だから相部屋は嫌なのよ!(2/2)
「おい、小娘」
突然頭上から声が降ってきて、私は息を呑んだ。
顔を上げると、先ほどまでまぶたが閉じられて見えなくなっていたはずのドラドの青い瞳と視線が絡む。彼の手足の力が緩んだ瞬間、私はウサギのようにドラドの上から飛び退いた。
「お前……やっぱり私の寝首を掻こうとしたな」
「失礼ね! 違うわよ!」
あらぬ疑いをかけられて、私は即座に抗議した。けれど、ドラドはまるで信じた様子がない。
「では、なぜ私の懐に入っていたんだ」
「あなたに引っ張り込まれたのよ」
「嘘を言え」
ドラドは疑り深そうな顔のままだ。
「これでは命がいくつあっても足りないな。お前は向こうで寝ろ。私の傍には近づくな。……ほら、持っていけ」
ドラドは私に毛皮を放って寄越した。こんなことならもっと一生懸命になって彼を起こせばよかった。人を暗殺者扱いするなんて!
「あなたが向こうへ行けば? 寝床は私が使うから」
腹立たしくなった私は、ドラドが放ってきた毛皮を投げ返した。ドラドは、「ふざけたことを言うな」と不機嫌そうに言って、毛皮をもう一度こちらに渡してくる。
「私は神だぞ。だから寝床は私が使うべきだ」
「そんなの理由になっていないわ」
どうしてさっき彼といると安心するなんて思ってしまったんだろう。目覚めたドラドは、やっぱりただの嫌な奴だった。
「私、あなたのこと本当に嫌いよ」
私は足元に落ちた毛皮を忌々しく思いながら眺める。
「そんなに人間といるのが嫌なら、さっさと自力で天上界に帰ればいいじゃない。それとも、神じゃないから天上界には行けないのかしら?」
「私は神だ」
ドラドが不機嫌な口調で言った。
「そうやってお前たちは私をすぐに放り出す。恩知らずな奴め」
「あなたに恩を受けたことなんて一度もないわよ」
私はツンとした口調で言い返した。
「あなたって、どうしてそんなに乱暴なの? 神なら、多少なりとも人を慈しむ気持ちを持っているものでしょう?」
「人を慈しむ気持ちだって?」
「そうよ。たまには優しいところを見せたらどうなの? そうしたら、少しはあなたのことを神だって信じてあげるかもしれないわよ」
「まったく……何を言い出すかと思えば。十年も放置しておいて今さらあれをしろ、これをしろ、だなんて、人間は虫がいいんだな」
「十年? 何のこと?」
ドラドの言葉の真意が理解できずにきょとんとしていると、彼はふんと鼻を鳴らした。
「……人間は何でも忘れてしまう、というわけか」
そう呟いたあと、ドラドは黙り込んでしまった。てっきり、憎まれ口を叩くのかと思っていたので拍子抜けだ。
そうかと思えば、彼は真剣そうな顔でこちらに手を伸ばしてきた。
何をする気かと警戒していると、あろうことか彼は私の頭にそっと触れたではないか。
一瞬、何をされたのか分からなかった。けれど、ドラドに頭を撫でられていると認識した途端、一気に頬が熱くなる。
「な、何をするのよ!」
腰が抜けかけた間抜けな格好で、私は後ずさり、そっぽを向いた。顔が赤くなっていませんように、と祈るばかりだ。
「お前がやれと言ったんだろう」
こちらの反応をからかうでもなく、ドラドは真面目な口調だった。そのことが、かえって私の神経を高ぶらせる。
「人を慈しめとは言ったけど、頭を撫でろなんて言ってないわ。ほら、あなただっていきなりこんなことをされたら、びっくりするでしょう!」
お返しとばかりにドラドの頭を撫でてやった。けれど、彼は私みたいに動じたりしない。そのせいで、余計に恥ずかしさが込み上げてくる。
どうして私ってこんなにウブなの? これじゃあ、ドラドから嫌味を言われても文句がつけられないわ。
「お前……」
ほら、何か言ってくるわよ。気をしっかり持ちなさい、私!
「初めて会った時も、私に触れていたな」
なぜか心の臓が跳ねた。ドラドに静かな青い目で見つめられ、私は彼の頭を撫でる姿勢のまま固まってしまう。
「あの時は頬だった」
ドラドは自分の頭上にあった私の手をそっと引き剥がし、自らの頬に宛がう。
彼の手と頬の感触に、私は息もできないでいる。体中がじっとりと汗ばむのを感じていた。
「あれは……あなただとは思わなかったのよ」
私はかすれた声で言った。ドラドは「おかしなことを」と呟く。
「私は私だ。違うか?」
そう、彼は睡蓮の君ではない。
そんなふうに意識すると、私はドラドに対して過剰に反応している自分に嫌悪感を覚えた。私にはもう対の存在がいる。それなのに、運命の相手以外とこんなことをしてしまうなんて……。
私は自分がひどく浅はかで軽々しい人間になってしまったような気がして、息が苦しくなった。
睡蓮の君への申し訳なさがどっと胸の中に湧いてくる。ドラドの顔の上から手を払いのけ、毛皮をつかんで部屋の隅に放り投げ、その上に身を横たえた。
「おやすみ」
私が彼に背を向けたまま寝たふりをしていると、ドラドがそう呟いた。わずかな衣擦れの音がしたかと思うと、もう寝息が聞こえてくる。さっきあんなに寝たばっかりなのに、寝付きがいいのね。
私は毛皮の上でもぞもぞと身じろぎした。思い出してはいけないと分かっているのに、先ほどの出来事が蘇ってくる。
頭なんて、お父様にも撫でてもらったことがない。霊力の高さを認められて三歳の時から神殿で住み込みの巫女修行をするようになったため、私には家族と過ごした時間がほとんどなかったのだ。
ドラドが私に触れる手つきは優しかった。それに、手を握っている時もあまり力を込めないようにしているようだった。彼が初めて見せた乱暴ではない一面に、私の胸は小さく疼く。
けれど、その疼きはすぐに罪悪感に取って代わった。睡蓮の君には、今夜のことは絶対に内緒だ。話したが最後、彼はもう私と会ってくれなくなるかもしれない。
睡蓮の君を失うことが私は何より怖かった。どれだけドラドが優しく頭を撫でてくれようとも、それは睡蓮の君と過ごす時間には替えられない。なにせ、睡蓮の君は私の対の存在。唯一無二の運命の相手なんだから。
バカなことは眠って忘れてしまおう。そう思い、私はきつく目を閉じて眠りが訪れるのを待ち続けた。




