010 謁見とレイの現在
ミアを伴い王宮の正門に向かう。
城塞の中心部にある王宮は、あらゆる外敵から守られるように、あらゆる機関から監視されるように、自然林が好まれるこの国ではあまり見ない、人工林の中に存在する。
「あまり楽しい時間にはならないだろう」
「かまいません」
王宮をまじまじと見上げるミアは、その年齢に見合わない諦観を持つ。
自分に関することには至極冷ややかで、私に対する不当には強い怒りを見せる。他人には干渉せず、自分にも干渉させない。
私とミルトには気を許しているようだが、それ以外とは一定の距離を置く。
他人に期待しない諦めたような淡白さは、彼女の年齢には不釣り合いだ。将来に夢や不安を抱く年頃のはずだが、ミアはいましか生きていない。
昨夜、おそらくミアは私の腕の中にいながら、私との間に一線を引いた。
ミアはどこかに純真さを隠したまま、大人になることを拒んでいる。わずかに灰色がかった青い瞳の奥にある思春期の潔癖さに似た光が、あの瞬間すっと遠のいていった。
それでもなお、いま隣に並び立つ彼女は、なにを思うのだろう。
心を繋げようと、体を結ぼうと、魔力で満たそうと、彼女は決して寄りかかってこない。
謁見は執務室の続き間で行われた。
ごく私的な会合に使われる応接室は、世界地図と国旗、それ以外は花ひとつ飾られていない。そっけないほど殺風景な部屋は、本来の父の資質をよく表している。
国王という地位にありながら常に二番手を強いられてきた父が、唯一自ら手を伸ばして掴み取ったのが母という存在だった。
形式的な挨拶が一段落したところでソファーへと促され、ようやくミアを紹介する。
「フェアか。フィラではないのだな」
サフィルス家では婚約はそれほど重視されない。
婚約はその先を確約するものではなく、精査中であることを一族に知らせるものだ。この間に徹底的に一族、家臣団、使用人、出入り業者、それらに連なる者に至るまで、全ての背後を徹底的に調べ尽くす。
また、婚約を経ずに婚姻することは認められていない。
あえて問うのは、ミアへの牽制か。それとも私か――。
「いずれはフィラとなる女性です」
父の顔に浮かんだ一瞬の険を見逃すはずのないミアは、特に反応するでもなく柔らかな笑みを浮かべたままだ。
「元はファルだと聞いたが」
調査済みだと言いたいのだろう。
だが、サフィルス家当主である伯父にはすでにミアの身上書を提出し、フィラの了承も得ている。大公とは互いに忙しい中、折に触れて顔を合わせる機会を得ている。
おそらく父は知らない。知ろうともしないだろう。
「記憶を失い倒れているところを保護しました。サフィルスの民であることは明白でしたので」
ミアが別の色を持っていたなら、こうすんなりとはいかなかっただろう。
「治癒士だとか」
これまで同様、父は私に一瞥もくれない。ミアに関しては存在すら認めていない。父の視線は私たちの背後に掲げられた世界地図、おそらく自国に定まっている。
元来よく微笑む人だった。母と一緒に穏やかに笑っている姿をよく覚えている。伯父のような厳しさがない代わりに、波風立たぬよう常に周囲に気を配っている人だった。
「現在は第四隊の専属として現場にも同行しております」
「おまえの魔歪も正したとか」
伯父の反対を押し切り、私に枷を与えたのは父だ。戒めの輪とわからないよう装飾を施し、父以外が解除できないよう手を加えた。その枷が外れていることを、目の前のこの人はどう思っているのだろう。
「よくご存知で」
しばらく沈黙が続いたあと、父は右手を上げると、軽く払うような仕草をした。
〈帰るぞ〉
父を見据えたままのミアと同時に立ち上がる。
「本日はお時間をいただき、誠にありがとうございました」
揃って一礼する。ミアは手本のような礼をする。視線を下げ、顎を引く。深すぎず浅すぎず短すぎず長すぎず。教えたのは私だ。敬礼とは違い僅かな動きだが面白いほどよく揃う。
「失礼いたします」
退出時の声も揃った。扉が閉まる際に視界をかすめたのは、かすかに口元を歪ませた父の姿だった。
誰よりも父が、私の幸せを願っていない。
〈わたしのいたところには、毒親という言葉があります〉
〈毒と親か。件の俗語か〉
〈そうです〉
なるほど上手い組み合わせだ。
〈わたしには親がいないので、たとえどんな親でも、いないよりはいるほうがいいに決まっていると、ずっと思い込んでいました〉
移送ケージを使用して執務室へと戻る途中、ミアが自分の考えをまとめるかのようにぽつぽつと伝えてくる。
〈わたしは最底辺で育ったので、最低な親をよく目にしました。そういう親は大抵身勝手で、怠惰だから貧しくて、それでいて強欲で……。裕福であれば良い親とは言わずとも、害のない親になるのだろうと思っていました〉
滅多に俯かないミアが、自分の足元だけを見て歩く姿は、泣いているかのようだった。
〈認識が修正されたか〉
〈されました〉
〈良い経験をしたな〉
弾かれたように顔を上げたミアが、私の目の奥を覗き込んだ。
ミアは時折私の目の奥を覗き込む。彼女は覚えていないようだが、私が精霊の目を持つことを深層では認識しているはずだ。彼女は私のなにを見ているのだろう。
「フィラに変わるときは、なし崩さないでくださいね」
そう声に出して、いまにも泣き出しそうな顔で花が香るように笑った。
彼女との間に引かれた細い線のような隔たりが滲むように溶けて消えた。
〈ライネス〉
〈屋敷の書斎だ〉
直後にミルトが転移してきた。同時に書斎に結界を成す。
「どうだった」
「臭うな。しかも強烈に」
ミルトが定位置の肘掛け椅子に疲れたように腰を落とす。
「やはり、か」
「ああ。ミアの言う通りだろう」
ミアの人探しを聞いたミルトが、十八年前の私の魔力暴走についての再調査を言い出した。
そもそも私の魔力の歪みは、私自身の魔力ともうひとつ別の力が融合しているせいで生じるものだ。本来であれば一般的な魔力暴走は起きようがない。
だが、魔力暴走は起きた。
ミルトは当初から暴走を疑っていた。万が一暴走だとしたら、なにが原因かを知りたがった。
残念ながら私には前後の記憶がない。それも魔力暴走と断定された一因だ。魔力暴走の当事者はその前後の記憶が喪失する。
当時のミルトはようやく人に擬態できるようになったばかりで、いまのように自由に動き回ることができなかった。
「記録では死者一名とあるが、それがリイだとは明確に断定されていない」
死体は残っていない。魔紋すら判別できないほど液状化した人体は、その総量から人一人分だと推察された。
ミルトは当初から、リイだとは思えない、と強く主張していたが、覆すだけの確証もなかった。
ミアが主張する――殺人。
それが事実であれば、魔力の暴走ではなく攻撃だ。そうミルトは結論付けた。
魔紋すら判別不能にするほどの原始の魔法攻撃。精霊の目を持つ私であれば、事件当時でも可能だとミルトは断言する。
ミアの主張通りであれば、母は害されると同時に界渡りし、ミルトの推理によれば、液状化した人体は母を害したのち私が魔力攻撃した者、ということになる。
「母は界を渡れるのか」
「人の魔力は精霊界に弾かれる、ゆえに人は界を渡れない。だが、リイの中で俺の力とリイの魔力が分離していたとしたら可能だ。俺の力であれば魔素のない界だとしても放散されることもない。ミアをここに送ることができたのも、残った俺の力と界を渡った際に得た精霊の魔素を使ったと考えれば一応の説明はつく」
最大の決め手が「レイ」の一言だ。
管理局の職員に確認したところ、どうにも要領を得なかった、と前置きした上で、ライ、ロイ、ルイに似た音で始まる名を持つ少年を探しているようだった、との報告を受けた。
おそらくミアは「レイ」と口にしていたのだろう。
この国に「レイ」の名を持つ少年は存在しない。ましてや、サフィルスの色持ちであればなおのことだ。
レイは、はるか昔に抹消された音だ。
サフィルスの色を持つ者がその音をミアに託したとすれば、それは私の母でありミルトのリイに他ならない。
レイは、母の守護者だったミルトのいにしえの名だ。
母は偶然にもレイの音を正確に発し、力を失ったレイを発見した。
レイは母に加護を与え、その息子の私に精霊の目を与えた存在でもある。リイはレイが守護する唯一の者という意味の、やはり太古に失われた音だ。
「リイは、本当に生きているんだな」
ミルトが遠くを見るような目をしている。その先には母の面影が蘇っているのだろう。
「ミアに精霊の加護があるのは、やはり精霊界を渡った所以か」
「だろうな。わずかでも俺の力が残っていれば気付かないはずはないが」そこまで言って、ミルトは力なく笑った。「俺の力はミアから奪われたのだろう」
「母は奪われなかったのにか」
「リイだからだ。ミアはリイではない」
幼い頃にレイを発見した母は、誰にも話さず、レイが力を取り戻すまで自分の中に匿い続けた。
「十五年の時差はやはり精霊界の経由が原因か」
「それ以外にも、顕在するまでには時がかかる。存在が安定するまでどれほどかかったかは、人ではない俺にはわからない。そもそも、この界とミアのいた界との時の流れが同じであるとも限らない。おそらく、リイがこの界から消えると同時にミアがこの界に出現したと考えた方が理に適う」
「入れ替わり、か」
「リイの存在の補填をミアが為した。この界にとってその必要があったから、ミアは人の手であっても無事に送られた」
「この界にとって必要……」
思わず天を仰いだ。どう考えていいのかわからない。
「あまり深く考えても仕方がない。単に俺はそう感じているというだけで、それが正解というわけでもない。あれらに人のような意思はない」
「ミルト以外に正解に辿り着けるものなどいない、だろ」
ミルトが鼻で笑った。
「俺は所詮、抹消された存在だ」
「母によって正されたはずだ」
言いながら気付いた。ミルトは母によって正され、私はミアによって正されている。このふたつの関連性は――。
「ミルトは、どこまで見通している」
「どこまでもなにも、なにも見通せていない。俺にはもうそのような力はない」
その言葉に嘘はない。事実、母を救えなかった一点でも明白だ。
「だが、」と言いかけた私の声を遮るようにミルトは言った。
「俺が事の中心にいる」
自身の手のひらをじっと見つめているミルトはただの人にしか見えない。人知を超えた存在が無意識に為したことだとしたら――。
「それからもうひとつ、臭い話だ」
思考を遮るようにミルトが視線を上げた。その瞳にはいまも母の色が残っている。
記録媒体に残る姿以外は、もう朧げにしか思い出せない母の姿。僅かに紫がかったその瞳の色だけは、いまもミルトを通して忘れずにいられる。
「エレメン教か」
「魔竜の黒い魔素について調べているが、どうも臭い奴らの背後に帝国の影がある」
ミアの言っていた黒い魔素について、魔竜に限らず魔獣にも範囲を広げ、討伐現場に残る魔力の残滓を調べた結果、いくつかの現場から不自然な魔素が検出された。
ミアの言う黒い魔素は、人工的に変質させた魔素のようだ。おそらく、魔晶石に無理やりねじ込んで獣の体内に移植したのではないか、というのがミルトの見立てだ。
ただ、討伐した大型種の首からは、その痕跡を見つけることはできなかった。
「俺たちが嗅ぎ回っていることに気づいたやつらが隠蔽し始めた。残り香が臭くてたまらん」
「残り香を嗅ぎ分けられるのはミルトくらいだろう」
「問題は、竜に打ち込まれていたってことだ」
「そういえば、ミアが奇妙なことを言っていた。あの大型種が泣いていた、と」
ミルトの顔が凶悪に歪む。
「俺は、俺のような存在を二度と出さないために魔竜を狩っている。だが、人ごとき存在に魔竜にされた竜を狩りたくはない」
人ごとき存在――。
ミルトの歯がゆさを私は理解できないままだ。
「一度ミアに確認してもらうか」
「そうだな。ミアならなにか気付くかもしれん。あれはなかなか面白い」
母はミアになにを託したのだろう。ミアはなにを託されてこの界に来たのだろう。ミルトはミアになにを思うのだろう。私はミアになにを見ているのだろう。ミアは私のなにを見ているのだろう。
「新年の挨拶にミアを連れて行くのか」
ふと思いついたような口ぶりでミルトが訊いてきた。
「そうなるだろうな」
「ミアは、気付くぞ」
「だろうな」
新年には国王主催の新年祝賀の儀が行われる。
その翌日には、大公主催の新年会が催される。サフィルスに連なるものが一同に会すその場には、国王はもとより、大公の息子たちも参列する。
次期大公と目される長子のエデルブラウ、次期国王と目される次子のグライブラウ、それぞれ公式発表はされていないが、すでに周囲はそれを見越して動いている。
ミアは気付くだろう。彼らと私が兄弟であることに。




