召喚に成功してしまいました(1/1)
それから十日後の早朝。あちこちに生花を飾った白い花嫁衣装に身を包んだ私は、神官や巫女たちと一緒に、海を臨む断崖へと続いている長い坂を登っていた。
その坂の頂上には祭壇ピラミッドが建てられている。
四角く切った石を九段も重ねて作られたその建物は、この都のどの建造物よりも大きい。色は真っ赤で、背後の青い空との対比により、遠くからでもかなり目立っていた。
ピラミッド前の広場を通り過ぎると、今度は祭壇ピラミッドの頂上に続く階段を皆と一緒に登った。神聖結婚の儀は、ピラミッドの最上段で行われるのだ。
ピラミッドは高所に建っていて、頂上は天井はあるものの壁がない広場のような造りになっているため、階段を登り切った先には絶景が展開していた。
正面には、明け方の太陽の光を受けてきらめく真っ青な海。
そして背後には、白い漆喰で固められた通りの両端にお行儀よく並ぶ石造りの家々と、郊外に作られた豊かな畑が広がっている。
植えられているのは、丸々と太ったトウモロコシだ。夕凪の都の民の胃の腑を満たす重要な主食である。
けれど、私を含めて皆の頭は儀式のことでいっぱいで、最上段にたどり着いても誰も景色を楽しんでいる者はいなかった。
頂上の祭壇広場の中央には、石造りの魔術具が据えられている。少し体を起こして仰向けの姿勢を取る男性の人物像だ。その像の腹部には、大きめの皿のようなものが置かれていた。
私は巫女と共にその人物像をぐるりと取り囲み、皿に向かって霊力を注ぎ込んだ。すると、火種もないのにそこから緑色の炎が上がった。
「神よ、おいでください!」
私たちから少し離れたところに立っていた神官長様が、天上界にいる神に向けて呼びかけた。
「あなた様に花嫁を捧げます。どうぞお受け取りください、どうぞ、どうぞ……!」
何が「お受け取りください」よ。人を物みたいに言って!
と心の中で毒づきつつも、巫女頭として手抜きはしない。私は大きく息を吐き出しながら、さらに霊力を注ぎ込んでいった。
「どうぞ、おいでくださいませ!」
神官長様が大声を出し、皿の上の炎が一瞬、祭壇広場を埋め尽くすほど巨大になる。私たちは全員火に飲まれたけれど、魔術で作られた炎なので熱くはないし、火傷もしなかった。
炎が消えると、辺りはしんと静まり返る。私はそろりと石造りの人物像に視線をやった。
手順によれば、神は人物像が抱えている皿の上に召喚されてくるらしい。けれど、そこには誰も乗っていなかった。
私は安堵のあまり力が抜けそうになる。
よかった……! 私たちの呼び声に応える神はいなかったのね。これで神聖結婚の儀は無事に終了だ。運のいいことに、私は花嫁にならずに済んだんだわ。
「……え?」
ふと、体が痺れるような妙な気配を感じ、私は息を呑んだ。心の臓がドクドクと脈打つ。
「やれやれ、やっと終わって一安心だねえ」
「さて、帰ろうか。……リュイサ?」
巫女が不思議そうに、私の顔を覗き込んでくる。
「どうしたんだい、そんなに深刻そうな顔をして」
「……まだよ」
私は低い声で囁いた。息が荒くなってくる。
「まだ終わってないわ」
どこ……? どこなの? この霊力の発生源は。
私は祭壇広場を隅から隅まで見渡したけれど、変わったものは何も発見できなかった。
「何かあったのか?」
「分かりません。ただ、リュイサが……」
神官長様と巫女が話す声が耳を素通りしていく。私は辺りをうろうろと歩き回った。
気のせいじゃない。どこかにいる。それもすぐ傍に……。
私は目を瞑って、神経を研ぎ澄ませた。感じるのは、微弱な霊力の波動。でも、どうして足の下から伝わってくるの?
……足の下?
私は視線を床に向けた。瑪瑙の飾り付きの編み上げ靴を履いた自分の足を眺める。
「……分かったわ!」
叫ぶと同時に駆け出した。頂上の片隅にひっそりと口を開けるようにして作られた階段を大急ぎで駆け下りていく。
「どこへ行くんだい!?」
「下よ!」
私は喉が張り裂けそうな声で返事した。うっとうしげにまとわりついてくる花嫁衣装の長い裾を片手でからげる。頭の低い位置で団子状にした黒髪が、ダンスをするようにポンポンと首を叩いていた。
「そこに私の対の存在がいるの!」
急な階段から何度も転げ落ちそうになりながらも、私は決して足を止めようとも速度を落とそうともしなかった。
魔術で宙に浮かぶ光の球を作りだし、足元を照らす。胸の中は、これから起こることへの期待でいっぱいになっていた。
やがて、階段の終わりが見えてくる。その先は、ピラミッドの頂上にある祭壇広場と同じような開けた空間になっていた。
ただし、ここはピラミッドの内部だから四方が壁で覆われていて、ひどく狭い印象を受けたけれど。
その広場の中央に誰かが倒れているのを発見した時、私の興奮は最高潮に達した。
その人は、足首まである白い貫頭衣の上から赤いケープを羽織った貴族のような服装をしており、見たところは男性だろうか。
足をもつれさせながら、私は彼の傍に駆け寄った。
「ねえ!」
私が男性を助け起こすと、長い金の髪が彼の顔の上からさらりとこぼれ落ちた。なんて綺麗な男の人だろう、と私はその美貌に見惚れる。
目も鼻も口もすべて繊細な造りで、体つきはすらりとしている。
歳は私と同じくらいかしら? 穢れを一切受けつけないような、清廉な顔立ちである。黄金色の川のように床を流れる髪はかなり長く、くるぶし辺りまでありそうだ。
「ねえ、起きて」
私は、今度はもっと優しく呼びかけた。この青年の寝姿から、少しでも乱暴に扱うと壊れてしまいそうな儚い印象を受けたのだ。
「ねえってば……睡蓮の君」
私の囁き声に、青年が長い金のまつげをピクリと動かした。そっと開かれた瞳は、深い泉を思わせる透き通った青色をしている。
私は愛おしさのあまり、青年の頬にそっと手を添えた。まだ意識がはっきりしていないのか、青年はぼんやりした目でこちらを見ている。
「呼んで」
私は睦言のように囁いた。
「私の名前を呼んで」
青年が口を開いた。そこから漏れ出たのも、容姿に違わずとても綺麗な声色である。
けれど、彼が発したのは、私の期待を裏切るような一言だった。
「お前は……誰だ?」
私の心の臓が大きく跳ねた。
一方の青年は、たった一言口にするだけで気力をすべて使い果たしてしまったようで、私の腕の中で脱力する。
「リュイサ! 一体何があったんだ?」
「ねえ、誰か倒れてるわよ!」
やっと追いついてきた神官や巫女たちが、気を失った青年を抱きかかえたまま部屋の真ん中で放心している私のもとへ駆け寄ってくる。
けれど、私は彼らの声など耳に入っていなかった。ただ、青年に言われたことを頭の中で何度も繰り返している。
――お前は……誰だ?
どうして?
どうして彼は私のことが分からないの?




