運命の人以外との結婚なんて、ごめんです!(2/2)
私は睡蓮の君の気配がするほうに向かって手を伸ばした。指先には何も触れなかったけれど、安心感で胸が満たされていく。
「ちょうどあなたに会いたいと思っていたの」
私は微笑んだ。睡蓮の君は何も言わない。でも、それで構わないのだ。
私には、彼がきちんと話を聞いてくれていると分かっていた。だって、睡蓮の君はいつも私に寄り添ってくれるとても優しい人だから。
「ちょっと大変なことが起こってしまって……」
一瞬、食堂でのことを思い出したけれど、すぐに首を振ってあの出来事は忘れることにした。もっと大きな困難を抱えているのに、今は小さなことで頭を悩ませている場合ではない。
「私、神聖結婚の花嫁役に選ばれてしまったのよ。神様と結婚しないといけないの」
睡蓮の君は私の言葉に驚き、「そんなのは横暴だ」と憤ってくれた。
……と思う。彼の姿は見えないし、声も聞こえないんだから、ただの想像だけど。でも、睡蓮の君はいつだって私の味方なんだから、そう反応するのが自然だろう。
「私の対の存在は睡蓮の君なのに……こんなのひどいわ」
私はげんなりとなる。
私たちの住む半島では、あらゆるものには対となる存在がいると信じられている。
火と水、光と闇、滅びと再生……もちろん、人間も同様だ。つまり、どんな人にも運命の相手がいるということである。それって、なんだかとてもロマンチックじゃない? 思わずうっとりしてしまう。
そして私の対となる存在こそが、姿は見えないものの、今目の前にいる「睡蓮の君」なのだ。彼は私の運命の人。半身といえる相手である。
それなのに、私に見も知らぬ神の妻になれですって? 名誉な話だというのは分かるけれど、もう対の存在がいる私にとって、そんなのは受け入れられなかった。
運命の相手以外との結婚なんて、絶対に上手くいきっこないわ!
「おや、リュイサじゃないか」
「そんなところに突っ立って、何をしているのじゃ?」
廊下の向こうから老婆たちがやって来た。
彼女たちのまとう足首まである法衣は私のものと似ているけれど、少しデザインが違う。
私の装束は、裾や袖口に巫女頭であることを示すための特別な模様が鮮やかな青い糸で縫い取られていたけれど、ただの巫女である彼女たちの服には刺繍が施されていなかった。
「もしかしてまた独り言かえ?」
「リュイサは優秀だけど、その一人でブツブツ言う癖だけは、何とかしないといけないねえ」
一人じゃないわ。睡蓮の君が一緒よ。
私は心の中でそう言った。実際に言葉にしなかったのは、そんなことを口にしても信じてもらえないだろうと思ったからだ。だって、睡蓮の君の気配を感じ取れるのは私だけだもの。
私は睡蓮の君がいるところにチラリと視線を向けた。
はっきり言って、彼は謎の存在だ。
姿が見えないだけじゃなくて、私以外の人には、そこにいることすら分からない。
私だけが彼を感知できるのは、霊力が並外れて強いためだろう。
けれど、そんな強い霊力を持ってしても、私にできるのはただ、「誰かが見ている」と感じ取ることだけだった。
だから、私は睡蓮の君がどんな人なのかまったく知らない。顔も本名も、それ以前に「人」なのかも不明だ。「彼」と言ってはいるけれど、男性ではない可能性もある。
けれど、それでもいい。たとえ誰にも分かってもらえなくても、気のせいや幻なんかじゃなくて、私が睡蓮の君と名づけた「何か」がそこにいるということは事実なのだから。
私にとって重要なのは、彼がかつて私を救ってくれたことがあり、今も心の支えになってくれているということ。ただそれだけだ。
「聞いたよ、リュイサ。神聖結婚の花嫁役に選ばれたんだって?」
巫女の情報網に、私は感心してしまう。あの会議から大して時間がたっていないのに、もうそんなことを知っているなんて。
「よかったじゃないか。あんたくらいの能力がある娘には、神の妻はふさわしい地位だよ」
「……そうかしら」
「おや、ご不満のようだね!」
「結婚を控えて憂鬱になっているんじゃな。何なら、ワシが替わってやってもよいが」
「いやいや、そこはワシが」
「新婚か。ええ響きじゃのう。こちらも若返るようじゃ。ふえ、ふえ、ふえ……」
「あんたはまだ七十じゃろう! 充分若いわ!」
巫女たちはシワくちゃの顔を緩ませて、楽しげにやいやい言い合っている。私は思わず苦笑いした。
「まあ、そんなに気を落とさんでもええじゃろう」
巫女がしなびた手を私の肩に置く。
「記録によれば、神聖結婚の儀を行っても、必ず神を召喚できるわけではないらしいぞ」
「ワシがまだピチピチしていた頃に行われた神聖結婚でも、神はやって来なかったしのう」
「神が召喚されなければ、結婚もできない。つまり、花嫁になる必要はないわけじゃ」
神聖結婚の儀は神の召喚に成功して初めて成し遂げられるものだ。天上界の神々に向けて、「花嫁を差し上げますから、どうぞ我が国においでください」と呼びかけるのである。
けれど、その呼びかけにいつも神が答えてくれるわけではなかった。大抵の神は人間との結婚に魅力を感じないらしく、無視をするのだ。
仮に反応があったとしても、どんな神が来るのかは召喚されるまでは分からない。
でも、可能性が一番高いのは国の守護神だろうか。現に五百年ほど前の夕凪の都の記録には、守護神と当時の巫女が結婚したと記されている。それは一番最近の神聖結婚の成立例でもあった。
もしどれだけ呼びかけても天上界から神がやって来なかった場合は、婚姻は成立せずに儀式は終了となる。
つまり、私が神の妻になるかどうかは、相手方のさじ加減一つということだ。こちら側でできることは何もない。
そう思うと無力感でどうにかなってしまいそうだけれど、巫女たちの指摘に少し救われたような気がしたのも事実だった。
そうよね。神聖結婚なんて、成立する可能性のほうが低いんだもの。儀式を行っても、空振りで終わる確率のほうがはるかに高いじゃない。
私はもう一度睡蓮の君のほうを見て呟いた。
「神聖結婚の花嫁役に私が選ばれたという事実は、もう変えようのないものだわ。でも安心して。神様と結婚する必要はなさそうだから。私はこれまでどおり、あなただけのリュイサよ」
「おや、またリュイサが独り言を言っているよ!」
巫女たちの呆れる声を聞き流す私の心は、先ほどよりも軽くなっている。花嫁役を務めることに対しても、ずっと前向きな気持ちで取り組むことができそうだった。




