009 正装とスクープと違い
「わたしとの婚約はこのためでしたか」
「そんなわけあるか」
からかうように言ったら、思いがけず笑いながら軽く返された。
開催地であるアルジェント国主催の晩餐会でも、ライネスブラウ氏の人気は凄まじかった。
会場入りした途端、我先にと挨拶に訪れ、同伴の女性たちは意味ありげな視線を投げかけてくる。中には隣に同伴者がいても意に介さないタフな女性もいて、遠慮なくグイグイ来る。よほど自分に自信があるのだろう。心の底から羨ましい。
「ある意味尊敬します」
「まあ、そうだな」
ライネスブラウ氏は少し嫌そうに目元を歪めながらも口元には社交的な笑みを浮かべている。
誰からも否定されることなく健やかに育つと、あんなふうに自信が持てるのだろうか。尊敬を通り越して若干妬ましい。
「これまでどうされていたのですか」
「討伐を理由に断ってきた」
だったら今回も断ればいいのに。
思ったことが顔に出たのか「いい加減断れなくなってきた」と言い訳めいた呟きが聞こえた。
いざとなったら転移で戻れるのだから、国を空けても心配することはないのだろう。国家間の無断転移は国際問題になりかねないが、ライネスブラウ氏の場合は出席条件に明記され、相手国の了承も得ている。
ライネスブラウ氏が選んでくれた食前酒をちびちび舐めながら、きらびやかな会場を眺めている。晩餐会の前に食前酒を楽しむ時間があり、随所に休憩用の椅子と小ぶりなテーブルが設けられていて、各々晩餐会開始まで挨拶回りに余念がない。
高級食材を使っているであろう小ぶりでおしゃれなおつまみは、ひとつひとつが信じられないほど美味しい。どうせならマナーなど気にせず大口開けて頬張り、口いっぱいに美味しいを広げたいところだが、ライネスブラウ氏を見倣って上品に優雅に口に運ぶ。
「どれもおいしいです」
「アルジェントは食が豊かだ。正餐も期待していいぞ」
これまで必要最低限のカロリー摂取を目的にしか食事ができなかったせいか、ここに来てからの食事の美味しさには毎食ごとに感動する。お腹いっぱい食べられることに涙が出そうになる。金銭的余裕が心も体も健やかにしてくれることを身をもって体験中だ。
それにしても、ライネスブラウ氏はいつもに増して凛々しい。
同じ軍服でも戦うための軍服と正装としての軍服では見た目の印象が違う。
元々アウルム国軍の軍服はデザインがいい。特に対魔隊だけの真っ黒な軍服はかなりクールだ。青の魔晶石がよく映える。本来は、魔竜のえげつないほどの返り血が目立たないための黒であり、それを隠すためのクロークなのだが。
そんな凛々しいライネスブラウ氏にエスコートされているわたしには、不躾な視線が鬱陶しいほど集まっている。
単に興味を引いているだけでなく、中にはよく思わない人もいるようだ。異物を見るような尖った視線に心も体も冷やされる。脊髄が凍りつくような粘りつく視線ではないだけマシだと思うしかない。
「よく似合っている」
わたしの気を紛らわすように、長い指先が耳に下がる青い石を揺らした。
ライネスブラウ氏の青の魔晶石は宝石よりも価値が高いため、宝飾品としても有用だ。アンナさんからまっさらな晶石でできた首、耳、髪用のアクセサリーを渡されていたので、それに魔力を込めてもらった。
「ライネスさんのものです」
ホワイトシルバーのシンプルなドレスに、ライネスブラウ氏の青の魔晶石をゴージャスに着けている。
ドレスがシンプルすぎるため、然るべきアクセサリーを着けないとマナーに反する、とアンナさんに口酸っぱく言われたので、用意されたアクセサリーは全て装着している。
「そうか、ミアは私のものか」
妙に意味深に響いた声に、名付け親であるライネスブラウ氏をまじまじと見つめた。
〈うれしそうですね〉
不快な視線を遠ざけるように、やわらかな視線に包みこまれる。
青の視線が沁み込めば沁み込むほど肩の力が抜けていく。どうしてこの人だけがわたしを匿えるのだろう。
〈ああ。とても気分がいい〉
あの日、青の魔力に満たされたわたしを、ライネスブラウ氏はやたらと満足そうに眺めていた。その表情を、醸し出す雰囲気を、滲み出る魔力の美しさを、いまも鮮明に覚えている。わたしが絶対的な安心を覚えたように、彼もまた安心感を得たようだった。
「ミアは身分に対しての尻込みがないな」
この会場に集まっている人たちは、誰もがどこかの国の要人だ。挨拶のたびに教わった通りに対応している。
特に他国の大使が多い。どうにかして精霊魔法行使者であるライネスブラウ氏を自国に招こうと、言葉巧みに仕掛けてくる。残念ながら、ライネスブラウ氏のほうが一枚上手のようで、さり気なく話題を逸らされている。本当に大人気だ。
「相手の身分に鈍感なだけです」
マナーを教えてくれたのは、随行員のひとりでもある事務官のカルラさんだ。実は伯爵家のご令嬢らしい。本当は入隊を希望していたものの、家族の猛反対に遭い、せめてもと事務官に滑り込んだとか。
〈偉そうな人には反発したくなりますが〉
身分制度のない社会で育ったせいか、身分に関してはかなり鈍感な自覚がある。
そのうえ、ライネスブラウ氏の庇護下にあるため、ここでのわたしの身分はかなり高い。高いゆえの鈍さだと思う。気をつけないと足元を掬われそうで、身分を盾に高慢な振る舞いをする人を見るたびに反面教師にしている。
〈相変わらず好戦的だな〉
「弱いくせに、ですか」
「いまはもう弱くはないだろう」
「あなたが隣りにいるから、と言ったら喜んでくれますか」
「後半の言葉がなければな」
ライネスブラウ氏が楽しそうに目を細めている。きっとわたしも同じような表情をしているのだろう。
〈言葉がわかるから、かもしれません〉
言葉が通じないとそれだけで絶望感が増す。同じ言葉を使っていたとしても、話の通じない人たちは大勢いた。
〈そうだな。理解できると恐れも減る〉
対魔隊の人たちはライネスブラウ氏に対してフラットな接し方をしている。避けるわけでもなければ軽々しく触れるわけでもない絶妙な距離感。他人との距離はそれが最善だと思う。
対魔隊の人たちはライネスブラウ氏をよく理解しているのだろう。
「これ、ミアはなにを怒っていたんだ?」
久しぶりに前室で顔を合わせたミルトさんが首を傾げながら渡してきたのは、タブレットのような魔晶板だ。画面上に正装のライネスブラウ氏とわたしが3Dのように浮かび上がっている。
「なにこれ」
ここにもパパラッチはいる。
『精霊に愛されし貴公子ついに婚約!』
派手な見出しに顔が引きつる。
ライネスブラウ氏のこれまでの功績にからめ、大々的に二人のラブロマンスが捏造されている。
しかもこの画像、晩餐会終了後にしつこく引き止める人たちを捌きながら〈早くホテルに戻りましょう〉と催促したら〈尿意か〉と返されて、軽くキレかけた瞬間だ。
言い方というものがある、たしかに隊ではごく普通に尿意という言葉が使われているが、それを着飾った女性に使うのはデリカシーに欠ける、というようなことを伝心でぶちまけながら詰め寄っているところだ。
実際にトイレにも行きたかったから余計に腹が立った。半分以上は八つ当たりで、それも伝わっているからか、ライネスブラウ氏の目はいつもに増して楽しそうだった。それにまた腹を立てて、笑うなら声を出して笑え、と歯を食いしばりながら文句を言うという、いま思い返すと実に不毛なことをやっていた。
ミルトさんには正確に伝わっていても、客観的には頬を染めるわたしと目元を和らげているライネスブラウ氏が寄り添って囁き合っているようにしか見えない。
「これ国内には?」
「まだ出回っていない」
事前にアルジェントのパパラッチには重々気をつけるよう言われていた。とはいえ、これまでスクープとは無縁の一般人だったので、どう気を付ければいいかわからなかったのだが――。
ん? ということは……。
「わざと撮られましたね」
ライネスブラウ氏が気付かないわけがない。しかも、彼の権力と財力を持ってすれば差し止めなど朝飯前のはずだ。
記事にわたしの素性は一切出ていない。それなのに、すでに正式な婚約者として届けられていることが断定的に書かれている。
ここ最近で正式な署名をしたのは出入国時だけだ。あの時の囁くような「ご婚約おめでとうございます」を聞かれていたとしか思えない。
「まあ、あれの面倒事は減るし、ミアの保護にもつながる」
どういうことかとミルトさんを見れば、また凶悪な顔をしていた。
「エレメンのやつらがきな臭い。臭いやつには近付くなよ」
もしかして、婚約もそのためだったのではないか。
わたしの存在がライネスブラウ氏の首を縦に振らせる交渉材料とみなされているのであれば、いっそ大々的に存在を周知させたほうがいい。
必要な人には知らせ、必要でない人には知らせない。国内での報道がないのはわたしの生活を脅かさないため。……策士め。
「で、なにを怒っていたんだ? 絶対に面白いことだろう」
絶対に教えない。
「ミア、ミルトも少しいいか」
国際会議にかかった経費のチェックをしていると、席を外していたライネスブラウ氏が戻ってきて、前室の扉を閉めるなり声をかけられた。
「明日の午後、ミアを連れて謁見してくる」
「報道されてようやくか。思ったよりも遅かったな」
謁見とは国王に会うという意味だろうか。なぜ国王に。
ふとミルトさんと目が合った。
「ライネス、ミアに陛下のこと話してないのか」
ふと考え込んだライネスブラウ氏が「ああ、言ってなかったか」と呟いた。
「私の父だ」
父? 誰が?
「ライネスさんのお父さまは、たしかサフィルス大公の弟さんだと聞いていますが」
「そうだ。それと国王でもある」
アウルム国は三つの公国がひとつにまとまった連合国で、王都を共同統治している。
三つの元君主家のうち、サフィルス家は他のふたつの公爵家よりも位の高い大公とされている。理由は明白で、恐竜の生息地が一番多いからだ。
この国の国旗や紋章には竜があしらわれている。と、最近知った。
あまりに基本的なことは暗黙の了解として会話の表面に出てこない。意識して拾っていかないと、正解を知らないまま勝手な思い込みや間違った認識で補填してしまう。国王よりも大公のほうが偉いだなんて知らなかった。
ライネスブラウ氏の説明によると、この国での国王の最大の役割は三つの旧公国領の調整役だ。
代々サフィルス家の次子が国王を継承する。長子はサフィルス領主である大公となり、国際的には州長や知事と同じ立場だが、この国では国王よりも立場が上だ。
国王は二人の補佐を持ち、残りの元君主家の次子が代々継承している。国王なのに一番偉いわけではないというねじれた構造になっている。
「つまり、ライネスさんは王太子ではありませんが、王子ということですか」
「王の子息という意味であればそういうことだ。現在継承順位は三番目だが、継承することはない」
以前、サフィルスの三番目という言葉を聞いたことがあった。その時は聞き流していたが、そういう意味だったとは。
誰も教えてくれなかった。これまでの会話の中にも一切出てこなかった。
テオさんやアンナさんから教わったのは、父親は大公の弟ということのみ。つまり……。
「あまり関係はよろしくない?」
「よろしくないな」
ライネスブラウ氏は小さく笑いながら同じ言葉を返してきた。
わたしにサフィルスの名を与えるにしても、婚約にしても、彼から家族の話は一切出てこなかった。母親が亡くなっているとは聞いていたが、父親のことはなにも聞いていない。ライネスブラウ氏は成人男性であり、地位ある人だからそういうものだと思い込んでいた。
どのようなものであれ、わたしは親と子の関係性を知らない。おそらく理解もできない。
その日の夜、一人で考えていても解決できることではないと思い、ライネスブラウ氏の部屋の扉をノックした。
「ミアです」
わたしに二度の魔力補給を行い、それなりに魔力を消費したせいか、ライネスブラウ氏の歪みは細部まで解消されている。
可能な限り毎日行っていたマッサージは、様子を見て行うことになったのだが、いまのところは必要なさそうだ。
つまり、彼の部屋を訪れる口実がない。
マッサージ中にぽつぽつ交わす、他愛もない会話がなくなったせいで、取るに足らない些末なことであっても、後々のことを考えると確認しておいたほうがいいことがどんどん溜まっていく。
「どうした」
扉の中に招き入れられ、思わず抱きついた。目も声も表情も優しかったから。
部屋着姿のライネスブラウ氏が優しく抱き締め返してくれる。
彼はちゃんと部屋着を着る。古くなった服を部屋着にしたり、パジャマにしたりしない。パジャマと部屋着を兼ねたりもしない。
わたしにも上質な部屋着が当然のように用意されている。パジャマというよりはシンプルなロングワンピースのような寝間着も、ふわふわで軽いガウンも、わたしにはもったいないくらいの高級品だ。
着るものが上質だと自分まで上質になった気になるから不思議だ。勘違いしてしまいそうになる。
「聞いておいたほうがいいですか」
「聞きたいか」
なに、を言わなくてもわかってくれる。
頬にあたる滑らかな生地の感触。ライネスブラウ氏の心臓の音が聞こえる。彼の腕の中はあたたかい。
「正直なところ、聞いてもわたしにはわからないと思います。きっと理解できない」
抱きしめられた腕の中から顔を上げる。瞳の青が濃い。吸い込まれそうな青を見ているうちに、すっと心が透き通った。
「やっぱり、知らなくてもいいです」
「いいのか」
「きっと聞いても変わらないと思うので」
父親との関係がどうであろうと、わたしには関係がない。それは彼と彼の父親とのことだ。
うかつだった。勘違いしていた。
彼とわたしは別の存在だ。以前と関係性が変わったことで、気付かないうちに彼とわたしを一括りで考えてしまっていた。在り方まで変わったわけではないというのに。
「すっきりした顔になったな」
こういうところに安心する。年上だから、大人だから、立場が上だから、そういう括りで自分の考えを押し付けてこない。無理に聞き出そうとしない。
わたしは、彼との違いが寂しかっただけだ。




