敗亡の淵
戦いに勝利したウィルヘルミナ・ネテア連合軍はアルフェンテ城に帰還した。兵士のほとんどが負傷していた。シェルイは医務室を訪れてティン、イディア、ヴェレン、ドゥダイ、クトゥ、ドルゴン、フレムら将校らの苦労を労う。彼らも皆、傷を受けている。イディアだけはベッドに横たえられている。
「シェルイ様…王、私が至らぬが故に包囲に綻びを生み、完勝を逃しました。申し訳ございません。どのような罰でも甘んじてお受けします」
いつもよりか細い声で彼女は謝罪した。まだ傷が痛むのだろう。起き上がろうとする彼女を抑える。
「お前で無理なら誰でも無理だ。よくやった方だよ。それに無事でよかった。いや無事ではないな。ははは。ま、ゆっくり休んでくれ。お前の隊は俺が率いるから」
「甘いですよ陛下。ネテアの方々もいるのですからこういうのは表向きでも罰して体裁を保たないと」
ヴェレンが言ったが彼も笑っている。シェルイはフレムとドルゴンの方を見た。
「君らも元気で何より。よく戦ってくれた。ありがとう」
「か、感謝をされる筋合いは…」
フレムは動揺して目を逸らした。
「みんなに言っておこう。本気でやって失敗したなら一々処罰しない。任命した俺の責任だ。だから心配せず精一杯やってくれ。ただ油断して手を抜いて失敗した奴には容赦しない。それ相応の報いを受けてもらう」
「しかと胸に刻みます」
ドルゴンが軽く頭を下げる。
「え? ああ、フレム将軍、ドルゴン将軍。君らはウィルヘルミナ王国の将軍じゃない。ネテアの武将だ。指示に従ってもらうけど任免権や処罰権は俺じゃなくてネテア女王にあるから。でも賞罰に必要な情報は逐一ネテアに送るつもりだから手を抜かないように」
シェルイはネテア王国への過度な干渉を避けるようにフィオラから言われていた。内政干渉を続けるとネテア王国上層部からの反発を招くことになるからだ。ネテア王国は現在、ウィルヘルミナ王国の属国扱いとなっているがウィルヘルミナ王国としてもネテアの反抗心を育てるのは遠慮したいところである。シェルイとしてもネテア王国に興味などなく、剣を向けてこないのなら何をしていても構わないという意見である。もう一度、歯向かってくるようなら今度こそ攻め滅ぼすだけのことである。
シェルイは城主アルトリウスに会った。アルトリウスは小太りの中年の男だった。以前、ウィルヘルミナ軍が帝国領に攻め入った際に前任の城主が逃げ去ったため新しく赴任してきたのだった。シェルイはその隙を突いて商人に扮した精鋭部隊を多く忍び込ませ、守備隊の隊長を買収し、城主の家族を人質にとった。脅しと賄賂を絶妙な配分で織り交ぜて城を無力化し、城兵や市民を鎮圧したのだ。
「悪魔! この悪魔め!」
アルトリウスは口汚く目の前の青年を面罵した。アルフェンテ城で起きた出来事は間違いなく皇帝の耳に入るだろう。どのような申し開きをしたところで彼は立場を失うに違いなかった。皇帝は偉大であると同時に無慈悲であった。家族ともども処刑される可能性は限りなく高い。
持ち得る語彙の限りの罵倒を吐き終えるとアルトリウスは肩で息をした。それを聞いていたドゥダイが無礼者の胸倉を掴み上げた。彼の剛腕は平均的な中年を上回る体重のアルトリウスの体が容易く持ち上げられる。
「悪魔はお前たちの方だ。お前たちが戦いを始めたのだ。そのせいで我が一族は壊滅した。兄と姉を失った。これは我々の草原を攻めた代償だ。そしてこれからもその代償を支払い続けることになる。お前たちの帝国と神が死に絶えるまで!」
ドゥダイは中年貴族を放り投げて背を向けた。彼はシェルイと同じように帝国に家族を奪われている。その恨みは簡単には消えない。同じ気持ちの者は王国内にいくらでもいる。彼らの憎悪は帝国を焼き尽くすまで止まることはないだろう。帝国はウィルヘルミナ王国を滅亡させるつもりでいるだろうがウィルヘルミナ王国も帝国を滅ぼすつもりでいる。振り下ろした刃は互いに止まらない。どちらかが折れるまで殺し合いを続けるのだ。
「ドゥダイ、こいつと家族は分けて監禁しとけ。この城の人間にはまだ利用価値がある」
シェルイは冷たい目でアルトリウスを見下ろした。一片の同情もない。同情の必要がない。彼らは他国に攻め込むくせに自分たちが攻められれば被害者ぶる。蔑まれるのがお似合いの愚物だ。
その夜、シェルイは諸将を集めて軍議を開いた。どうしても違和感があるのだ。
「俺たちが戦った帝国軍、アルディスがいると思うか?」
「ですがあれほどの大軍です。帝国軍総司令官エトナン・ハルキモが更迭された以上、彼以外に十万以上の軍を率いられるとは…」
ヴェレンが言う。彼は商人や密偵を通して各国の情報を仕入れていた。帝国軍は百万の軍を持っているがエトナン・ハルキモによる遠征の際に将来を嘱託された多くの将軍を失った。敗北の責任をとってハルキモ自身も総司令官の役職を剥奪され西方守備軍司令官に回された。といっても西方守備軍司令官は閑職ではなくむしろ国防に関する要職である。帝国から西に向かうと魔獣領域と呼ばれる魑魅魍魎が跋扈する魔境が広がっている。彼らは人を食らう怪物。知性はないが頑強な肉体を持ち、数も多い。帝国はその守備のために常に二十万の兵を必要としていた。
「奴ら、俺たちを倒そうっていう積極性に欠けてたように見えた。なんていうか俺たちを引き付けようとしてるんじゃないかって思うんだ」
「なるほど…。以前アルディスは陛下を討つために退路を塞ぎ、待ち構えていました。対して今回は場当たり的と言いますか我が軍の注意を釘付けにしようという意図が見えていたような…」
そう言われると将校らも思うところがあったらしい。
「じゃあシェルイ、アルディスがここにいないならどこに?」
「俺たちを引き付けて…別動隊を率いて他の方面から攻めようとしてるんじゃないか?」
「でもどこから? 国境警備隊に異変はないよ」
ウィルヘルミナ王国と帝国領の国境には厳重な警備が敷かれている。絶えず偵察兵を出しているため接近する帝国軍があればすぐに連絡が来るはずだ。だが今のところ偵察兵は帝国軍の存在を報告していない。
「南方諸国との間には峻嶮な山岳地帯、ネテアとの間には巨大な森林地帯。一国を落とせる軍隊が踏破するのは無理だよ」
「だよな。だから迷ってんだよ」
シェルイは頭を掻く。思考する時の彼の癖だ。南方諸国方面の山岳地帯もネテア方面と森林地帯も踏破できないという前提に立って話を進めてきた。帝国軍が東側世界に進出するにはウィルヘルミナ王国に攻め込まねばならないという前提が間違っていたのではないだろうか。
その時、伝令兵が息も絶え絶えに会議室に駆け込んで来た。
「ネテア王国ハルトリル総督より陛下にご注進!」
「ハルトリルから?」
シェルイら諸将の胸中に真っ黒な霧が漂い始める。
「ネテア西部に帝国軍多数出現! 大森林を抜けてきた模様。本陣に二羽の鷹の紋様の軍旗あり。アルディスの軍勢と思われます!」
シェルイは机を叩いた。
「やられた…! 数は?」
「十万はくだらぬものと。二万の兵でネテア王都を包囲し、残りは南下しているとのことです」
地団駄を踏み、命令を下す。
「ウィルヘルミナ軍、三万急いで準備を整えて帰還しろ。ネテア軍はこの城に籠って帝国軍を抑えろ。急げ!」
シェルイは鎧を纏って厩舎まで駆けた。愛馬に跨り、開門を命じる。
「シェルイ様、お待ちを! 夜は危険です!」
「一晩待ってられるか。早くついてこい!」
ウィルヘルミナ軍は準備ができた者から城を出て東へ向かった。
帝国とネテアの中間にある大森林は旅人にとって最悪の地域であった。西部には大量の魔物がおり、東部には湿地が広がり、鰐が多数生息している。道などなく、大軍の通行は不可能と思われていた。だがそこに道を切り開き、ネテア王国へ軍を進めた男がいる。皮肉にもそれを可能としたのはシェルイの策であった。
開戦前、ウィルヘルミナ王国は麻薬を帝国兵に摂取させ、使い物にならなくした。予想通り、東方に詰めていた軍は総入れ替えを余儀なくされ、東方の気候や地理に慣れていない兵士たちはウィルヘルミナ軍に手玉に取られ、手痛い敗北を喫した。麻薬中毒になった兵はアルディスに引き取られ大森林を開拓する任務についた。アルディスは薬物を与えて彼らから恐怖心を取り除き、決死の作業を行わせた。予想通り多くの兵が獣や病気、事故で死亡したものの、万を超す大軍が通行できるほどの道を開拓することに成功した。帝国軍はその道を通ってネテア王国に攻め込んだ。その数は十二万。国内が手薄になっているネテア・ウィルヘルミナ両国を滅ぼせるだけの兵力であった。しかし彼はネテアを後回しにした。ネテア西部の砦や城、都市をいくつか陥落させて守備兵や住民を放逐すると二万の兵をネテア王都に派遣して包囲させた。王都を包囲されたネテア王国はその機能を麻痺させ、動けなくなった。
「全軍南へ。一挙にウィルヘルミナ王国を陥落させるぞ」
「はっ!」
帝国軍は全速力で南下した。この動きはすぐにウィルヘルミナ軍に漏れるだろう。シェルイ率いる本軍が帰還する前にウィルヘルミナ軍の要所を陥落させねばならない。各地を守っていたウィルヘルミナ軍守備隊は帝国軍の姿を認めると一戦もせずに砦を放棄して民を連れて逃げ出した。賢い選択だが帝国軍にとっては拍子抜けだった。彼らは一滴の血も流さずにウィルヘルミナ王国北西部を支配下に置いたのだ。
「奴ら、まともに戦う気はないのでしょうか。国境を守る王国軍副司令官クジェは勇猛果敢な男と聞いていますが…」
参謀のエオルが主君に問う。ウィルヘルミナ王国は勇猛果敢な性格。先の戦いではその民族性に苦しめられた。だが今、彼らは帝国軍の旗を見ると雷に怯える羊のように逃げ出してしまう。
「情報はすでに奴らの守備隊長に伝わっているはずだ」
アルディスは目を細めて何かを考えているようだった。エオルは次の疑問を口にしようとしたが思考の海に浸かる主君の邪魔をすべきではないと考え、彼は沈黙することにした。だがその沈黙も長くは続かなかった。
「急報―!」
傷だらけの帝国兵が本陣に駆け込んで来た。本陣の兵は手当てを施そうとしたがそれを無視してアルディスに報告した。
「私は東へ向かったゼルネリウス様の部隊の者です。部隊はウィルヘルミナ王国軍の襲撃を受け、壊滅しました。ゼルネリウス様は討ち死に。生存者はほとんどいません」
帝国軍は千名ほどの部隊をいくつも偵察に放って情報収集を行っていた。
「数は?」
「奴ら、森林に潜んでいたもので数は不明です。少なくとも二千はくだらないかと…」
アルディス本陣には次々と部隊の壊滅を知らせる報告が飛び込んできた。どれも千名からの大隊だ。それがいくつも討たれている。しかもほとんどが帰還していない。それでいて報告は入ってくる。帝国軍は他の部隊を戻して一路クジェのいるダルバンド要塞を目指した。ダルバンドを占領した後、救援に向かっているという東国連合軍を撃破し、全軍をもって首都ザーラを攻略する。帝国領内にいるウィルヘルミナ軍は退路を失い、枯れ果てるのを待つ。
彼らはダルバンドに迫った。流石のウィルヘルミナ軍もそこは死守するであろうと帝国兵は身構えていたが予想は裏切られた。ダルバンド内にウィルヘルミナ兵も民もいなかった。完全に放棄され、もぬけの殻だった。
帝国軍は容易く王国西部の要衝を手中に収めた。兵士たちは空恐ろしいものを覚えた。あまりに順調すぎるのだ。自分たちは何者かの掌の上で踊らされているのではないか、そんな不安がよぎる。その何者かというのは一人しかいなかった。ウィルヘルミナ国王シェルイ。もしあの男がこのことを予測していたらと兵士たちは疑わざるを得なかった。それほどまでにウィルヘルミナ王国軍の動向は不気味なのである。
翌朝、帝国軍はダルバンドを出て東へ向かった。クジェの軍が東方諸国連合軍と合流すれば厄介なことになる。その前にクジェを討たねばならない。
東へ進軍する帝国軍は山岳地帯に突き当たった。かつて帝国軍五万が焼き殺された地である。帝国軍は先人たちの轍を踏むことを避け、山岳地帯を迂回することにした。
一騎の偵察兵がアルディスの元に駆け付けた。
「ご報告申し上げます! ウィルヘルミナ軍がダルバンドを包囲! 攻撃しています!」
ダルバンドには多くの兵と大量の食糧が備蓄されている。それを失うとなれば作戦は根幹から崩れ去る。だがダルバンドが攻められることは最初から分かっていた。国内に残った僅かなウィルヘルミナ軍が帝国軍を倒すには補給を断ち、時間切れを狙うしかないのだ。ダルバンドは決して堅固な城塞ではないが守備兵には警戒を命じている。アルディスは反転して救援に向かうことを決定した。
彼は足の速い騎兵だけを率いて最高速度で来た道を駆け抜けた。
国境守備の任についていたウィルヘルミナ・ネテア連合軍一万はアルディスの予測通り、ダルバンドを攻撃していた。だが夜のうちに要塞付近の森林に隠れていた帝国軍の攻撃を受けて苦戦を強いられていた。帝国軍は巧妙に戦い、連合軍を翻弄した。
ダルバンドを守るのは補給部総監ミーシャ将軍。城外での戦いを見て加勢すべく軍勢を城外に出した。彼女は城壁から戦いの趨勢を見ていた。ウィルヘルミナ軍が南に押されていく。間違いなくウィルヘルミナ軍は劣勢に追い込まれていた。効果的な反撃を行うことができず、部隊の一部が崩れて潰走している。やがて全軍が戦列を維持できず、逃走を開始した。ミーシャは本軍との補給線を確保すべく、敵軍をより遠ざけるように命じた。それが彼女の過ちだった。
砦の奥の食糧庫から黒煙が上がり出した。
「え…何が…」
兵士が駆けつけてきて報告を行う。
「大変です! 砦内部にウィルヘルミナ兵出現! 食糧庫に火を付けました!」
「そんな…どこから…? いいえ、そんなことどうでもいいわ。早く火を消して! 手が空いてる者は侵入経路を特定しなさい」
「はは!」
兵士たちはありったけの水を集めて消火を試みる。だが連合軍の討伐に兵力を割いてしまっているため人手が足りない。井戸もなく、川は付近にない。必然的に飲用水を消火に用いることになってしまう。火の勢いは激しく、帝国兵の必死な消火活動も虚しく、食糧庫は全焼になった。同時に出現したウィルヘルミナ兵は帝国兵に扮して四方八方を駆け回り、砦内部の防御態勢を荒らしまわった。ダルバンド砦を築いたのはウィルヘルミナ軍。クジェの命令で秘密の地下道はいくつも用意されている。例えば食糧庫、そして城門の操作部。ネテア兵が操作部の地下道から出現し、詰めていた帝国兵を殺す。そして城門を開け放った。
「な、何で城門が開いてるの…? 早く閉めなさい!」
「北よりウィルヘルミナ軍五千接近! 全速力でこちらに迫っています!」
「早く閉めて!」
彼女は叫ぶ。操作部に帝国兵と連合兵が殺到し、殺し合いが始まる。連合兵の数は少ないのだが操作部の入り口が一つしか存在しない上に狭いので少数の兵でも充分守ることができた。
「なんとしても突入し、門を閉めろ!」
帝国兵も必死だった。この城は敢えて弱く作られている。壁も低く、城内には防御設備が存在しない。元々守るための拠点として設計されていないのだ。そんな砦の門が開放されていたとしたらもう落城は避けられない。
一方のネテア兵も奮戦する。祖国から遠く離れた場所で命を捨てる覚悟で異国の砦で戦っている。
「一兵たりとも通すな! 我らの戦いにネテアの、我々の家族のこれからが懸かっているのだ!」
彼らの戦いはウィルヘルミナ軍五千騎を率いるクジェの突入をもって報いられた。彼は騎乗したまま城内に突入し、手当たり次第に帝国兵を切り捨てた。
「がはははは。死ねい!」
大槍を振るうごとに帝国兵の鎧がまとめて両断され、当然ながら人体も切断される。彼らは砦内部を騎馬で自由自在に駆け巡った。ウィルヘルミナが築いたウィルヘルミナの城。騎兵が戦いやすい構造になっているのは当然のことだった。階段ではなく緩い坂を駆け上って城壁に飛び込み、弓兵をまるで虫を潰すように蹴散らす。帝国兵は抵抗らしい抵抗を許されず、彼らの神の御許に送られていった。ミーシャは砦を守り切ることが不可能であることを察知して周囲の兵を可能な限り引き連れて南へ向かった。連合軍を追った味方と合流するためである。
クジェは城内に取り残された帝国兵を殺戮し、失った砦を奪還したのである。




