離婚を目指して協力中(2/2)
「マズイわね……」
こんなところにいるのを見つかったら、今後はふたりそろって保管庫に出入り禁止になってしまうかもしれない。そうなったら、彼を天上界に返す方法を探せなくなってしまう。
つまり、離婚が遠ざかってしまうのだ。そんなのってないわ!
「ドラド、あなた神でしょう。こういう時に使えそうないい手を知らないの? 透明になる方法とか、神官長様をイグアナに変えちゃう術とか……。あとで人間に戻してくれればいいから」
「知っていたらとっくにやっている。……仕方ない。こうなったら奥の手だ」
さすが神だわ! 非常手段を隠し持っていたなんて! さっき頼りにならないなんて思ったこと、謝らないと。
けれど、ドラドがなぜかいきなり服を脱ぎだしたので、私は戸惑ってしまった。
「……ドラド?」
私が見ている前で、ドラドはケープを外し、貫頭衣を乱暴に放り出した。腰布一枚だけになった姿に、さすがの私も目のやり場に困らずにはいられない。
しかし、その次に待っていたのはもっととんでもない展開だった。ドラドは床に寝転がったかと思うと、私の腕をつかんで自分のほうに引き寄せたのだ。
わけも分からないまま、私はドラドと胸を合わせる格好で彼の上にうつ伏せになってしまう。理解が追いつかないうちに、「そこに誰かいるのか?」という神官長様の声が聞こえてきた。
「リュイサ! やはりお前……」
言いかけた神官長様は、通路の真ん中でポカンと口を開けて立ち尽くしてしまった。床に散乱した服と、半裸のドラドの上にのしかかっている私を穴が空くほど凝視している。
「いいところだから邪魔をするな」
ドラドが邪険な口調で言うと、神官長様は我に返ったような表情になる。そして、「し、失礼いたしました……」と言ってそそくさと退散していった。
「危ないところだったな」
神官長様の姿が完全に見えなくなり、足音も聞こえなくなると、ドラドが大きく息を吐き出した。顔には笑みを浮かべている。
「それもこれも、すべて私が機転を利かせたお陰だ。小娘、感謝しろ」
「……ええ、ありがとうね」
私はお礼を言いながら、ドラドに平手打ちを食らわせた。ドラドが、「何をするんだ!」と口元を引きつらせる。
「それはこっちのセリフよ。神官長様、絶対に誤解したわよ! 私が真っ昼間から公共の場であなたの服をひん剥いた、って!」
「別にいいだろう。どうせお前は前科者だ。以前に私の寝込みを襲おうとしたじゃないか」
「それは誤解よ! あなたって本当に分からず屋なんだから!」
抗議する際に振り回した腕が近くの棚に当たり、何枚かの石板が通路に落ちる。ドラドが「そんなに不満なら、早く私の上から退け」と刺々しい口調で言った。言われなくてもそうするわよ!
「神の頬を打つなんて……不届き者……礼儀知らず……」
ドラドが服を身につけながらブツブツと文句を言うのを無視し、私は落ちた石板を拾い集めていく。
ある発見をしたのは、その最中のことだった。
「ドラド!」
「やっと私を殴ったことを謝る気になったのか? 仕方ないから許してやっても……」
「そんなことはどうでもいいの! これを見て!」
私はドラドの鼻先に石板を近づけた。ドラドは「何が『そんなこと』だ」と大いに不満そうに言いながらも、石板を受け取って書かれた神聖文字を読み始める。
内容に目を通すうちに、ドラドの顔が段々と輝いていくのが分かった。興奮のあまり息づかいも荒くなっているようだ。
「でかしたぞ、小娘!」
最後まで読み終わったドラドは、私が無礼を働いたことなど間違いなく綺麗さっぱり忘れていた。石板を高らかに掲げて、喜びの声を上げる。
「ここに書いてあるのは、地上界と天上界を繋ぐ秘密の通路についてだ! そこを通れば、地上から天の国へ行ける……。私は帰れるんだ!」
「ええ、そのとおりよ」
私はニコリと笑って頷いた。
思いもかけず目的を果たしたことに満足しながら、まるで生まれたての我が子かと思うくらい大事そうに石板を抱えたドラドと保管庫の外に出る。……それ、勝手に持ち出しちゃっても大丈夫なの?
「必要な素材もあるし、色々と下準備が必要だな。小娘、お前も手伝うんだぞ。私は今から用意できそうなものを集めてくるとしよう」
早口で言うと、ドラドは石板を抱えたままどこかへ行ってしまう。私は足取りも軽く去っていく上機嫌のドラドの背中に向けて声をかけた。
「あなたを天上界に帰すためなら、私も何だってするわよ」
「ええ~! ドラド様、天上界に帰っちゃうんですかぁ~!?」
きゃぴきゃぴした声が聞こえてきて、私はドキリとしてしまった。まさか神官長様が待ち伏せしていたの!?
……と思ったら、廊下の端っこに立っていたのは腰をくねくねさせたエスティだった。それもそうよね。悪霊にでも取り憑かれない限り、こんなハチミツよりも甘ったるい声で神官長様が話すはずはない。
「そんなことになったら、リュイサ様は悲しいですよねえ。しくしく」
エスティが私の涙を拭うマネをする。予想外の発言に、「何ですって?」と私はポカンとした。いつもなら「何が『しくしく』よ」とツッコむところだけれど、呆気に取られて言葉が出てこなくなる。
「だって、旦那様がいなくなっちゃうんですよ? 辛いじゃないですか~」
何を分かりきったことを、と言いたげな顔でエスティが腰を振る。私は呆然としてしまった。
ドラドがいなくなったら辛い? そんなこと、一度も考えたことがなかったわ。
私はずっと、ドラドがいなくなったらどれだけすっきりするかということしか頭になかった。それなのに、いなくなったら今度は物足りなく感じてしまうかもしれないというの? そんなの、おかしくないかしら?
私は小さくなっていくドラドの背中を見遣る。急に気弱な心が頭をもたげてきて、私は慌てて首を振った。
「おかしなことばかり言わないで。それより勉強はどうしたの。今日は半島で信仰されている主要な神について学ぶ予定でしょう?」
「気が向いたらやりま~す」
エスティは当てにならない返事をする。賭けてもいいが、エスティの「気が向く」ことなど絶対にありはしないだろう。不肖の弟子は、これ以上お説教されては大変だとばかりにそそくさと退散していった。
一人になると、再び私の気持ちは複雑に揺れ動き始める。頭の中にエスティに言われた言葉が蘇ってきた。
――だって、旦那様がいなくなっちゃうんですよ? 辛いじゃないですか~。
「辛いなんて、そんなことあるわけないじゃない」
思わず口に出して反論したけれど、その声に少しだけ迷いが含まれていたような気がして、余計に心が乱れてしまう。
思い悩んでいるうちに、足が自然と中庭に向かっていた。視線が庭の池に咲く睡蓮に吸い寄せられる。ふと、最近、睡蓮の君と会っていないと気づいた。
大切な対の存在のことに考えが及んだ瞬間、私は急に心細い気持ちになった。
私が不安な時には、いつだって睡蓮の君が傍にいてくれたのだ。けれど今は、この不安定な気持ちにたった一人で向き合わなくてはならないのである。私は思わず自分で自分を抱きしめた。
睡蓮の君と最後に会ったのは、神聖結婚の儀が行われる前のことだ。その事実に、不穏なものを感じずにはいられない。
もしかして、睡蓮の君は私がドラドと結婚したことを怒っているのだろうか。だから私の前に出てきてくれないのかもしれない。
「私だって、ドラドと結婚したくてしたわけじゃないのよ?」
私は池の睡蓮に向かって、弁解がましく話しかける。こんなことをしても睡蓮の君に声は届かないだろうと分かってはいたけれど、言い訳せずにはいられない気持ちだったのだ。
「確かにドラドは短所ばかりじゃなくて、いい面もちゃんとあるわ。でも、私の対の存在はあなただけなの。ドラドじゃ睡蓮の君の代わりにはならないのよ。お願いだから分かって」
風が中庭を吹き抜け、池にさざ波を立てた。まるで睡蓮の君が私をなじっているように、水面に咲く花がさわさわと揺れる。いたたまれなくなって、私はうなだれた。
「たとえ触れられなくても、言葉を交わせなくても、私はあなたがいいのよ。実体があるからってドラドを選ぶなんてこと、絶対にしないわ。だからもう一度私の前に出てきて、睡蓮の君……」
呼びかけに答える者は誰もいない。
もしかして、もう二度と睡蓮の君に会えないの?
そうなったら、私はどうしたらいいんだろう。
恐ろしい想像に身の毛がよだつ。私にとって、睡蓮の君は何物にも代えがたい存在なのだとあらためて実感したような気がした。
睡蓮の君が永遠に姿を見せなくなることに比べたら、ドラドがいなくなってしまうことなんて、きっと何でもないはずだ。悲しいとも辛いとも思わないに違いない。
「……ドラドが天上界に帰ったら、また私に会いにきてちょうだいね」
私は絞り出すようにそれだけ言うと、中庭を出た。こうなったら、何が何でもドラドを元いた場所に戻さなければならない。そうして睡蓮の君に、私の対の存在はあなた以外にあり得ないとはっきりと示すのだ。




