ずっと守ってくれてありがとう(2/3)
「この場所に書いてあるのは、夕凪の都の守護神様にまつわる大事な事柄なのよ。巫女頭がそれを知らなくてどうするの」
内部祭壇で事件が起きたことで皆があんなに慌てていたのは、ここがただの部屋ではなく、神の功績を記した記録保管庫の役割を担っているからだ。
室内の壁に彫られている事柄はすべて、夕凪の都に神がどのような恵みをもたらしたかという記述ばかりなのである。
「守護神……」
ドラドは小さい声で呟いた。なぜか機嫌の悪そうな顔になる。
「そうだな。お前たちが今崇めている大事な神についての記録だからな。大切に扱うのは当たり前だ」
「……ドラド?」
突然ドラドの虫の居所が悪くなってしまったことに困惑していると、彼はガレキから降りて、部屋を出ていこうとした。
「どこへ行くの?」
「どこでもいいだろう」
ドラドはツンとした表情で答えた。
「お前もこんな不毛な作業はやめたらどうだ? 守護神の功績なんて、後世まで残しておいても仕方ないだろう。人間は色々なことを忘れてしまう生き物だ。神にまつわる記録を書き記す意味なんて何もない」
ドラドの口調に嫌味を感じた私は、少しカチンときた。私は神に仕える巫女頭なのだ。守護神様を侮辱されているのに、平気な顔はしていられない。
「守護神様は、この夕凪の都をずっと昔から守ってくれているのよ。私たちは守護神様に恩があるの。だから、あの方がなさったことをきちんと覚えておく義務があるわ。何も知らないのに勝手なことを言わないで」
「何も知らないだって?」
ドラドが目を吊り上げた。すさまじい怒りの形相に、私は思わずギクリとする。
「私がこれまでお前たちのために、何をしてきてやったと思っているんだ? それなのに、『何も知らない』などと……。取り消せ、小娘」
「な、何よ。一体何のことを……」
「取り消せ!」
ドラドが怒鳴り声を上げながら、私の肩を強く突き飛ばした。よろけた私は壁に激突する。
「……っ」
背中に痛みが走り、私は思わずその場にうずくまった。
ドラドは自分が何をしてしまったのかに気づいて顔に後悔の色を浮かべ、私に手を差し出そうとしたけれど、すぐに気が変わったのだろう。軽く舌打ちして、こちらに背を向けた。
「私のしたことがなかったことにされるくらいなら、こんな部屋など、いっそガレキの下に埋もれてしまえばいいんだ」
ドラドは忌々しそうな声で言って、部屋の階段を登っていく。
私のしたことがなかったことにされる、ってどういう意味? なんとなく彼をこのままにしておいてはいけない気がして、私はよろけながら立ち上がって、ドラドを追おうとした。
その時、私の足元に小さな石のかけらが落ちてきた。
反射的に上を見ると、今度は頬に何か硬いものが当たる感触がする。
何事かと思った瞬間、私の頭上の壁の亀裂が広がり、球技で使うゴムボールくらいの大きな石の塊が、いくつもこちらに向けて降ってきた。
「きゃあっ……!」
私の悲鳴は、ガレキが床に衝突する音に掻き消される。もくもくと土煙が上がる中、真っ先に聞こえてきたのは階段を駆け下りる騒がしい足音だった。段々とこちらに近づいてくる。
「今の音は何だ!?」
部屋中にドラドの声が反響する。何が起きたのか察したドラドは言葉を失ったようだが、すぐに大声を上げながらガレキの山に駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
「小娘! 生きているなら返事をしろ!」
ドラドの声は必死だった。
「神の言葉を無視するのは無礼極まりないぞ! おい! 何とか言ったらどうなんだ……!」
「そんなに大声を出さないで。ちゃんと聞こえているから」
私はガレキの山の陰からひょっこりと顔を出した。
「……無事か?」
「ええ。私、こう見えても身のこなしは素早いのよ」
ガレキが降ってきた時は最悪の事態も覚悟したけれど、とっさにその場を飛び退いたお陰で、どうにか事なきを得たのだった。飛んできた石の破片で手や足に小さな切り傷を作った以外は、特にケガもしていない。
「そうか……」
ドラドの顔は真っ青だった。彼がそんなに私を心配してくれるなんて少し意外な気がする。てっきり、私のことなんて嫌っているのかと思っていたのだけれど。
ほんのりと胸が温かくなり、私は戸惑った。少しだけ嬉しいと思ってしまうのはなぜだろう。壁が崩落したのは、ドラドが私を突き飛ばした衝撃のせいってことも考えられるのに。
……そうよ。
きっと、ドラドは純粋に私の身を案じていたわけじゃないんだわ。自分のせいで死人が出たかもしれないと思って、動揺しただけ。いくら神とはいえ、事故で人間を殺してしまうのは寝覚めが悪いに違いないから。
けれど、彼の顔にいつまでたっても血の気が戻らないのを見て、意地の悪い推測はそれ以上続かなかった。
どうしてまだそんな表情をしているの? それじゃあ、本気で私を心配しているように見えるじゃない。
「また直さないといけない記録が増えてしまったわね」
私は困惑を押し殺すように、ドラドに背を向けた。ほかにも崩れてきそうな壁がないかを確認して、問題なさそうだと判断したあとに作業を再開する。
その間、ドラドはずっと私を見ていた。まるで、また壁の下敷きにならないように見守っているような表情である。
彼がそこまでしてくれることを不思議に思いつつも、私は黙々と壁に文字を刻んでいく。しばらくの間、内部祭壇には石を彫る音だけが響いていた。
そこに、ドラドの声が割って入ってくる。
「怒っているのか?」
「えっ?」
意外なことを聞かれて、私は修復の手を止めて振り向いた。ドラドがぶっきらぼうな口調でもう一度、同じことを質問する。
「私に突き飛ばされて怒ったか、と聞いているんだ」
「ええと……それは……」
突然そんなことを尋ねられても困る。私の中では、あれはもう過ぎた出来事になっていたから。
「……悪かったな」
私が答えられないでいるのをどう受け取ったのか、ドラドが明後日の方向を向きながら、思ってもみなかったことを言いだした。
「神でありながら、か弱い人間に乱暴するべきではなかった。……許せ」
私は呆気に取られてしまう。あのドラドが謝っているの?
私は思わず自分の頬を指でつまんだ。そして、ギュッとひねる。
「い、痛い……」
「何をしているんだ」
自分で自分の頬をつねっている私を、ドラドは不審そうに見つめる。
「まさか、壁にぶつけたせいで頭がおかしくなったのか?」
「私は正気よ」
痛む頬をさすりながら答える。
「おかしくなったのは、そっちじゃないの? まさかあなたの口から謝罪の言葉が出てくるなんて……。いきなりどうしちゃったのよ」
「どうもしていない。お前が黙って作業を始めるから、私の存在を無視するつもりなのかと思っただけだ」
確かに作業が再開してから、私はドラドとほとんど口を利いていなかった。でも、彼がそんなことを気にしていたなんて予想外だ。
「別に怒っているから喋らなかったわけじゃないわよ。ただ集中していただけ。さっきも言ったでしょう。修復する箇所が増えた、って。のんびりやっていたら、いつまでたっても終わらないじゃない」
「……なんだ、紛らわしい奴め。そうならそうと早く言え」
ドラドはつっけんどんとした口調で言った。いつもの尊大な彼と変わりない態度に見えるけど、少しだけ居心地が悪そうな表情をしている。
私は彼の整った顔を見つめながら、不思議な気持ちになっていた。
召喚されたばかりのドラドが魔術で人間を傷つけようとしたのは、つい数日前のことだった。それが今は、私を突き飛ばしたことを謝罪している。
この変わりようはどういうことだろう? 彼の心境の変化をどう解釈すればいいのか分からず、私は混乱した。




