嵐の日の攻防戦(2/2)
「ならば、これでどうだ」
チャク様が大きく跳躍したかと思うと、腰に巻きつけていた縄を解いた。密林に生えている大木を何百本も束にしたほどに太いその縄が、生き物のようにくねくねと動き始める。
けれど、よく見るとそれはただの縄ではなかった。
「ヘビだわ!」
チャク様の手を離れた途端に、ヘビの体が透明な水に変わった。くわっと大口を開けて、こちらに迫ってくる。その大きな口で、ヘビは結界を丸ごとくわえ込んだ。
ヘビの牙が結界にズブズブと突き刺さり、そこから吹き出した水が都の中に漏れてくる。
「力任せに結界を壊そうということか。雨の神も存外、芸がないな」
ドラドが軽く口角を上げた。
「力押しならこちらにも得意な者がいると教えてやれ、小娘」
「簡単に言ってくれるわね!」
私はさらに強い霊力を魔術具に注ぐ。膝が震え、呼吸が荒くなってきた。たまに意識が遠退きそうになり、慌てて首を振る。今気絶するわけにはいかない。
ドラドと協力して、結界を大きくしていく。ヘビが口を開く角度が段々と広がっていき、苦しげなうめき声が聞こえてきた。
「よし、もう一押しだぞ。……小娘!」
「だ、大丈夫よ……」
私はフラつきながら首を振った。その拍子に頭の後ろで結んでいた髪が解け、バラバラと顔の上にかかる。
「少し休め。それ以上は身が持たんぞ」
「平気だってば……」
目眩を覚えて魔術具に手をついた私は息を呑んだ。ドラドの貫頭衣を引っ張り、異変を知らせる。
「魔術具にヒビが……」
石造りの人物像の足の部分に、それまではなかった深い亀裂ができていたのだ。私とドラドは顔を見合わせる。
「少々酷使しすぎたようだな」
「どうするの? これが壊れたら、結界は維持できないわ」
「知れたことを。魔術具が使えるうちに、決着をつけるんだ」
ドラドが断固とした口調で言って、さらに強い霊力を放出する。精一杯平気な顔をしているけれど、彼の手は震えていた。私と同じように強力な力の使いすぎで、ドラドも限界が近づいているようだ。
「そうね。やるしかないわ」
もうあとには引けないのだ。ここまで来たら、戦って生き延びるか水の底に沈むかの二択しかない。
ピシリと音がして、またしても魔術具のヒビが広がっていく。焦りを覚えつつも、私も人物像の皿の中にひたすら霊力を注ぎ込んだ。
「分かってはいるとは思うが、戦いが終わったあとも魔術具は使用できる状態にしておけよ」
ドラドが念押しするように言った。
「天上界への通路を開く時には、これがいるんだからな」
「余力を残しておけだなんて、こんな時なのに余裕ね!」
ヘビの口の開きが、ついに水平になった。よほど苦しいのか、尾をのたうち回らせながら苦悶している。
私とドラドは、一気に霊力を放出して畳みかけた。結界がますます大きくなっていく。
けれど、相手もみすみすやられるつもりはないらしい。最後の抵抗とばかりに、深々と牙を結界に突き刺す。
牙の先からまるで毒のように半透明の雫がポタリポタリと落ちてきた。その雫が細長い形に変わって、這うようにして動き出す。水没した大通りを水の流れに逆らって渡り、祭壇ピラミッドのほうに近づいてきた。
あれは……ヘビ? 今上空にいる親玉よりはずっと小さいけれど、それでも大蛇と呼べるくらいの大きさだ。子分たちも、親玉と同じく体が水でできていた。
嫌な予感がした私はとっさに逃げることを提案しようとしたけれど、すぐに思いとどまる。持ち場を離れたら、敵の思うつぼだ。私たちは何があってもここから動くことはできない。
そのうちに、子分の大蛇たちが大階段を登って祭壇ピラミッドの頂上までやって来た。その数、ざっと十匹。
私たちの姿を認めた途端に、大蛇はこちらに飛びかかってきた。
「……っ!」
瞬時に息ができなくなり、私はよろめいた。大きく開けた口から出てきたのは気泡だ。
水でできた大蛇が私の顔の上に巻きついている。絞め殺そうとしているのではなく、溺死させようとしているのだ。私は顔からヘビを引き剥がそうと躍起になった。
もう息が限界に近づいていた時、ドラドが私の頭を覆っていたヘビに霊力を注ぎ込んだ。その途端、ヘビはただの水の塊になって消滅する。
私はガックリと床に倒れ込んで「ハア……ハア……」と息を荒げた。
「小賢しいマネをする」
ドラドがまだ半分以上残っている大蛇を見て、舌打ちする。
「小娘。お前は結界の維持に努めろ。私はこの忌々しい大蛇どもを何とかする」
「何言ってるのよ! あなたとふたりでどうにか踏ん張れているっていうのに、私一人で結界を保つなんてできるわけないでしょう」
「お前だから頼んでいるんだ」
それだけ言って、ドラドは子分の大蛇の退治に取りかかった。
「勝手なんだから……」
憎まれ口を叩きつつも、私は魔術具に向き直った。ドラドの信頼に応えようと意気込み、疲れた体にむち打って作業を再開する。
霊力を注ぐ者が一時的にいなくなってしぼみかけていた結界が、またしても大きくなり始めた。子分を送り込んで油断していたところに思わぬ反撃を食らい、ヘビが緊張したように体を震わせた。
結界がどんどん大きくなる。ヘビの口の角度が直角になり、水平になり、やがてそれ以上に……。
「うっ……」
ふと、意識が遠退いて私は倒れそうになった。そんな私の腰を、ドラドがふわりと支える。祭壇広場は一面水浸しになっているものの、大蛇の姿はどこにもない。ドラドがすべて退治したのだろう。
「無茶をしすぎだ。私は結界の維持に努めろとしか言わなかったぞ」
「私が……あなたの言うことを素直に聞くと思うの……?」
かすれた声で言い返しつつも、霊力を注ぐ手だけは止めない。ドラドが「強情な奴」と鼻を鳴らした。
「私が支えていてやる。最後まで立っていられるな?」
「当然でしょう」
ドラドと寄り添い、ふたりで霊力を注いでいく。いよいよ結界は巨大になり、ヘビの苦しみが最高潮に達した。
……勝てる!
そう確信した時だった。バキッと不穏な音がした。魔術具が真っ二つに割れているのを見て、私は凍りつく。
「ドラド! これ以上はダメよ! 魔術具が壊れてしまうわ!」
「そんなことを言っている場合か! 行くぞ!」
ドラドが一際強い霊力を放出しようとするのを気配で感じ、私はぎゅっと目を瞑った。こうなったら、もうなるようになれだ。
ドラドが霊力を解き放つのと同時に、私もいざという時のために残しておいた最後の力を解放した。
「……!」
巨大に膨れ上がりすぎた結界を飲み込んでいられなくなったヘビが、パアンッ! と弾けるような音を立てて破裂した。大量の水が降り注ぎ、結界の表面を流れていく。
祭壇広場の人物像はみるみるうちに崩壊していき、魔術具はあっという間にただの石の塊になってしまった。
「終わったんだわ……」
もう立っていることもできず、私はドラドに力なく寄りかかった。それでも、満足感に心は満たされている。
けれど、上空から青い体の巨人がこちらに飛んでくるのを見て、息を呑んだ。そうだ。まだチャク様がいたんだわ。
体中の血をいっぺんに抜かれてしまった気がした。魔術具は限界を超えて使用したせいで壊れ、土台すらも残っていない状態だ。それに、私はもうフラフラ。これじゃあ、とてもじゃないけど、チャク様とは戦えない。
私は唇をきつく噛んだ。どうにかこの状況を打開する方法を考えないといけないのに、疲労で頭が上手く回らない。
そんな私の頬を柔らかな光が照らした。
空一面を覆っていた灰色の雲が晴れ始めている。雲の切れ間からは、青空と太陽が覗いていた。
私は目を見開く。
「見事だ、小さき者たちよ」
チャク様が豪胆な笑い声を上げる。けれど、先ほどのように霊力を放ってこちらを威圧しようとはしなかった。
「偉大なる神を相手に最後まで戦い抜くその心意気、気に入った。貴様らの勇気をたたえ、永久にこの国の民が渇きで苦しむことはないと保証しよう」
チャク様……私たちを認めてくれたの?
もうろうとする意識の中で、私は今目の前で信じられないことが起きているのを感じていた。先ほどまで私たちを潰そうとしていた高位の神が、今度は逆にこの国を守護しようと言ってくれているのだ。
チャク様の体が、すうっと青空に溶けるように消えていく。その姿が完全に見えなくなる直前、チャク様はドラドに向けて労るように声をかけた。
「忘れ去られた神よ。残された時間を大切にするがいい」
チャク様が青空の向こうに消えていく。ドラドがふんと鼻を鳴らした。
「お節介な奴だ。神殿に戻るぞ、小娘。もうクタクタだ。……小娘?」
ドラドがハッとしたように私の顔を覗き込む。どうしてそんなに心配そうな顔をしているの? と思ったけれど、すぐに目がかすんで彼の表情がどんなふうなのか見えなくなってしまった。
「しっかりしろ! おい、小娘!」
ドラドに肩を強く揺さぶられる。私の視界は急速に暗くなっていった。
「小娘! 返事をしろ! 聞こえているんだろう!? ……リュイサ!」
ドラド……今、初めて私の名前を呼んでくれた?
口元が緩むのを感じる。
それと同時に、私は意識を手放した。




