高慢な神の意外な一面(3/3)
集会場内には、避難民の世話をしている神官たちが何人もいた。神官長様が神殿に使者を送って、物資や人員を送り込むように言ってくれたのだ。
私も避難してきた者の一人とはいえ、特にケガをしているわけでもないし、ここは皆を手伝うほうがいいだろう。そう思い、近くにいた下級神官に声をかけた。
「私にできること、何かあるかしら?」
「リュ、リュイサ様!」
私に話しかけられたことで、床の泥を拭き取っていた神官は飛び上がりそうなくらい驚いた。
「い、いけません! 巫女頭様にこのような雑事をお任せするなんて……! リュイサ様は、どうか休んでいてください!」
神官は、それ以上は私と言葉を交わすのも恐れ多いとばかりに、雑巾を片手に逃げだしてしまった。こちらが何かを言う暇もない。
私の胸の中に、また一つ空洞ができたような気がした。疎外感を覚えつつも、ドラドのところに戻ることにする。
彼を遠巻きに見つめている神官たちに気づいたのは、その時のことだった。
「あの方も治療したほうがいいんじゃないの?」
「嫌よ。あんたが行けば?」
「神様相手なんて、どう接していいのか分からないわよねえ」
神官たちはヒソヒソ声で話しているものの、ドラドにはすべて筒抜けだったらしい。複雑な表情で床を見ている。
そうかと思えば脱いでいた服を身にまとって立ち上がり、建物の奥へ繋がる出入り口を抜けてしまった。その後ろ姿にどこか痛ましさを感じた私は、無意識のうちにドラドに歩み寄る。
「皆があなたを遠くから見ていたのは、別にあなたが嫌いだからじゃないのよ」
出入り口の先に続いていた廊下で、私はドラドの背中に声をかけた。
「ただ、あの神官たちはあなたを……」
「分かっている。それ以上言うな」
ドラドは奇妙に平坦な声で言った。まだ後ろを向いたままなので、どんな表情をしているのかは見えない。
「神が人間に畏怖されるのは当たり前だ。人間が私をどう思おうと知ったことか。そんな些細なこと、私は気にしていない」
気にしていない? 本当に?
そんな言葉が喉元まで出かかったけれど、こんな質問にドラドが正直に答えるわけがない。彼のひねくれっぷりを、私は散々見てきたんだから。
「それに、あの者たちが私を嫌わなくても、お前は私を嫌っているだろう。だったら同じことだ」
「私? 何で私の話が出てくるのよ」
「昨日言っていただろう。私が嫌いだ、と」
私はドキリとした。ドラドの口から昨夜のことを聞くのは、これが初めてだ。
こちらを向いた彼の青い目がひどく切なそうに見えたのは、私の気のせいだったのだろうか。彼を傷つけたくないと思うあまり、気がつけば自然に口から言葉が出ていた。
「別に嫌いじゃないわよ」
「嘘を吐くな」
「嘘じゃないわ。人間っていうのはね、心変わりすることもあるの。今の私は、あなたのことを嫌っていないわ」
「……お前の心の内は意味不明だな。昨日は嫌っていた者を好きになるなんて……。……ああっ!」
ドラドがいきなり雷に打たれたような声を出した。しんみりした雰囲気は一瞬で消し飛び、私のことを信じられなさそうな目で見つめる。
「まさか、昨夜お前が私の寝床にいたのは……」
ドラドの頬がさっと赤らむ。私から距離を取るように、二、三歩後ずさった。
「ふ、ふしだらだぞ! 未婚の男女がそのようなことをするなんて……。お前はそれでも巫女頭か! 風紀が乱れる!」
「ふしだらですって!?」
ドラドが何を考えているのか分かり、私は顔から火が出そうになった。
「ふざけないでよ。そんなわけないでしょう! 大体、私とあなたは結婚してるじゃないの。……不本意だけど」
「婚姻関係にあるからといって、相手の同意なしにやっていいことではないだろう。この乱暴者め……!」
「何もしてないってば。だからあなたって嫌いなのよ!」
「さっきと言っていることが違うぞ。移り気な小娘め」
ドラドが不機嫌そうにぷいと背を向ける。
「そうだな。人間は心変わりの名人だ。好きだと言った次の瞬間には、もう嫌いになっている。かつて夕凪の都の民が、畏れ、敬ってきた存在を、ちょっとしたきっかけでコロッと忘れてしまったように……」
「え? それってどういうこと?」
私は首を傾げたけれど、ドラドは何も答えずに行ってしまった。残された私は呆然としていたものの、はしゃぎ声に物思いを断ち切られる。
「見ちゃいましたよ~」
弟子のエスティだった。
薄い石板を両手で胸の上に抱きしめた彼女は、ツヤツヤした童顔いっぱいに笑みを浮かべ、腰を振りながらこちらにやって来る。この子、体をくねらせないと死んでしまう病気にでもかかってるのかしら?
「あんなに楽しそうに会話して~。仲良しなんですねぇ」
「エスティ、今すぐに祈祷師のところへ行きなさい。悪霊があなたに幻を見せているみたいだから」
「何言ってるんですかぁ? すごくいい雰囲気だったのにぃ」
「いい雰囲気なんかじゃないわよ」
結局ドラドの勘違いを正すことができなかったと思い至り、体が恥ずかしさのあまり熱くなってくる。これなら寝首を掻こうとしたと思われるほうがよっぽどマシだ。
「ほら、用がないならさっさと広間に戻りなさい。たまには皆の手伝いくらいしなさいよ」
「別にサボってたわけじゃないんですけど~。神殿の書記官から、リュイサ様にお届け物ですぅ。嵐の中をわざわざ持ってきたんですから、褒めてください!」
エスティは持っていた石板を私に見せた。そこには一組の男女の絵が彫られている。
「神聖結婚が成立した記念として、神殿の入り口に飾る予定の石板の見本ですって。これ、リュイサ様とドラド様だそうですよ。でも、あんまり似てませんよねぇ」
私は言葉が出なくなってしまう。石板の男女の頭上に彫られた「結婚」を意味する文字が、チカチカと頭の中で点滅しているようだった。
書記官が勝手にこんなものを作るはずがないから、これはきっと神官長様の指示だろう。ドラドの正体が分かる前から、彼が神だと判明した場合に備えてこんなものを作らせていたに違いない。
私はもう一度「結婚」の文字に目をやる。強烈な違和感に目眩を覚えた。私には睡蓮の君がいるのに、ドラドとの結婚なんてどう考えても受け入れられなかった。
できれば、この石板の「結婚」の文字を削り取ってやりたいものだ。そんなことをしても、私たちの結婚を取り消せるはずはないと分かってはいるけれど……。
「……結婚の取り消し」
ふと浮かんできた思いつきに、私はハッとなった。
「そうだわ。ドラドと離婚すればいいのよ」
「ええっ!? そんなこと可能なんですか?」
私の呟きを聞きつけたエスティはよっぽど驚いたのか、腰くねくねをやめる。
「だって、神聖結婚って大事なものなんですよね? 別れちゃったらマズくないですか? ……あっ! もしかして、リュイサ様なりの冗談だったりします?」
冗談なものか。私は本気だ。
私はドラドと離婚しても問題ないか、頭を素早く回転させる。黙り込んでしまった私を見て、エスティは困ったように「もう行きますね~」と言ってどこかへ去っていった。
まず、ドラドが神だと確定したことによって、私たちの神聖結婚は成立した。神聖結婚の定義は「召喚されてきた神との婚姻」である。これはもうクリアだ。
では、その後は? 結婚成立後の夫婦生活のことは、神聖結婚においては重視されていない。つまり、自由にしてもいいのだ。それこそ、人間同士の結婚のように離婚したところで問題はないはずである。
ただ、神と人間の離婚がどうすれば成立するのかは分からないけれど、これは記録を当たるなり知恵を絞るなりすれば、いい案を思いつけそうだ。
この思いつきに勇気をもらった私は、ドラドとの結婚のショックから瞬く間に回復するのを感じた。何事にも動じず、強い精神を持つ。やっぱり巫女頭はこうでないといけない。
目指すのは、ドラドとのお別れ。睡蓮の君の対の存在としてその目標を叶えるために、これからの私はひたすらに突き進むだけだ。




