祝勝会と、氷の公爵の甘い本音
祝勝会と、氷の公爵の甘い本音
王城での大立ち回りを終え、私たちは王都にあるアルヴィン公爵家の別邸へと帰還した。
グランツ商会の完全乗っ取りという前代未聞の事後処理は、すでにサクヤの手によって王都の商業ギルドと法務局に叩きつけられ、不可逆の事実として受理されている。
広間の中心で燃え上がった黒い炎の呪具に関する調査も、公爵家の騎士団と王室の近衛が合同で処理に当たることになり、私たちは早々に城を辞すことができた。
別邸の最上階、夜景が見渡せる瀟洒なプライベートラウンジ。
ふかふかの絨毯を踏みしめ、私はようやく、張り詰めていた肩の力を抜いて深く息を吐き出した。
「――お疲れ様でした、社長、そして公爵様」
執務机に書類の束をドンと置きながら、サクヤが眼鏡をクイッと押し上げた。
疲労の色など微塵も見せない彼女は、悪魔のように――もとい、極上の営業スマイルを浮かべている。
「グランツ商会が保有していたすべての特許と設備の譲渡手続き、および彼らの負債の相殺処理、完璧に完了いたしました。明日から、彼らの商会は我がアエギス商会の完全なる『下請け部門』として再稼働しますわ」
「本当に……お疲れ様、サクヤ。あなたが法的な退路を全て塞いでくれたおかげよ」
私が心から労いの言葉をかけると、サクヤは「当然の仕事をしたまでです」と微笑んだ。
そして、チラリと私の隣に立つクラウス様へ視線を移す。
「物理的な防衛も、完璧でした。……特に、最後の得体の知れない炎から社長を守り抜いたあの剣撃。法務顧問として、公爵様の『盾』としての性能に文句のつけようがありません」
「サクヤから合格点をもらえるとはな。光栄の至りだ」
クラウス様がフッと口角を上げると、サクヤは満足げに頷き、素早く手元の書類を鞄にしまった。
「さて。王都のギルドへ出向いて、細かい権利関係の引き継ぎと、元婚約者殿の『ポポロ村鉱山行き』の手配を済ませてこなければなりませんので。私はこれで失礼いたします」
「えっ、今から!? もう深夜よ、明日の朝でも……」
「鉄は熱いうちに打て、ですよ。……それに」
サクヤは歩き出し、ラウンジの扉に手をかけたところで、振り返って私に片目をウインクした。
「すべてが終わった後の『祝勝会』に、野暮な法務顧問が同席するわけにはいきませんからね。……存分に、イチャイチャして愛を深めてくださいませ、ご両人」
「なっ……! さ、サクヤッ!?」
パタン、と。
私が顔を真っ赤にして抗議するより早く、サクヤはさっさと扉を閉めて退室してしまった。
ラウンジに、静寂が落ちる。
残されたのは、私と、クラウス様の二人きり。
「……あいつは、本当に有能で、気が利く親友だな」
クラウス様が、低く喉を鳴らして笑った。
その声にビクッと肩が跳ねる。
王城での戦闘を終えた彼は、カッチリと着込んでいた軍装の第一ボタンを外し、クラヴァットを少し緩めていた。その少しだけ着崩した姿が、ただでさえ規格外の美貌を持つ彼に、危険なほどの色気を纏わせている。
「あ、あの……お疲れ様でした、クラウス様。お怪我などは……」
「ああ、全くない。それよりも、お前こそ無事か? 足は疲れていないか?」
クラウス様はゆっくりと私に近づき、ラウンジの中央にある大きなソファへと私を導いた。
「座れ」と促され、私がこわごわとソファの端に腰を下ろした、次の瞬間。
「えっ……きゃっ!?」
手首を軽く引かれたかと思うと、世界が反転した。
気がつけば私は、ソファに深く腰掛けたクラウス様の、厚く逞しい太ももの上――つまり、彼の膝の上にすっぽりと収まっていたのだ。
「ク、クラウス様!? な、何を……っ!」
「……祝勝会だろう? 妻を労うのは、夫の義務だ」
そう言って、クラウス様は私の背中から腰へと両腕を回し、逃げられないようにギュッと強く抱きしめた。
私の顔が、彼の大胸筋に押し付けられる。軍服越しでも分かる体温と、力強い心音。そして、彼特有の清涼な香りが私を包み込んだ。
「あの、クラウス様、私たちはビジネスパートナーで、契約結婚で……その、こんな、距離が近いのは……っ」
顔から火が出そうになりながら、必死に契約の建前を口にする私。
だが、彼を拒絶するために腕を突き放すことなど、どうしてもできなかった。王城で彼に庇われたあの瞬間から、私はもう、彼への恋心を完全に自覚してしまっているのだから。
「契約結婚、か。……そうだな。俺も最初は、お前のその狂った頭脳と、サクヤの法務能力を領地に囲うための、ただの『利益』のつもりだった」
クラウス様は私の肩に顔を埋め、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「だが、お前が深夜の工房で一人で作業している背中を見た時。俺の淹れたコーヒーを飲んで、無防備に笑ってくれた時。……お前が俺の妻であることが、俺の人生において、何よりも得難い喜びに変わっていた」
低い声が、私の鼓膜を震わせる。
冷徹で合理的な『氷の公爵』が、これまで絶対に見せなかった、熱を帯びた感情の吐露。
「……今日。あのルーファスが、黒い炎をお前に向けた瞬間。俺は生まれて初めて、恐怖というものを知った」
私を抱きしめる彼の手のひらに、ギリッ、と強い力がこもる。
「氷魔法の神童と呼ばれ、どんな戦場でも血の気を失ったことなどなかった俺が。お前を失うかもしれないと想像しただけで、心臓が凍りつきそうになった。……ただのビジネスパートナーに、こんな無様な感情を抱くものか」
「クラウス、様……」
「アカネ。俺はもう、お前を手放す気はない。契約の期限が切れようと、王家が何と言おうと、お前は一生、俺の妻だ」
それは、最強の公爵からの、絶対的な所有の宣言。
そして、あまりにも不器用で、重くて、甘い――愛の告白だった。
胸の奥が、熱い涙で溢れそうになる。
前世では、誰からも正当に評価されず、ただすり減るだけの社畜だった。
今世でも、ルーファスにアイデアを盗まれ、無能のレッテルを貼られて捨てられた。
「私の価値は、私が生み出す利益にしかない」。そう思って、必死に虚勢を張って生きてきた。
でも、この人は違う。
私の頭脳や能力だけでなく、徹夜明けのボロボロの私に温かいコーヒーを淹れ、危険が迫れば自らの身を挺して守り抜いてくれた。
私の心の一番脆い部分を、これ以上ないほど過保護に、甘く包み込んでくれた。
私は、彼の胸板に押し当てていた手をゆっくりと動かし、彼の広い背中へと回した。
ギュッと、しがみつくように抱きしめ返す。
「……私も、です」
震える声で、私は告げた。
「私も、契約なんて……もう、どうでもいいです。クラウス様に守ってもらった時、あなたが私の夫で良かったと、心からそう思いました。……あなたの本当の奥さんに、なりたいです」
私の言葉を聞いたクラウス様は、大きく息を吸い込み、腕の力を少し緩めて私の顔を覗き込んだ。
その氷青の瞳は、まるで春の訪れを知った湖面のように、優しく、深い熱を帯びて揺らめいている。
「……後悔はさせない。お前の望むすべてを叶えよう、俺の最愛の妻」
クラウス様の大きな手が、私の頬をそっと包み込む。
そのままゆっくりと距離が縮まり、彼の熱い唇が、私の唇に重なった。
最初は、触れるだけの優しいキス。
やがて、これまでの契約という壁を完全に壊すように、深く、甘く、そして独占欲に満ちた口付けへと変わっていく。
私は目を閉じ、彼の熱に身を委ねた。
息が詰まるほどの深い愛情の中で、私の心にこびりついていた前世からの孤独なトラウマは、跡形もなく溶け去っていた。
私たちは、本当の夫婦になったのだ。
翌朝。
眩しい朝日に目を覚ますと、私は公爵別邸の寝室の、広すぎるベッドの中にいた。
「ん……」
寝返りを打つと、すぐ隣に、上半身裸のクラウス様が心地よさそうな寝息を立てている。
昨晩の甘すぎる出来事を思い出し、顔がボンッと沸騰した。
契約結婚から本物の夫婦になった私たちは、祝勝会と称して、夜明け近くまでその……たっぷりと、夫婦の愛を深め合ってしまったのだ。
「……おはよう、アカネ」
モゾモゾと動いた私に気づいたのか、クラウス様が目を覚まし、長い腕で私を再び胸の中へと引き寄せた。
「お、おはようございます、クラウス様……あの、もう起きないと」
「もう少しこのままでいさせろ。……昨晩は、お前の素顔をたくさん見られて、最高だった」
「っ〜〜! お願いですから、忘れてください!」
私が真っ赤になって彼の胸をポカポカと叩くと、クラウス様は愉快そうに低い声で笑い、私の額にチュッと朝のキスを落とした。
公爵様のこんなデレデレな姿、領地の騎士たちが見たら腰を抜かすに違いない。
幸せな朝の空気に包まれながら、私はふと、昨夜の王城での出来事を思い出した。
「クラウス様。……昨日のルーファスが使った、あの黒い炎の呪具ですが」
私の問いかけに、クラウス様の表情から甘さがスッと消え、公爵としての理知的な顔に戻った。
「ああ。騎士団からの報告を待つまでもない。あれは、人間の技術で作られた魔導具ではない」
「人間の技術ではない……?」
「アナステシア世界の理とは違う、上位存在の干渉。……平たく言えば、『神』の力が宿っていた」
クラウス様の言葉に、私は息を呑んだ。
ルナミス帝国などには、天上界に住まう神々が『ゴッドチューブ』なる配信サイトを運営し、下界の動向をPV(視聴率)稼ぎのコンテンツにしているという都市伝説のような噂がある。
「おそらく、ルーファスの背後には、我々の知らない『厄介なスポンサー』がいたということだ。あいつは何も知らずに神のアイテムを使わされ、踊らされていたのだろう」
「そんな……じゃあ、グランツ商会を潰した私たちのことも、その『神』は見ていたということですか?」
「だろうな。だが、恐れることはない」
クラウス様は私の頭を優しく撫で、そして、絶対的な自信に満ちた不敵な笑みを浮かべた。
「相手が王家だろうと神だろうと、私の妻の事業を邪魔するならば、叩き斬るだけだ」
「ふふっ。頼もしいですわ、旦那様。……ええ、そうですね。神様が相手でも、サクヤの法務能力と私の『概念設計』なら、きっと新しいビジネスチャンスに変えられますわ」
最強の盾であり、最愛の夫となったクラウス様。
そして、絶対に私を裏切らない親友のサクヤ。
この二人と一緒なら、どんなスケールの敵が現れようとも、絶対に負ける気はしなかった。
さあ、私たちの『アエギス商会』の次なるターゲットは、未知なる特産品が眠るポポロ村の開拓と、天上界の神々だ。
私たちの痛快で、規格外で、そして甘い愛に満ちた成り上がり劇は、まだ始まったばかりなのだから。
(第1章・完)
これにて第1章「氷の公爵と最強の契約結婚」は完結となります!
ここまでお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました!
契約結婚から始まった二人が、数々の危機と痛快なざまぁを経て、ついに本当の夫婦として甘く結ばれました。
社畜として孤独に戦ってきたアカネが、最高の親友と、すべてから守ってくれる最強の夫を得て、幸せな居場所を手に入れることができたのも、読者の皆様の応援のおかげです。
第1章はこれにて一区切りとなりますが、アエギス商会の躍進はまだまだ止まりません!
次回からの第2章では、謎の神々「炎上神ワイズ」の影や、ポポロ村で出会うヤバすぎる(?)新キャラクターたちが登場し、スケールアップした事業無双と、クラウス様の過保護な溺愛がさらに加速していきます。
「二人の甘い朝にニヤニヤした!」「大団円でスッキリした!」「第2章の神様との対決も読みたい!」と思っていただけましたら、
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(※皆様の星での評価と【ブックマーク】が、第2章を執筆するための最高のガソリンになります!)
引き続き、アエギス商会と彼らの物語を愛していただければ幸いです。ありがとうございました!




