だから相部屋は嫌なのよ!(1/2)
占いを終えて祭壇ピラミッドから戻る頃には、すっかり夕方になっていた。白い漆喰で塗り固められた道の上に落ちる影も、どこか物寂しげだ。
今日の疲れが一気に出てきて、私は早く休みたいと思うあまり、自然と急ぎ足になって神殿の門をくぐろうとした。
「あっ……」
その時、門前で法衣を着た同年代の女性とばったり鉢合わせた。潤んだ大きな目と童顔気味の顔をしている愛らしい雰囲気の娘だ。
「エスティ……。あなた、ここで何をしているの? 今日は月の満ち欠けと暦の関係の勉強をしておくように言ったでしょう?」
「だってぇ~。アタシ、そういうの苦手なんですも~ん」
媚びを売るような甘ったるい声で言って、エスティは三つ編みにした黒髪の先をいじる。まるで踊り子のようにくねくねと腰を動かしていた。
「じゃあ、神殿で保管されている魔術具の手入れは? ……まさか、これも終わってないなんて言わないでしょうね?」
「残念ながら言いま~す」
エスティはおどけたように舌を出した。嘘でしょう……? 私は頭を抱えたくなる。
「エスティ……あなた見習い巫女の自覚があるの?」
「ないで~す」
そうよね。聞いた私がバカだったわ。
エスティは一応、私の弟子ということになっている。けれど、勉強はサボってばかりだし、態度はおちゃらけているし、おまけに霊力もほとんどないというダメっぷりだ。
本当なら、こんな子が見習い巫女になれるはずはないんだけど……。彼女の父親は執政官なのだ。要するに、権力にものを言わせて、娘を行儀見習いのために神殿に送り込んだということである。
でも、当の本人は父親の期待に応える気などまるでないらしい。今日もこうして日が暮れるまで、フラフラとどこかをほっつき歩いていたのだから。
「そんなことより、聞きましたよ! リュイサ様に旦那様ができたんでしょう?」
エスティは年頃の娘らしく、こういった話題には敏感だ。好奇心たっぷりの顔で質問してくる。
「格好いい人ですか? もうキスはしました? 新婚なのに、旦那様を放って出歩くのはよくないんじゃないですか?」
「お黙りなさい」
私はピシャリと言った。キス? 新婚? ふざけないでほしいわ!
「あんな人、大嫌いよ。あなたにくれてやりたいくらいだわ」
「ええ~。アタシにはもう、対の存在がいるんですけどぉ~」
エスティがお得意の腰くねくねを始める。しなやかな動きですこと! この子の体、ゴムでできてるんじゃないの?
「エスティ! よかった、まだ帰っていなかったんだね」
通りの向こうから若者の集団がやって来た。先頭に立っているのは、筋骨たくましい青年だ。
彼の姿を見た途端に、エスティは黄色い声を上げた。青年に駆け寄り、その太い首に腕を絡みつかせる。エスティの対の存在って、彼のことみたいね。
「一体どうしたの?」
甘えた声でエスティが尋ねた。青年は締まりのない顔で、「これから皆で遊びにいかない?」と言う。彼の後ろからひょっこりと顔を出した女性が、「私の家に集まろうと思うの」とつけ足した。
「よその都市にしかない珍しいお酒が手に入ったのよ。せっかくだから、徹夜で宴をしようと思って」
「わ~! 行く行く!」
「ちょっとエスティ。明日は神話の勉強をする予定でしょう? 二日酔いじゃ、何も頭に入らないわよ」
二つ返事で誘いを受けてしまったエスティに、私は大事な事実を思い出させてあげた。けれど、彼女はたとえ天地がひっくり返っても、宴よりも勉強を優先させる気はないらしい。
「神話は放っておいても逃げませんって。……あっ、リュイサ様もどうです~? 旦那様も連れてきて、一緒にどんちゃん騒ぎしません?」
「わ、私?」
思いもかけないことを言われ、私は戸惑った。けれど、すぐに若者たちから「何言ってるんだよ、エスティ」と笑い声が飛ぶ。
「リュイサ様は巫女頭なんだぞ。そんなすごい人が俺たちと来るわけないだろう」
「そうよ。私たちとは住む世界が違うんだから」
「ほら、行きましょう?」
エスティを連れて、若者たちはワイワイと騒ぎながら去っていった。私は一人、神殿の門の前に取り残される。
賑やかな若者たちの声が遠ざかっていくに従って、自分だけが世界から切り取られてしまったような、妙に寒々しい気持ちになっていった。
私は小さくなっていく三つ編みを垂らしたエスティの背中をじっと見つめる。彼女は巫女としての才能なんて全然ない。それなのに、どうしてあんなに楽しそうなのかしら?
それに……私はあの若者たちの言うようにとても恵まれているはずなのに、なぜこんなにも惨めな思いをしているの? わけが分からないわ。
……いけないわね。つまらないことを考えている場合じゃない。私が今頭を悩ませるべきなのは、明日の試合の結果についてだけだ。
すっきりしない気分のまま、神殿の門をくぐって建物の中に入る。
執務室で軽く仕事をこなしながら食事を取り、居室へ向かった。本当はまだやることが残っているんだけど、明日に備えて今日は早めに休むことにしたのだ。
けれど、部屋に着いた途端に異変に気づく。扉の前に縄が張り巡らされ、立ち入り禁止を示すマークがついた札が掲げられていたのだ。
「何、これ?」
戸惑いながら、私は近くを通りかかった巫女に尋ねる。すると、「今日からリュイサは別の場所で寝泊まりするはずじゃないか」と言われた。
……そ、そうだった! 私、ドラドと相部屋になったんだったわ!
立ち入り禁止の札の横には、神官長様の印章が描かれていた。つまり、これはこの神殿で一番偉い人からの命令ってわけね。私に巫女頭としての務めを果たしなさい、と?
こんなことなら、ドラドの攻撃から神官長様を守るんじゃなかった。あの稲妻をもろに受けて頭がおかしくなっていたら、神官長様は今頃、「相部屋なんてかわいそう~」とか言ってくれていたかもしれないのに。
けれど、後悔しても遅い。巫女頭として上司の命令に背くわけにもいかず、私は馴染んだ自室に背を向けて、忌々しい自称神が待つ相部屋まで移動した。
そろりとドアを開けると、ドラドは私が部屋を出ていった時と同じ場所でまだ眠っていた。ほっとして入室する。
さて、問題はどこで寝るかだ。
寝床はあるけど、そこにはドラドがいるから、私は別の場所で身を休める必要がある。彼と添い寝なんてごめんだもの。
とりあえず、その辺に何かを敷いて仮の寝所にするしかないかしら? 敷布にできそうなものがあればいいんだけど。
悩んだ末、私は天蓋をかき分けて寝床に入り、ドラドが体の上にかけているジャガーの毛皮を持っていくことにした。
体の下にも一枚敷いているのに、二枚も独占しているなんて不公平だもの。それにここが二人の寝床だとすれば、二枚目の毛皮は私のものという理屈になるではないか。
けれど、ドラドはなかなか強欲だった。毛皮の端をぎゅっとつかんで離そうとしないのだ。
何よ? 私に固い床の上で寝ろっていうこと? 本当に根性曲がりね!
私は意地になって、さらに強く毛皮を引っ張った。すると、今度はドラドも毛皮を引っ張り返してくる。うっかりとバランスを崩した私は、そのままドラドの胸の上に倒れ込んだ。
「う……ん……」
胸元に感じた衝撃で、ドラドがわずかにうめく。そして、私の体を二本の腕でがっしりと抱きしめた。まるで、大事な掛け布団を誰かに取られてはたまらないとでも言いたげだ。
「ちょっと……ドラド!」
予想外の展開に、私は慌てるしかない。抱きしめられてろくに身動きが取れない中、彼の体を懸命に揺さぶった。
「離して……離してったら!」
私の必死の抵抗も、彼はまったく意に介していないようだった。それどころか、今度は足も使ってこちらの動きを封じてしまう。
ドラドの四肢にがっしりと抱きすくめられた私は、どうしていいのか分からずに身を強ばらせた。男性にこんなことをされるのは生まれて初めてだ。本能的な怯えを感じ、私は鳥肌を立てた。
「ねえ……ドラド」
自分が発しているとは認めたくないくらい情けない声が出て、私は泣きたくなった。拘束を振り解こうとしては失敗して、その度に震えてしまう。
男性が女性よりも力が強いのは当たり前だけれど、その事実をこんな形で突きつけられる日が来るとは思わなかった。急に自分が無力でか弱い存在になってしまったように感じてしまう。
息を殺しながら、私はひっそりとドラドの顔を見つめた。
どれくらいそのままの姿勢でいただろうか。いつの間にか、私の体の強ばりは消えていた。
ドラドの寝顔には、人を安心させる何かがある。彼の乱暴な一面は散々見てきたはずなのに、こうしていても彼は私に無体を働かないだろうという不思議な確信を覚えたのだ。
なんだか変な話だ。だって、今の私ったら、まるで睡蓮の君といる時みたいに安心しきっているんだから。
……なんて、こんなことを言ったら睡蓮の君に失礼よね。彼はドラドなんかよりずっと素晴らしい人なのに。
私はドラドの胸に頭を預けた。彼の穏やかな鼓動が耳に心地いい。どうせ離してくれないのなら、もう今日はここで寝てしまおうかしら? なんてバカげた考えが一瞬だけ脳裏に浮かんできた。




