、ドラドは一心不乱に妙技を見せた選手に拍手を送っている。
それだけではなく、少しでも注目に値することが起きると、「お前も見てみろ!」と私の法衣をぐいぐいと引っ張るのだ。お陰で、服の袖がすっかり伸びてしまった。
球技なんて、くだらないんじゃなかったの? あまりの変わり身の早さに、思わず苦笑いしてしまう。
でも、無邪気になって試合を観戦するドラドの姿に、心が和むのは事実だった。いつもこんなふうに純真に振る舞ってくれたら、どれだけいいだろう。今みたいに素直な彼なら、私も少しは好きになれそうなのに……。
……別に変な意味じゃないわよ? 人として好感が持てる、ってこと。ただそれだけよ。
それに、今はほっこりしている場合ではない。私は重大な使命を帯びて試合を観戦している最中なのだ。
巫女頭として気を緩めるわけにはいかない。私は自分の頬を両手で軽く叩いて気合いを入れ直し、勝負の行く末を見守った。
試合は白熱している。点数も、白組が優勢になったかと思えば赤組が逆転し、そうかと思えばまた白組が追いついてくる……と拮抗していた。まったく先の読めない展開だ。
「これほどまでに面白い試合は久しぶりですな!」
私の後ろに座っている執政官が、興奮したように近くの席の人と話をしている。私は膝の上でギュッと手を握りながら、試合の結果のことを考えてゴクリと息を呑んだ。
現在は、八対七で白組がリードしている。そこに白組の選手がもう一点入れた。これで得点は九対七。白組があと一点入れれば試合は終了。赤組は敗北する。
ということは、やっぱりドラドは神じゃなかったのね! そうよ。彼はただの人間。私の夫になるべき人じゃないんだわ。
……と思っていたのに、ここに来て赤組が追い上げてきた。滑り込みながら白組からボールを奪い、シュートして一点追加。そして、白組がゴールキックを外した隙を狙ってボールを取り返し、またしても一点。
嘘……!? 同点になったわ。
あと一点、先にゴールしたほうの勝利だ。
誰もが固唾を呑んで試合結果を見守る中、白組のエース選手が力強くボールを蹴り上げた。
黒い球は真っ直ぐ、ゴールの輪っかを目指して飛んでいく。
入る……!
誰もがそう思ったことだろう。けれど、赤組の身軽な選手が猫のように跳躍して、そのシュートを頭で突き返す。ボールはコートの端まで飛んでいった。
それを足の速い赤組の選手が追いかけて、ロングシュートで味方の元に送り届ける。
きっと、誰かにパスしようとしたのだろう。しかし、勢いのついたボールは選手たちの頭上を越えていった。皆がボールの行方を目で追う中、その黒い塊は、見事にゴールの輪っかをくぐり抜ける。
しばらく、誰も何も言わなかった。けれど、ホラ貝の野太い音が鳴り響いたことで、会場は爆発するような歓声に包まれる。
試合は終了した。結果は、九対十で赤組の勝利だ。




