ずっと守ってくれてありがとう(1/3)
嵐の翌日。夕凪の都の上空には、昨日の悪天候が嘘のような真っ青な空が広がっていた。
爽快な天上とは裏腹に、街のあらゆるところでは、折れた街路樹や壊れた建物などが散見された。死者や重傷者がいなかったのは不幸中の幸いだろう。
神殿内も飛ばされてきたゴミが庭に散らばっていたり、屋根が雨漏りしたりと被害なしとは言いがたい状況だ。そのため今日の神官たちは通常の業務を執り行わず、朝から後片付けに追われていた。
「ひどい有り様だな」
ドラドは神殿の中庭にある池のほとりに腰かけ、呑気な顔で言った。木の葉っぱが散乱しているせいで、池の水面はすっかり埋もれてしまっている。
「ひどい有り様だな、じゃないでしょう」
私は魔術を使って、葉っぱを池からすくい上げていく。
「見てないで手伝ってよ」
「私はケガ人だぞ? 絶対安静が基本だ」
ドラドは澄まし顔で自分の背中を指さした。私は顔をしかめる。
「何が『ケガ人』よ。あなたは神でしょう」
「そのとおりだ。やっと認める気になったのか」
ドラドは上機嫌で返した。私はげんなりとなる。
今日のドラドは神殿の後片付けをする私のあとをずっと着いて回っていた。絶対安静なんてどの口が言っているのだか。
かといって作業を手伝うわけでもないし、何がしたいのかまったく分からない。今も池のほとりに植わった木を眺めながら、「いつの間にこんなに大木になったんだ?」と、どうでもいいことを呟いている。
「あなた、今日は出かけるんじゃなかったの? 今朝部屋を出る時に、調べ物があるとか言っていたじゃない」
「魔術の記録保管庫に行きたかったんだ。だが、片付けの邪魔になるからと追い返されてしまってな。神を相手に無礼なことだ」
「邪魔なのは、ここにいても同じなんだけど」
せっかくドラドとの離婚の方法について考えようと思っていたのに、神殿の後片付けを行わないといけなくなったせいで、私はまだ何もできていなかった。少しイライラしてしまう。
けれど、ドラドは私のそんな内心などお構いなしだ。こちらに寄ってきて、「ほう。綺麗になったな」と上から目線で言いながら、服の裾をまくって池に足を浸した。
本当に自由なんだから!
けれど、一言文句を言ってやろうとして、私は口を閉ざした。
爽やかな風がドラドの長い金髪を揺らし、水面に反射した日の光が、端正な容姿に繊細な陰影を作り出している。
この池には睡蓮が植わっていた。清楚な花の傍に麗しい容姿のドラドが座っている光景は、まるで神話の一場面のようだ。私の胸が急速に鼓動を早める。
「睡蓮の君……」
「うん? 何か言ったか?」
ドラドが顔を上げた。彼の青い瞳と目が合ったことで、私は夢から覚めたような心地になる。「何でもないわ」とドラドから視線をそらした。
どうかしているわ。ドラドを見て、睡蓮の君を連想するなんて。
確かに彼は美しいけれど、かなり意地が悪いもの。それに対して、睡蓮の君はとても心優しい性格をしている。だったらきっと、容姿だってドラドよりも綺麗に違いない。
後片付けを手伝って疲れているわけでもないのに、ドラドは水に足を浸したまま眠そうにウトウトしている。本当に寝るのが好きなのね。彼って、睡眠の神なのかしら?
その時だった。不意に空気を揺るがすような低い音が響き渡り、私の物思いは断ち切られる。何、今の? まるで雷が落ちたみたいな音だったけれど……。
「あれを見ろ!」
ドラドはいつの間にか池から上がって、中庭に面した回廊の窓から身を乗り出していた。不穏な予感を覚えつつも、私も別の窓から外の様子をうかがう。
その途端、心の臓が止まりそうになった。今は何の儀式も行われていないはずなのに、祭壇ピラミッドから煙が出ている。
いてもたってもいられず、私は神殿を飛び出した。後ろからドラドも着いてくる。
「何事!?」
息せき切ってピラミッドの頂上に駆けつけると、そこは混乱した神官でごった返していた。皆、祭壇ピラミッドの清掃係に任命された者たちだ。魔術で煙を吹き飛ばしたらしく、辺りの空気は清浄だった。
「リュ、リュイサ様……ごめんなさい!」
「悪気はなかったんです!」
「まさか、こんなことになるなんて……」
下級神官の女性たちが、私を見るなり真っ青になって頭を下げた。私は固い声で「どうしたの?」と尋ねる。
「私たち、内部祭壇の床に溜ってしまった水を抜こうと思ったんです」
「手作業でくみ出すのは大変だから、魔術を使いました。そ、そうしたら術が暴発して……」
神官たちは、それ以上は口にするのも恐ろしいとばかりに見つめ合い、ついにはわっと泣きだしてしまった。私はうろたえながら、「しっかりしてちょうだい」と彼女たちを励ます。
「泣いていちゃ分からないじゃないの。一体何があったの?」
「じ、実は……」
またしても顔を見合わせ、神官たちは甲高い声で泣き叫ぶ。ダメだわ。もっと落ち着かないと、話を聞けそうにないわね。
それにしても、神官たちをこれほど恐怖させるなんて、どんなことが起きたっていうの? 悪い想像が頭の中にいくつも浮かび上がってきて、私は自分の二の腕をギュッと握りしめた。
「実際に見たほうが早いんじゃないか?」
私と一緒に話を聞いていたドラドが、冷静な顔でそう提案した。
「問題が起きたのは内部祭壇か?」
神官たちがおずおずと頷くのを確認すると、ドラドはピラミッドの内部へと通じる階段を降りていく。彼の言うことももっともだと思い、私もあとに従った。
濡れた階段で足を滑らさないように一段一段慎重に降りていきながら、やがて突き当たりの広い空間にたどり着く。つい数日前に、私とドラドが出会った場所だ。
私は魔術で作り出した光の玉で、辺りを照らしてみた。けれど、特に変わったところはなさそうだ。
しかし、もっと広い範囲を照らし出した瞬間に、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。
石造りの壁の一部に亀裂が走っている。中には、深くえぐれている箇所もあった。
「う、嘘でしょう……?」
私は気が遠くなりかけて、フラフラとよろける。危うく床に尻もちをつくところだったけれど、ドラドがとっさに腰を支えてくれたお陰で、何とか立っていることができた。
「大丈夫か?」
私はよっぽどひどい顔をしていたのだろう。今回ばかりは、ドラドも茶化したりせずに本気で心配しているようだった。
「……もちろん、と言えたらいいんだけど」
私は頭の芯がすうっと冷えていくような、薄ら寒い心地を味わっていた。この騒動を起こした下級神官や、ほかの神殿関係者たちも階段を降りて、私たちのところへやって来る。
「これ、直りますよね?」
下級神官がすがるように尋ねてくる。すると、近くにいた上級神官が「バカもん!」と部屋中に響くような大声を出した。
「自分が何をしでかしたのか分かっているのか!」
するとほかの上級神官たちも、その憤激に共鳴するように肩を怒らせ、怒鳴り声を上げる。
「お前たちは神を冒涜したのだぞ!」
「どんな天罰が下っても文句は言えん! 覚悟しておけ!」
周囲の上級神官たちから浴びせられる暴言に、下級神官はすっかり縮み上がっていた。
今にも死にそうな顔をしている彼女たちが気の毒になってきて、私は「皆、落ち着いて」と怒り狂う上級神官をなだめる。
「そんなに騒ぐほどのことじゃないわ。あんな大きな音がして煙もたくさん上がっていた割には、大した被害じゃないもの。こんな壁くらい、私が直してあげるわよ」
「リュイサ様が?」
皆は呆けた顔になる。私はドンと胸に手を当てる。足が震えているのを、この仕草で誤魔化せたらいいんだけど。
「任せておいて。……じゃあ、集中して作業をしたいから出ていってちょうだい」
「リュイサ様がそうおっしゃるなら……」
皆はゾロゾロと階段を登っていく。「さすがリュイサ様。頼もしいお方だ」と囁きを交わす声が聞こえてきた。
「あんなことを言って、本当に平気なのか?」
皆は出ていったけれど、案の定、ドラドはここに残るようだった。壁が崩れた時にできたガレキの上に座りながら、半信半疑の表情を浮かべている。
「何とかなるわよ」
私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、壁に光球を近づけた。
よく見ると、この部屋の壁にはびっしりと動物や人間を抽象化した絵が彫られている。
けれど、それは実のところ言葉なのだ。この半島で広く使われている神聖文字である。
といっても、読めるのは限られた知識階級の人だけだ。もちろん巫女頭の私も、その「限られた人」の一人だった。
私は壁の神聖文字を一語一語、丁寧に読み取っていく。
『……が雨を降らせてくれた』
最初のほうは壁がえぐり取られているせいで読めなくなっている。けれど、欠けた部分にどんな言葉を入れればいいのかははっきりしていた。私は魔術を使って、読めなくなっている箇所に『神』を意味する神聖文字を刻む。
すると、全文はこうなった。
『神が雨を降らせてくれた』
これで修復の第一歩は完了だ。
次は……少し難しいわね。一文字も読めなくなっているわ。
でも、確かここには『神のご加護のお陰で、王妃が無事に健康な跡継ぎを産んだ』と書いてあったはずだ。私は壁に手をかざし、記憶を頼りに修復を進める。
「なぜ何が書いてあったのか知っているんだ? それは百二十年ほど前の出来事だぞ。お前はまだ生まれていないだろう」
何の迷いもなく神聖文字を彫っていく私を見て、ドラドが目を丸くしている。私は「当然でしょう」と言った。
「私は巫女頭なのよ。ここに何が書かれているのかくらい、暗記していて当然だわ」
「暗記だって? まさか、この部屋に書いてあることを全部……?」
「ええ」
私が事もなげに頷くと、ドラドは口を半開きにした少々間抜けな顔で固まってしまった。そんなに驚くようなことかしら?




