勝利を求める者
ミーシャら敗残兵は南の友軍に希望を見ていた。だが連合軍を追いかけていた帝国軍もまた壊滅の憂き目に遭っていた。連合軍を率いているのはウィルヘルミナ王国の将軍ヤムハ。潰走を装いながら帝国軍を南に誘い出していたのである。目的は二つ。一つは城を守る部隊を城から遠ざけて砦の奪還を助けること。二つは帝国軍を罠に誘い込むこと。
両軍は森の中を駆ける。足の遅いネテア歩兵はすでに多くが討たれていた。帝国兵は自らの勝利を疑わず、無秩序な追撃を続けていた。その報いを受ける未来はさして遠いものではなかった。
左右の森林の中から無数の矢が飛び出してきて帝国兵に降り注ぐ。死を運ぶ羽毛を纏った木と鉄の雨は目の前の獲物に熱中していた狩人を、いや自らを生態系の頂点に立つ狩人と思い込んでいた下級捕食者たちを貫いた。感覚と身体能力が優れた一部の者以外は体のどこかに矢を突き立たせた。そうでなくても馬に矢が刺さり、落馬を余儀なくされた。矢の雨が止んでも彼らに救いは訪れない。ヤムハ率いる部隊が反転し、帝国軍を大いに叩きのめしたのだ。
「なぜだ…なぜ…?」
帝国軍将兵が呟く。何に対してなぜと問うたのか。追う側であった自分たちが狩られる側になった理由か、電撃作戦を仕掛けたはずなのにウィルヘルミナ軍が想定以上に柔軟な対応ができた理由か、そもそもどこからこれだけの将兵を集めて来たのか。その場にいた者の多くがその答えを得ることなく異国の地に屍を晒すことになった。
惜しむべきは総司令官アルディスは非凡な戦略的・戦術的才能を持つために他者にもある程度の能力を要求してしまうことだった。後方将校であるミーシャにはそういった才能を期待していなかったが彼女や城を守る武将たちにはそれなりの才能を要求していた。実際、彼らは優秀な人材であった。だが勝利を前に昂る熱狂を自制心の楔で引き留めることができる者はあまり多くなかった。ウィルヘルミナ王ですら先の戦いで「より大きな勝利」を求めてアルディスに敗北し、現在、ロックウッダー率いる帝国軍に対し決定的な勝利を手にするべく帝国領奥深くに攻め込んで自国領内に宿敵を侵入させる結果となったのだ。本来であればロックウッダーらの誰かに任せていたのだがウィルヘルミナ王を引き付けるために国内に残してきた。残る下級指揮官たちに敵地内での重要な作戦を任せることになったのだ。
「武勲を立てろ。帝国を倒せ」
ヤムハは槍と剣で大きな武勲を立てた。勇敢に立ち向かってくる敵兵を容易く斬り倒し、敵将を二人討ち取った。逃げ出した帝国兵を追撃し、そこでも多くの兵を討った。
実はウィルヘルミナ軍には余裕などなかった。左右の森の中に潜んでいたのはウィルヘルミナ軍の正規兵などではなかった。王国西部の非戦闘員である。非戦闘員といっても狩りで鍛えられた馬術と弓術で並みの帝国兵であれば負けることはない。彼らを森に隠して矢を射掛けさせていたのだ。
問題はアルディス率いる本隊だった。未だ十万の大軍である。砦内の食糧を焼かれたとはいえ彼ら自身が携帯している食糧も残っている。それがあれば一週間は軍事行動が可能である。それだけあればウィルヘルミナ王都ザーラを陥落させることも容易い。ザーラには城壁はなく、各国会議のために建てた宮殿のような建物や政務のための質素な小屋しかない。住民もいるがほとんどが遊牧民であり、すぐに避難できる。首都という概念が希薄な遊牧民にとって首都が陥落したところで心理的な影響は比較的軽微だが問題は地理的要因だ。王国中央部に存在するザーラを失えば帝国は王国北部、東部、南部を各個撃破して支配下に置くことができる。ゆえに首都と呼ぶにはあまりに粗末な街であるが一万の守備兵がいるのだ。だがその数字もアルディス率いる帝国軍十万の前にはあまりに脆く、意味をなさない数字である。数も少なければ将もいない。アルディス軍から首都を守り抜くのは不可能であった。
追い散らされた帝国軍をウィルヘルミナ・ネテア軍は追わなかった。急行軍によって疲れていたし陣形も崩れていた。その状態で彼らの主君を破ったアルディスの大軍と戦えるとは思っていなかった。
アルディスはミーシャの軍が敗北したことを知ると補給線の確保を諦め、一路ザーラを目指すことを決めた。長期的作戦は不可能となったがすぐに軍機能が停止するわけではない。ザーラを占領し、周辺氏族を降伏させて供出させた食糧をもって各地を征服するという計画を始動させた。
首都ザーラにもその報せが届いた。王妃シャルは周辺の民を避難させつつ、将兵を招集した。
「敵は帝国の名将アルディスです。皆、注意してください」
彼女も鎧に身を包み、出陣の準備を整えた。彼女はシェルイのような知略も武勇も統率力もない。アルディスと戦えるとは思えなかった。
「私たちだけではアルディスとは到底戦い抜けません。ですのでザーラを放棄することも念頭に戦います」
武将たちの間にざわめきが走る。
シャルは唇を噛んだ。もしシェルイが同じことを言っていたら諸将は素直に命令に従うだろう。彼らの多くが異部族の兵士たち。シェルイという人間の個人的才能に従っているだけ。ウィルヘルミナ王国王家の権威に心服しているわけではない。
「騒ぐな!」
無遠慮で野太い大声が響く。シャルが振り返ると父メージェベスが立っていた。東方国境軍一万騎を率いて駆けつけてきたのである。考え得る限り最も心強い援軍の到来に諸将は歓喜した。
「父上…」
メージェベスは腕組みをして諸将らを見渡す。
「東方国境守備隊と王都守備隊で奴らを迎え撃つ。だが敵は十万を超す大軍! 野戦での勝機はない。戦況によってはザーラを放棄して時間を稼ぐ! 時間を稼げばクジェ副司令率いる西方国境守備隊とシェルイ王の主力部隊、東方諸国連合軍が援軍に駆け付けるはずだ!」
簡単かつ説得力のある説明であった。実際のところ上手くいく可能性は限りなく低かったがメージェベスの朗々たる声は不安の沼に足を取られた将兵を勇気づけることに成功した。
「正面から戦う必要はない。のらりくらりと攻撃を躱し、援軍と共同して挟撃を行うその時まで兵力を温存せよ!」
「はっ!」
メージェベスの援軍によって二万にまで増えたウィルヘルミナ王都軍は彼を総大将として西へ向かった。東方諸国連合軍には早馬を飛ばし、急いで駆けつけるよう求めた。彼らは帝国が占領地で何を行うか知っている。家族や友を殺された者も決して少なくない。闘志は充分であった。




