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ヴァルナイア会戦Ⅲ

翌朝、帝国軍は配置換えを行い、リッケとバアルの配置を転換した。バアル軍は正面のドゥダイ軍にお得意の猛攻を叩き込んだ。ドゥダイは最前線で大剣を振るってバアル軍を迎え撃った。兵を叱咤して戦線の維持を図った。

「敵は我が軍を撃破し、そのまま王の側面に攻撃を仕掛けるつもりだ。王の元にこの猪を行かせてはならん! 王の死即ち王国の死だ!」

 よく通る声で演説を行いながら崩れかけた戦線があれば僅かな手勢を連れて助けに向かい、バアル軍の全面攻勢に立ち向かった。彼と彼の兵士たちは善戦を演じてみせた。



一方、ウィルヘルミナ王国軍左翼、帝国軍にとっては右翼である部分でも激しい動きが起こった。左翼の端に位置するメージェベスが相対する帝国軍アークリーチ隊に積極的に攻撃を行ったのである。驚くべきことに彼は現有戦力二万騎のうち半数である一万騎という兵力で攻撃を仕掛けた。対してアークリーチ軍は一万七千の大軍である。彼は兵士たちに防御を命じた。

「昨日の半数しかいない。何かあるな。夜のうちに我が軍の後背に回り込ませたか? いや、密偵を山ほど放っている。一万の大部隊を見逃すはずがない」

 アークリーチは人差し指で膝を断続的に叩きながら思案を巡らせる。血気に逸る参謀が進言する。

「どのような敵であれ数は我が軍の半数! まずは目の前の敵を包囲・殲滅なさるがよろしいでしょう!」

「駄目だ」

 若き帝国軍将校は首を横に振った。

「聞いた話であるとあの敵を率いるのはウィルヘルミナ王国王妃の父であり、知将猛将と呼ばれた名将だ。寡兵で閣下に挑み、善戦したという」

 青い双眸が鋭い視線を放つ。彼は主君に信頼されて翼の端に配置されたのだ。能力の欠乏故に敗れるならまだしも、思考や警戒を怠り油断した結果の敗北など決して晒せるはずがない。

「私が彼であったらきっとそのようなことはできない。優れた敵には相応の敬意を払って対処せよ。侮れば我らが敗退の憂き目を見ることになるぞ」

「はっ。出過ぎた真似をいたしました」

 参謀は恥入って頭を下げる。アークリーチは小さく笑う。

「良い。平静を保っているが私もまたこの決戦において血が湧き立っている。王国と帝国の命運を左右する一戦だ。だからこそ我らには敗北は許されない。各々粉骨砕身して使命を果たせ」

「ははっ!」

 彼は若いが温厚で謙虚な性格であるために将兵からの人気が高かった。目上には敬意を表し、同僚を支え、部下には仁慈を見せる。帝国上層部からも気に入られていた。

 人格の良し悪しと軍事的才能の有無は得てして別の問題であるのだが、彼はその両方を高い水準で備えていた。

「敵の目的は右翼右端の我が軍であることに疑いない。アーガス、ミーシャ軍に伝達してくれ。状況によっては援軍を求めることになると」

 彼は若くして万の軍勢を委ねられる才覚を有し、その才能と経験に対する自尊心を強く持っていた。しかし勝利のためには個人の自尊心など取るに足らないものであると理解していた。自分の力でどうにかできることは自力で片付ける努力をするが、どうにもならないことであれば協力を求めることに躊躇いのない男である。

「ウィルヘルミナ軍射撃来ます!」

 帝国兵前列部隊の兵士にウィルヘルミナ兵の矢が降った。重装甲の兵士たちも高密度の矢を相手に長く生存できるはずもなかった。

「前列部隊の一箇所を敢えて崩せ。敵はそこに飛び込んでくる。そこを包囲して擦り潰すのだ」

 彼は遊牧民の戦い方を知っている。軽装騎兵が矢を射掛け、敵の陣列が崩れたところに重装騎兵を送り込み、蹂躙する。それが彼らのやり方だ。面白みのない戦術であるが基本戦術である。

 アルディスに痛打を喰らわせた男がその程度の罠に嵌るとも思えなかったが相手の癖を探るためにこちらも仕掛けなければならない。命令は即座に実行され、陣形の左側に綻びが生まれた。ウィルヘルミナ軍は突撃の太鼓を鳴らし、メージェベスを先頭にそこへ向かってきた。帝国兵は敵が罠に自分から飛び込んでくる瞬間を今か今かと待ち構えた。だがメージェベスは彼らの罠に嵌ることを良しとしなかった。激突直前で方向転換を行い、帝国軍最前列に沿って北へ走った。腹いせに近くの帝国兵に攻撃を叩きつけた。

「何を狙っている?」

 彼にとって目の前の敵の意図が読めなかった。

「ようし、ここで突撃!」

 メージェベス軍は帝国軍の陣形に食い込んだ。

 彼とその軍はのたうち回る大蛇のように暴れ回った。縦横無尽に駆け巡り、後方部隊にも攻撃を加えた。帝国兵はその対処のために全軍兵士が引き摺り回された。

「ははァ! 死ねェ!」

 メージェベスはこれまでの雪辱を晴らすべくその激情を目の前の敵に叩きつけた。すでに四十人以上の兵士が彼の手によって異国の野に屍を晒すことになった。

「もっともっと殺せ! ウィルヘルミナの大地は侵略者の血を求めているぞ!」

 彼は上機嫌に暴れ回る。そんな彼の前に豪奢な鎧を身に纏った中年の騎士が躍り出た。アークリーチに従う十人の大隊長の一人ドン・エルホンである。

「これ以上の狼藉は許さん!」

 槍を扱き、半白の長い髭を揺らしてメージェベスに正面から斬りかかる。両者は正面からぶつかった。エルホンはメージェベスの槍を受け止めることに成功したものの、数人のウィルヘル兵が放った矢が眉間や首に突き刺さり、馬上から転げ落ちた。彼は一騎討ちを求めていたのだがメージェベスは全くそれにこだわりがなかった。戦場での一騎討ちを求めるならばウィルヘルミナ軍は最悪の相手だった。将から兵まで集団戦術を叩き込まれており、一騎討ちに特殊な状況下以外ではその意味を見出していない。

 主将を失ったエルホンの部隊は散り散りになってウィルヘルミナ軍の攻勢を背に受けることになった。

「エルホン将軍、討ち死に!」

 信頼を置く部下の戦死をアークリーチ悲しんだ。胸に手を当てて神の祝福あれと祈り、再び戦場に目を向ける。

 自軍より遥かに少数の軍勢のためにアークリーチ軍は大いに陣形を乱されてしまった。この状況に対していくら温厚なアークリーチであっても舌打ちを漏らした。

「何たる無様な戦場だ! 一度全軍を後退させ、陣形を組み直せ!」

 アークリーチは叫んだ。

「ですがご覧ください。敵は疲れて勢いを失っています。敵の行動限界点を待って総攻撃に移るべきでは?」

「そんな暇などあるか。あの部隊が疲れた頃に残りの半数が突っ込んでくるに違いあるまい。それより早く陣を後退させろ。間に合わなくなるぞ!」

「は、ははっ!」

 アークリーチ軍は少しずつ後退を始めた。しかしその動きは遅々として進まず、業を煮やしたアークリーチは自ら陣頭に立って指揮を執る羽目になった。

 しかしその作業が完成する前に残りの半数の部隊が突っ込んできた。

「心配するな。確かに奴らの動きは脅威だ。だがそれは先頭を走る者の武力に依存する戦い方だ! 敵にあれほどの豪傑が二人もいるとは思えん」

 彼の言葉は正しかった。確かに敵陣に突っ込んで暴れ回って陣形を破壊するには全軍の団結力と武力がある程度必要とされるものの、ものを言うのは先頭を走る者の戦闘力である。メージェベスは自他共に認める強者であったから特に問題はなかった。今しがた突入してきた部隊に彼と同じだけの戦士はいなかった。彼を上回る戦士なら一人だけいるのである。その戦士は鎧兜に身を包み、大斧を左右に振り回して帝国兵を薙ぎ払う。まるで庭の雑草を刈っているかのような光景であった。

「ヘル殿、次は右に!」

 大斧を持った戦士の後ろを駆ける兵士が叫ぶ。

 ヘルと呼ばれた戦士は小さく頷くと進路を右に変更した。その戦士はウィルヘルミナ王シェルイの主席護衛官その人であった。シェルイは右翼の均衡を崩すためにヘルを送り込んだのだ。この戦場だけではない。まだ戦いが始まっていない中央の軍で精鋭を休ませておくことを良しとせず戦場に護衛官や護衛兵などの精鋭を僅かに送り込み、戦力としている。もちろん、アルディスに見抜かれないように大っぴらに動かすことはできないが。その中で彼女はシェルイの期待通り、メージェベス以上の破壊力をもって帝国兵を蹴散らしたのである。

「ヘル殿、お次は左に、あ、そっちじゃないです。そっちは右です」

 帝国の将兵にとって彼女は歩き回る殺戮でしかなかった。兜から覗く瞳には一切の慈愛も情けもない。帝国兵の首や腕が舞う。

 虐殺とも呼ぶべきその惨状を見ていた、否、目を背けることを許されなかったアークリーチは友軍に救援を求めた。

 前もって連絡していたためアーガスとミーシャからそれぞれ四千の兵が到着した。アーガス軍と対峙していたヤムハは六千の兵をメージェベスに対して援軍として送った。こうして開戦二日目にしてこちら側も激戦に発展したのである。

 そしてこれまで沈黙していた軍団の旗が戦場に翻る。


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