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ヴァルナイア会戦Ⅱ

 イディア軍が司令官の号令を受けて走り出す。

 イディアの軍は軽装騎兵を中心に編成されている。ウィルヘルミナ軍最速の兵団だ。彼女は驚くべき速さでロックウッダー軍の側面に回り込んで弓矢による攻撃を仕掛けた。それに呼応してティン軍も攻撃を強め、正面から圧迫を加えた。ティン軍とイディア軍の兵力は併せて三万、ロックウッダー軍の兵力は二万一千。兵の質もウィルヘルミナ軍が上回ってることからイディアは大した時間もかけずに敵軍を敗走させられると考えた。

「ウィルヘルミナ軍、来ます!」

 参謀は悲鳴に近い報告を述べた。それほどまでにイディア軍の動きが速かったのだ。

 直面している危機に関わらず、ロックウッダーは平然としていた。

「あの猪め、やはり突撃したか。お前たち、指示通りだ。いいな?」

「はっ」

 苦々しい笑みが彼と彼の部下たちの顔に浮かぶ。アルディスの部下として彼はバアルと共に何度も戦った。アルディスからの攻撃禁止命令がない限り彼の性格上、ここで突撃しないということはあり得ないのである。アルディスとしても彼の突撃で戦場を乱すことを目的としているように思える。

 彼は隣のバアルが突撃することを予期していた。そこを突いてイディア軍が側面に回り込んでくることも分かっていた。なので彼はそれに対処する方法を事前に生み出し、右隣のリッケと前線指揮官たちに通達していた。

 指揮官たちは素早く、そして巧みに陣形を動かした。イディア軍の正面には防御力の高い重装歩兵を並べて攻撃を防ぎ、軽装騎兵を側面に送り込んで動きを鈍らせる。イディア軍の動きはロックウッダーも予想できていないほどの素早さだったがロックウッダー軍は辛うじて大損害を免れたのである。

 同時に右側の部隊を後退させてティン軍の攻撃を右に受け流す。ティン軍の先頭部隊は隣の戦場から流れてきたリッケ軍とロックウッダー軍の挟撃を受けたのである。

「まずい! 後退させろ!」

 ティンの判断は速く、先行した部隊は軽微な損害を被ったのみだったのだがロックウッダーの騎兵による攻撃を受けた。騎兵たちは深追いを禁止されていたのだが、より多くの戦果を稼ぐべく、逃げる敵を追って本軍から離れてしまった。

「騎兵での戦いなら負けねえよ!」

 ティンは精鋭部隊を率いて突出してきた帝国軍騎兵の側面を突いた。彼は愛用の弓で次々と敵兵を射抜いた。近づいてきた敵に対しては剣で対処した。彼らの奮戦によって帝国騎兵隊は分断され、先頭の部隊は包囲の憂き目に遭い、壊滅した。

「だから深追いするなと言ったのだ」

 ロックウッダーは舌打ちして救援部隊を差し向けたが、戦場に駆け付けた頃にはウィルヘルミナ軍は後退しており、軽く矢を浴びせられ、敗残兵を保護して本軍に戻った。

「判断が早いな。これがウィルヘルミナ軍の将か。新しい時代を感じるな」

 アルディスの副将とも呼ぶべき帝国の名将は顔も知らぬ敵将に思いを馳せた。敵ながら敬意を覚えたのである。

 彼はティン軍に集中した。イディア軍に対しては意識を向ける必要はなかった。

 イディアは差し向けられた騎兵を撃退し、重装歩兵の陣列に綻びを作ったところで退却せざるを得なかった。ヴェレン軍に撃退されたバアル軍が戻ってきたからだ。ヴェレン軍に追われているがまだ主力は健在であるように見えた。この場に留まれば挟撃を受けることは分かり切っている。

 彼女はすぐにそう結論を出すと後退を命じた。

「よいのですか? 乱戦に持ち込むことができれば…」

 彼女の軍は持ち場に戻るために移動を開始する。副官のアルネが尋ねる。

「いいのよ。あえてリスクを冒す必要はないわ。ここで耐え抜けば敵はいずれ撤退せざるを得なくなる。私たちは敵が致命的な弱点を晒さない限り陣形を変えなくていいのよ」

 帝国軍はそうはいかないだろうけど、と続けようとした彼女の元に悲鳴に近い報告が届けられた。

「バアル軍、こちらに向かってきます!」

「は?」

 イディアは困惑を隠せなかった。

 バアル軍はヴェレン軍の執拗な攻撃を受けながらも、退却しているイディア軍を発見して攻撃を敢行したのだ。

「後ろに構うな! 前方の敵に突き進めー!」

 バアル軍はわき目も振らずイディア軍に突っ込んだ。イディアの兵士たちは散り散りになって逃げ惑った。

「今だ。敵が崩れたぞ!」

 ロックウッダーはイディア軍に対しての総攻撃を命令した。帝国軍は逃げ遅れたイディア兵に襲い掛かる。

 だがイディアの判断は迅速を極めた。剣を振り上げ、混乱を極める将兵たちに向けて可能な限り大きな声で叫ぶ。

「敵の突撃に合わせ陣形中央を後退し凹陣を敷きなさい。そして突出している敵の先頭に攻撃を集中!」

 兵たちは混乱状態の中でもよく指示に従った。下級指揮官たちは兵を叱咤し、陣形を組み直す。その動きの速さも彼女の軍の特色であった。

 イディア軍は凹型の陣形を組み、猪突してくる敵軍を待ち構えた。

「撃て!」

「撃てー!」

 各指揮官の号令が戦場に響く。

 飛び込んできた帝国軍に三方向から矢を浴びせた。帝国兵は絶鳴を響かせ、大地に倒れていく。兵の多くが盾を装備していたものの、盾が効果を発揮できるのは一方向だけ。残りの二方向からの攻撃に対しては全くの無力であった。友軍同士功を競うように前進していたバアル軍とロックウッダー軍は自ら死地に向かって突進していたのだ。猛進しようとするバアル軍兵士と後退しようとするロックウッダー軍兵士がぶつかり合い、格好の餌食となる。

 ヴェレン軍とティン軍が態勢を整えて帝国軍の側面に攻撃を仕掛ける。彼らはほとんど抵抗を受けず、戦果を多いに挙げた。

 ロックウッダーはイディア軍の動きの速さについて見誤っていたことを認めざるを得なかった。状況を正しく認識し、後退を決定する。防御力に欠けるバアル軍を先に下がらせ、時に最前線で槍を振るいながらも陣形を整えて後退することができた。

 両軍はしばらく睨み合いを続けていた。互いに想定以上の損害を出し、その把握や兵の休息を必要としていたからだ。

 無意味な小競り合いを数度繰り広げ、やがて太陽は西の地平線の彼方に姿を消した。両軍は全体的に戦闘を中止し、野営を行った。


 各将軍からの報告を受けたシェルイはまずまずの結果で納得せざるを得なかった。右翼は多少の被害を受けたものの、それ以上の損害を敵に対して与えることができた。左翼は膠着状態が続き、これといった戦果も損害もなく、中央のシェルイ軍は正面のアルディス軍と終始睨み合っていただけで一戦もしていない。

「アルディス本隊は動かなかったね」

 ディアナが言う。

 とっくに日は沈み、兵たちは身を休めている。もちろん夜襲の可能性があるため見張りの兵はいるのだがシェルイは夜襲の可能性を低いと見ている。夜目が利くウィルヘルミナ兵相手に対して効果は少ないだろう。

「いやー、怖かったなー。動かなすぎて不気味だった」

 ふやかした干し肉を齧りながらシェルイは答える。

「動けば恐ろしく、沈黙していても侮れない。真の名将にございますな。あの敵は」

 クリュウが敵を称賛する。誰も彼を諌めることはしなかった。他の誰でもないシェルイが彼を比類なき名将であると認めているからだ。不思議と彼に対して憎悪の類は生まれなかった。クジェや多くの将兵を彼のために失ったというのにシェルイの胸の中には敵意だけでなく一種の敬意のような感情が生まれていた。

「どうにかドゥダイかクトゥのどっちかが敵を突破できればアルディス本隊を挟撃できるんだけど…」

 シェルイの計画は非常にシンプルであった。どこかのウィルヘルミナ軍が敵を突破し、シェルイ本隊と共にアルディス本陣を攻撃して討ち取る。それが唯一の勝ち筋である。彼を討ち取ることができれば残りの将はどうにかできる。

 エリウがシェルイの隣に座る。

「心配しなくていいんだよ! 私たちがいるから!」

 彼女は戦場に似つかわしくない燦然と輝くような笑みを見せた。

「難しいことはわかんないけど…私は誰にも負けないよ!」

 大鎌を振り上げる。特に何も考えていない蛮勇とも呼べる発言であるが、野営地に重くのしかかる黒い空気を打ち払うには十分であった。兵士たちは顔を見合わせて笑う。

「だな、あれこれ考えてもわかんねえ。やれるだけやってあとは流れでどうにかしよう」

 シェルイは酒を呷った。計画を立てるのも大事だが戦場では筋書き通りにいくことの方が少ない。十万からなる軍勢がぶつかりあう大戦ならば尚更だ。状況を見て少しずつ、時には大胆に計画を修正しなければならない。

「シェルイ様、お酒はお体に障ります」

 シャルがシェルイの手から酒盃を取り上げる。シェルイは取り戻そうと手を伸ばすが彼女はひょいと避けた。

「いいじゃんか一杯くらい。体が求めてるものが体に悪いわけないだろ」

「いけません。最近、お酒の量が増えていると聞いています。禁酒してください」

「最近?」

 最近のシェルイは確かによく酒を飲んでいた。だがシェルイは帝国領に攻め込み、シャルはザーラで待っていたのだから彼女がシェルイの酒量を知っているはずがないのだ。戻ってから彼女に酒の話をしていない。彼の天才的な頭脳は高速で回転し、一つの答えに辿り着いた。

「お前ら、バラしたな?」

 シェルイは周囲の兵士たちを睨む。兵士たちは一斉に顔を逸らす。驚いたのはシェルイだった。

「え、嘘だろ。お前ら全員…」

「そうだよ! みんなシャルにお願いされてお酒とかの量を監視してたんだよ!」

 エリウが言った。

「お前ら全員裏切り者じゃねえか!」

 シェルイは立ち上がって叫んだ。

「一人や二人ですと抱き込まれてしまう可能性もあるのでいっそ全員にと」

「こいつら一切俺の飲酒止めなかったんだけど!? 何ならみんなで酒盛りしたよ! 何で止めるんじゃなくて密告の方にいくんだよ!」

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