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アルフェンテ会戦

 帝国軍の包囲を抜いてそのまま北に逃れようとしたシェルイの元にある報せが届く。

「急報! 帝国軍の一部の部隊がネテア軍後方に攻撃を仕掛けています! 数は四千! 救援を求めています!」

 伝令兵が駆けつけてきて叫んだ。

「このまま逃げきれないか?」

「騎兵は逃げられるとのことですが歩兵の大部分は戦線を離脱できぬかと」

「わかった。助けに行こう。親衛隊、着いてこい!」

 シェルイは三百騎の精鋭を連れて友軍の救出に向かった。

 ネテア軍歩兵部隊はブライヘル軍の追撃によってすでに多くの兵を失っていた。彼と彼の部下たちは山岳での戦闘に長けており、帝国軍の不意をついて逃げ出したネテア軍に容易に追いついた。軽装歩兵が大部分を占め、木々や起伏ばかりの山中でも俊敏に動いて敵を翻弄し、いつの間にか包囲している。

「か、囲まれてるぞ!」

「突破しなくては!」

 包囲されたネテア兵は混乱に陥った。木々の上からの射撃によって下級指揮官が多く討ち取られ、統制が取れなくなっている。

 そこに白い狼の軍旗が翻った。シェルイ率いる親衛隊である。彼らは包囲の一部を破って歩兵の脱出を助けるとブライヘル軍の迎撃を行った。シェルイは馬から降りて戦場を駆け巡った。狼と共に険しい山を駆け巡った記憶が蘇る。

「あれがウィルヘルミナ王だ! 討ち取れ!」

「オオ!」

 帝国兵がシェルイの元に殺到する。しかしそこを親衛隊に狙い撃たれて多数の犠牲を払った。

 シェルイは友軍が退却したのを確認すると退却命令を下した。

「時間稼ぎは十分だ。逃げるぞー!」

「はっ!」

 親衛隊は乱戦を解いて一目散に逃げ出した。

 去っていく彼らの背を睨み、ブライヘルは舌打ちした。部下が尋ねる。

「追撃しますか?」

「やめておく。騎兵には追いつけん。追いついたところで伏兵があるかもしれんしな。ロックウッダーに報告しろ。それと負傷兵の手当てだ」

「はっ!」

 シェルイらは山岳地帯を抜けて平地に出た。強い東風が吹いている。雨は遠く、空気は乾いている。この土地の秋はそういう気候だ。一部の木々は葉を落とし、地面を覆っている。山の地形は複雑で木が多い。

 かつて帝国軍五万を焼き殺し、火の悪魔と恐れられた青年はにやりと笑った。



 帝国軍は軍を纏めて北に向かっていた。予定通りウィルヘルミナ・ネテア軍を追うと同時にアルフェンテ城で補給を行う算段であった。帝国軍もまたシェルイらと同じ風を感じていた。ロックウッダーの馬が木の枝を踏んだ。ぱきりと乾いた音がして木の枝は折れた。当然のことである。しかしロックウッダーはそこに引っかかるものを感じた。

 立ち止まった総司令官を見て部下が声をかける。

「どうなさいました?」

「この山岳地帯から抜けるにはどこへ向かうのが最速だ?」

「このまま北に向かえば半日もかかりません」

 ロックウッダーは声の限りに叫んだ。

「全軍全速力で北へ向かえ! いいか? 北だ! 北へ走れ! 資材の類は置いていけ!」

 彼はシェルイが何をしようとしているか察知した。だが抱いている敵将への恐れを一切出さずに命令を下した。兵たちに不安を抱かせてはならないのである。兵士たちは倒すべき敵を討つための司令だと勘違いして勢い盛んに走り出した。

 しかし彼の判断は遅きに失した。広大な山岳地帯のあちこちから火の手が上がったのである。乾燥した強い風に煽られて火は勢いを増し、山を覆った。兵士たちは火に囲まれて怯えて逃げ惑った。人も獣も炎に飲まれて死んでいく。大樹が倒壊して数人の兵士が押し潰される。転倒した者が後続の者に踏み潰さる。川に飛び込んだ者が鎧の重さによって溺れる。

 幾千の絶叫が紅蓮の戦場に木霊する。

まるで地上の地獄であった。

 ロックウッダーは周囲の兵を叱咤しながら北へ向かった。傷ついた兵を背負い、駆け抜ける。彼や諸将の奮闘もあって軍の大部分が負傷しながらも山を逃れることができた。この火事によって一万二千名が焼死し、六千名がそのほかの理由で死亡した。

 やっとのことで燃え盛る山から脱した彼らであったが困難はこれからであった。食糧の七割を失い、鎧や武器の多くを捨ててきた。数だけは十万を超す大軍でありながらも貧弱な装備と兵糧しか持たない非力な軍勢であった。それでもロックウッダーの元に統率され、軍としての体裁を保っていた。

 彼らはそのまま北へ向かい、アルフェンテ城を目指した。なぜかウィルヘルミナ・ネテア軍からの攻撃はなかった。

 帝国軍はアルフェンテまで到着した。

 アルフェンテ城主アルトリウスに使者を送ると入城を歓迎する書簡が戻ってきた。将兵らは一息ついて遠く前方に見える城壁を目指した。兵は疲れ果て、もはや戦う気力を残してはいなかった。偉大なる皇帝の剣として、栄光ある帝国の兵士として敵を恐れたことはなかった。比類なき国力と有能な将校、そして自分たちの力があれば大陸の西から東まで神の旗の下に征服することなど容易いと考えていた。だがあの男だけは、あの炎を使う悪魔とだけは戦いたくなかった。あの火を思い出すだけで足が竦む。焼き付く熱さと戦友の断末魔。誇りも尊厳もない戦術。火攻めを脱することができた者たちの中で未だに闘志を保っていた者は一割に満たなかった。

 アルフェンテ城の城壁には帝国の軍旗が並んでいる。それを見て兵士たちは歓喜の声を上げる。アルフェンテはドゥーボーム城に次ぐ堅城である。攻城に不慣れなウィルヘルミナ軍の脅威を気にすることなく休むことができる。

 だがこの地に彼らの安息の場所などありはしなかった。

 城内から帝国のものとは違う戦太鼓と鐘が鳴り響いた。

「な、なんだこの音は…!?」

 瞬間、城壁から無数の矢が兵士たちに降り注いだ。予想外の出来事に兵士たちは咄嗟に対応できず、全身を矢で射抜かれて倒れた。反応できたとしても盾も鎧もない兵士たちでは何もできなかっただろう。

「何が起こった!?」

 ロックウッダーら諸将は兵士たちに後退を命じた。城門が開く。中からネテア軍が飛び出して突撃を開始した。他の城門からウィルヘルミナ軍が出撃する。 

「待ってたぜ帝国軍」

 シェルイは仲間たちの先頭を駆けながら口元を歪める。この城はすでにシェルイの調略によってウィルヘルミナ・ネテア連合軍の手中にあった。

「全軍突撃! ぶっ潰せ!」

 ウィルヘルミナ騎兵の突撃は熾烈という他なかった。帝国軍の防御陣をウィルヘルミナ重装騎兵が引き裂いた。率いるのは猛将クトゥ。猛獣のような雄叫びとともに大斧を振るい、敵兵を薙ぎ払う。

「進め、進め! 帝国のクソ共を皆殺しにしろ!」

 彼女の首に矢が突き刺さる。彼女はそれを引き抜くと何事もなかったかのように攻撃を続行した。目は血走り、髪は逆立っていた。彼女の部下たちも同じく命知らずの猛者たちである。我先にと敵を屠る。

「クトゥ様! 王からのご命令です!」

「何だ」

「『好き放題暴れ回れ』とのこと!」

 クトゥはにやりと笑う。

「やはり話がわかる人だ。皆、聞いたか。手当たり次第蹂躙しろ!」

 彼女は敵兵の頭を握り潰し、別の兵に投げつけて怒鳴る。クトゥ軍の兵士たちは歓声をあげて狂気の渦を広げていった。

「はっはっは。さすがクトゥ。良い暴れっぷりだ」

「おう、負けてられん!」

 ティンとドゥダイも本格的に攻勢を仕掛けた。人馬の濁流は疲れ切った哀れな敵兵を容赦なく飲み込んだ。

ロックウッダーはシェルイに勝利する道が断たれたことを悟り、全軍に撤退命令を下した。

「アルトリウス伯、裏切ったか! 全軍西へ向かえ! 退却だ!」

「急報―! 西側の丘陵地帯より敵歩兵出現! 少なくとも三万はいます!」

 帝国軍の西側に現れたのは四万のネテア歩兵団。率いるのはネテア軍総司令官ドルゴン。万全の態勢で帝国軍を待ち構える。

「今こそネテアの武威を見せる時! 盾持てぃ、槍構えー!」

 歩兵たちは密集陣形を組み、盾を並べた。長い槍を立ての隙間から出して敵に向ける。かつて西方で使われていた陣形だ。機動力に劣るものの、正面攻撃からの防御に強い。ネテア軍は帝国軍の突撃を受け止めた。精強をもって知られる帝国軍の将兵も装備と食糧が足りない状況ではネテア軍を突破することができなかった。

 連合軍は帝国軍を四方から包囲し、激しい攻撃を仕掛けた。連合軍はここで帝国軍を葬り去るつもりでいた。一兵たりとも逃がすつもりはない。そのために手間暇かけてこの状況を作り上げたのだ。ここで敗れることは許されない。数は連合軍に有利だった。それだけでない。戦意も装備も食糧も連合軍が勝っている。敗れる道理はなかった。シェルイも多くの敵兵を討って手柄を挙げた。

 それでも帝国軍の抵抗は激しく、局所的に帝国軍が優勢な戦域もあった。連合軍の兵士は勝利を確信する中でさらに戦果を稼ごうと、帝国軍の兵士はどうせ助からぬなら一人でも多くの敵兵を道連れにしようと狂的な戦闘を続けていた。それでも全体の戦況を覆すに至らず、勝者は勝者の栄光を、敗者は敗者の汚辱を確固たるものにしつつあった。

「一気に押し込みなさい!」

 血と死が渦巻く戦場をネテア王国軍旗を掲げて駆ける女騎士がいた。純白の重装鎧と艶やかな黄金色の髪を敵味方の血液で赤く染めている。時に敵を討ち、時に傷ついた仲間を助け、兵を鼓舞する。ネテア王妹フレムはネテア王国軍一万五千騎を率いて包囲網の一角を担っていた。彼女にとってこの戦いは護国のためであると共に実質的な宗主国となったウィルヘルミナ王国に対してネテア軍の力を見せつけるためであった。二度も戦いに敗れたとはいえまだ国は残っている。であればここで可能な限り勝利に貢献し、祖国と姉王の立場を向上させたいところであった。

 戦闘から虐殺へ移り変わる中でまだ帝国軍は生存を諦めていなかった。ロックウッダーは東西南北を絶えず睨み、情報を集め、脱出経路を探していた。そして蜂蜜色の瞳は答えを見つけた。

「バアルに突撃を命じろ」

「どちらへ向けてですか?」

「南西だ。ウィルヘルミナ軍とネテア軍歩兵団の繋ぎ目に綻びが見える。そこに攻撃を集中し、突破せよ」

 バアルはこれまで彼の不得手な防御に徹する戦いを強いられ、苦戦していたが突撃命令を受けた途端、血相を変えて部下たちと共に突撃を開始した。それはまるで闘牛の如く。雷光の如く駆けてウィルヘルミナ軍とネテア軍の繋ぎ目に攻撃を集中した。

「うおおおおおおお!」

 ウィルヘルミナ軍とネテア軍は猛牛を受け止めるべくバアル軍の前に殺到した。だがバアル軍の猛攻の前にはあまりに脆かった。

「ロックウッダーの言う通りだ! 一気に突破しろ!」

「はは!」

 帝国軍の勢いは凄まじく、連合軍の包囲陣は崩壊寸前だった。そこの包囲部隊を担当しているイディアはすぐさま駆けつけた。

「なんとしても防ぎなさい! ここを抜かれればせっかくの包囲が無駄になる!」

 帝国軍に気圧されて逃げ腰になった兵士たちを叱りつける。イディアは直下の最精鋭部隊を率いて真正面から帝国軍の攻撃を迎え撃った。

「どけ、女!」

 バアルの槍がイディアに襲い掛かる。剃刀のように鋭く、烈火の如く激しい一撃だった。彼女は剣でそれを受け止め、弾く。両者とも将軍としての器量も戦士としての腕も一流だった。戦技は互角。どちらが勝ってもおかしくない。だが勝敗を決したのは勢いであった。燃え滾るような槍の連撃を前に、イディアは微かに怯んだ。瞬間、彼女の腕と胸に矢が突き刺さった。

「うっ…」

 バアルの槍が彼女の右肩に振り下ろされる。彼女の肉体は鎧ごと引き裂かれ、鮮血を撒き散らした。とどめを刺そうとしたバアルの前に躍り出る若き戦士がいた。

「貴様、何者だ!」

 バアルは不快そうに眉を吊り上げる。

「ウィルヘルミナ王国初代国王シェルイ! お前たちの神を殺す男の名だ!」

 青年は堂々たる名乗りを上げた。彼が築いた国と同じ銘の剣を敵に叩きつける。

「貴様がウィルヘルミナ王か! 者共、この男を討て!」

「シェルイ様をお守りしろ!」

 両軍の兵は乱戦を展開した。敵味方入り乱れて殺し合い、広大なる荒野に大量の血を染み込ませた。

「シェルイ…様…」

 イディアが自らの傍らで剣を振るう青年の名を呼ぶ。怒号と悲鳴にその声はかき消されて彼の耳に届くことはなかったがシェルイは彼女の生存を疑ってはいなかった。近くにいた兵士に命じる。

「イディアを後方に連れて行け! 絶対に死なせるなよ!」

「はっ!」

 兵士はイディアを抱えて戦線を離脱しようとしたが彼女は最低限の治療だけを受けると後方から指揮を執り続けた。

 激戦は昼前から夕方にかけてまで続いた。結局、帝国軍は包囲陣を貫いて脱出することに成功し、五万弱の兵と共に西のネクバアルタイ城塞に逃れた。連合軍は追撃の余力を失い戦闘を終了させるしかなかった。

 夜の闇が天空と地上を支配する前の僅かな間、シェルイは血でぬかるんだ地面に倒れて赤と紫に染まる空を見上げていた。

「おい、シェルイ、大丈夫か?」

 ティンとディアナがシェルイの顔を覗き込む。

「ああ。疲れた…。立てない…。立たせて…」

 青年王の二人の友人は顔を見合わせて苦笑した。ティンが軽々とシェルイの体を持ち上げ、彼の愛馬の背に乗せる。彼はイディアの持ち場に駆け付けてから戦闘が終了するまで乱戦の中に身を置き、暴れ続けていた。体中傷だらけで血を多く流していた。だがそれは彼だけのことでない。その場にいて生き残った者は皆、傷まみれである。

「帝国軍はどれだけ逃げてった?」

「五万くらいだ。だが奴らももう戦う力はねえよ逃げた先の城には大した兵も物資もねえ。このまま包囲して兵糧攻めに持ち込めば勝てる」

 シェルイは馬の背から戦場を見渡した。ウィルヘルミナ王国兵、ネテア王国兵、そしてヤルダバオート神聖帝国兵。夥しい数の将兵が大地を埋め尽くす。骸の口は何も語らない。彼らの死に際にあったものが憎悪か恐怖か、それとも誇りだったのか。誰にもそれを知る術はない。だが彼らにも人生があり、物語があったことをこの黄昏の平原に立つ者たちは忘れることはないであろう。

 ウィルヘルミナ・ネテア連合軍十一万二千名、ヤルダバオート神聖帝国軍十万九千名で始まったアルフェンテ会戦はウィルヘルミナ・ネテア連合軍の勝利に終結した。敗者となった帝国軍は軍の過半にあたる六万の兵を失い、勝者となった連合軍も一万七千の兵を失うこととなった。


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