高慢な神の意外な一面(2/3)
「今の、すごかったなあ!」
ドラドはすっかり興奮して、椅子の上で放心している私の肩をガクガクと揺さぶった。
「見たか、今の神業!」
神、という言葉に私はハッとなった。会場中に高く掲げられた真紅の旗を呆然と見つめる。
占いの結果は絶対だ。その占いで、「赤組が勝てばドラドは神だと証明される」と出たのなら、私はそれに逆らうことなどできない。
つまり、ドラドは正真正銘の神だということだ。彼は召喚術によって地上界にやって来た、天上界の住民。私たちの神聖結婚はここに成立し、私はドラドの妻だと正式に認められてしまった……。
こんなひどい話ってある? 私にはすでに対の存在がいるのに。このことを睡蓮の君はどう思うだろう。もう彼に合わせる顔がない。
「これから試合終了を記念した宴を行うらしいぞ!」
ドラドが無邪気に私の手を取る。
「もちろんお前も来るだろう?」
「……やめておくわ」
こんな時に限って、邪気のない笑顔で私を見ないでほしい。すっかり意気消沈して、私はドラドに背を向けた。
とてもではないが、宴なんかに出る気分じゃない。私とドラドの神聖結婚が正式に認められてしまったというショックから立ち直るためには、一人になる時間が必要だった。
その時、強い風が私の頬をぺしりと叩いた。少し前まで晴れていた空は、いつの間にか灰色の雲に覆われている。
「これは一雨来そうだな」
ドラドが呟いた瞬間に、空からポツポツと雨粒が落ちてくる。
それが桶をひっくり返したような大雨となるのに、そう時間はかからなかった。風の勢いも段々と激しくなっていって、密林の木々が大きくしなっているのが客席から見えた。
「天文官が予想を外しましたな! 予想より嵐の到来が早いです!」
執政官がはためく服を押さえながら言った。球技場の管理人が、あたふたと桟敷席へ駆け込んでくる。
「野外にいては危険です! 避難をお願いいたします!」
一般席にいる人たちも、雨でびしょ濡れになりながら出口に殺到していた。私たちも急いで桟敷席を離れる。
球技場の内部には、大人数を収容するスペースはない。
観客は、自宅が近いものは家に戻り、そうでない者は、ここからそう遠くない場所にある石造りの集会場を目指しているようだった。どうやらそこが臨時の避難場所に指定されたようだ。
強風が吹いているせいで動きは制限され、足元はすでに甲の辺りまで浸水しているので、歩く度にチャプチャプと水が跳ねた。道が漆喰で固められているため、雨水は地面に吸収されず地表にたまっていくばかりなのだ。
道には微妙な傾斜がつけられているので、最終的に水は都の外れにある貯水池に溜るように工夫されているのだが、今日のように大雨の日には道はいつも小川のようになってしまうのだった。
「しっかりしろ」
強風にあおられてよろけていると、ドラドに腕をつかまれた。
「か弱いふりをしている場合か。きちんと立っていろ」
「か弱いふりなんてしてないわ」
私はドラドの手を振り払った。
その時、空の彼方から何かが飛んでくるのを見て、私は息を呑む。大きな木の枝だ。きっと風で折れてしまったのだろう。あんなものが当たったら大変なことになってしまう。
「皆、気をつけて……!」
私は周りにいる人に警戒を呼びかけたものの、この時にはすでに枝は間近まで迫ってきていた。それだけではない。枝の近くには幼い少女がいた。
「早く逃げて!」
私はとっさに霊力を解放して、魔術で枝を弾き飛ばそうとした。けれど、風に体があおられて術は上手く命中しない。
私の声を聞いた少女は異変に気づいて表情を強ばらせる。恐怖のあまり足が動くことを忘れてしまったように、その場に立ち尽くした。
全身の血が凍りついた瞬間、視界を黄金色のきらめきが横切った。雨で髪を背中に張りつかせたドラドが、猛然と少女のほうに向かって駆けていく。一体何をするつもり?
そう思った瞬間、ドラドは少女を抱きかかえた。それと同時に聞こえてくる重たい音。木の枝がドラドの背中に命中したのだ。ドラドは少女を抱いたまま、地面に倒れ伏す。
「大変だ! ドラド様がケガをなさったぞ!」
「早く安全な場所まで運び込め!」
一部始終を見ていた人たちが、ドラドの元に駆け寄っていく。
一方の私は自分の目を疑っていた。
あの人間を見下していたドラドが、体を張って誰かを守った……?
これって、現実なの?
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「痛っ! もっと優しくできないのか!」
それからしばらくして、私は球技場の近くの集会場で、上半身をはだけたドラドの背中に薬をつけていた。
「我慢しなさいよ。もうすぐ終わるから」
私は指先でドラドの背中の傷に薬を塗り込んでいく。枝の一部が刺さったのか、彼の肌からは血がにじんでいた。
周りには大勢の人がいる。皆、嵐から逃れてきた観客たちだ。
大抵の人はずぶ濡れになって疲れ果てているだけだったけれど、中にはドラドのようにケガをしている人もいた。それでも、見たところ重傷者はいないようなので一安心だ。
「私は神なんだぞ。もっと丁重に扱え」
ドラドは不満げに裸の背中を丸める。こんなところは、昨日までの彼と同じだ。
でも私の記憶には、先ほどの彼の行動がありありと焼きついていた。私は癒やしをつかさどる女神像が彫られた容器から薬をひとすくい指先につけて、それをドラドの傷に塗る。
「どうして、さっきはあんなことをしたの?」
気がつけば、疑問が自然と口から出ていた。
「人間なんてどうでもいいんじゃなかったの? あなたは偉い神様なんだから」
「神だからだ」
ドラドが言葉少なに答えた。
「お前が言ったんだろう。神は人を慈しむものだ、と」
「……え?」
てっきり、彼の「慈しみ」は昨日の私との触れ合いで終了したと思っていたのに……。
意外に思って、私は思わず薬を塗る手を止めた。ポカンとしていると、ドラドが肩越しにこちらを振り向く。
「……何だ、その反応は」
「あなたって、割と素直なところがあるのね」
思わず笑みが漏れる。ドラドがうろたえたように、「何を笑っているんだ」と言った。
「別に、お前の言うことを聞いてやったわけじゃないぞ。あんなのはただの気まぐれだ。勘違いするな」
「あの……」
こちらに誰かが近づいてくる。まあ! ドラドに今朝、石を投げてきた子どもたちだわ!
もしかして、ドラドが弱っているのを見て襲撃に来たの?
と思っていたら、少年が頭を下げた。
「さっきは妹を助けてくれてありがとう」
兄の真似をして、少女も頭を下げる。
この子が「さっき」と言ったのは、ドラドが身を挺して子どもを守ったこと? あの時はそれどころじゃなくてよく見ていなかったけれど、あの少女は昨日ドラドが脅した子だったの? とんだ偶然だわ。
「それから、石を投げてごめんなさい」
お礼に引き続いて、少年は謝罪をした。その様子をドラドは黙って見つめていたけれど、やがて傍らに置いてあったタオルを少年に向けて放り投げる。
柔らかい布きれは、少年の頭にふわりと覆い被さった。
「投石のお返しだ」
ドラドがしっしと兄妹を追い払う。
「その泥だらけになっているみっともない顔はきちんと拭いておけ。お前たちがいるのは神の御前だぞ」
「う、うん」
タオルを握りしめて、二人は去っていった。私はクスクスと笑う。
「もっと素直に渡したらいいじゃない」
「ただの人間相手にはあれくらいで充分だ。……お前も向こうへ行っていろ」
ドラドがふんとそっぽを向いた。私は「はいはい」とその言葉に従う。




