007 後悔と反省
皮骨晶から大きな赤い魔晶石が次々と運び出されていく。赤の魔晶石は鋳造に使われる、だったか。
設営された天幕の下では、ライネスブラウ氏とミルトさん、それに各班の長が難しい顔で協議している。
治療士たちが怪我をした隊員たちの治療にあたり、それ以外の隊員は炊き出しの準備をしている。続々と後続隊が到着し、早速とばかりに魔物処理班が魔竜から魔素を抜き始めている。
治療を終えた隊員たちの魔力の流れを整えながら、ぼんやりと討伐された魔竜を眺めていた。
魔力の滞りが見える。手早く魔力を抜きたいのであれば、滞っているところから抜けばいいのに。魔力感知で停滞箇所を特定できないものだろうか。
ふと蘇る魔竜の最後の叫び。泣き声みたいだった。
これまで何度か討伐に参加してきたが、あんなふうに叫んだ魔竜はこれまでいなかったように思う。
それに、あの黒いなにか。ライネスブラウ氏の魔力に浄化されたように見えた。
「なあ、ミア」
「痛みますか」
焼けただれた脛が痛々しい。ただ、かさぶたの下はすでに再生されているので、あとは自然にかさぶたが剥がれ落ちるのを待てばいいらしい。
「いいや、痛みはもうない。それよりも、戦闘中にミアの声が聞こえた気がしたんだ」
「声、ですか」
ライネスブラウ氏への伝心が聞こえたのだろうか。
「はっきりと声そのものが聞こえたわけではなくて……」と少し言い淀んでから、なにかを考えるように眉を寄せて続けた。「頑張れと励まされているような気がしたというか……」
たしかこの人は……対魔隊の大抵の人とは顔見知りになっているのに、いまいち名前を覚えきれない。本隊の人だと思う。
「ああ、俺もミアの声援が聞こえた気がした」
治癒に来た別の隊員も、首を傾げながら似たようなことを言い出した。
「さすがに戦闘中に頑張れ頑張れと大声で応援するほど不謹慎ではないつもりですが」
「いや、実際に聞こえたわけではなくて……ただ、そんな気がした、というか……」
よし、きれいに流れた。
「わかっています。冗談です。違和感はありませんか」
目の前の男性は、何度か足を踏みしめたあと、ふっと気を抜くような笑顔を見せた。大丈夫そうだ。
次の人が目の前の椅子に腰を下ろす。この人も火傷だ。手のひらが爛れている。
防御術の発動がわずかでも鈍ることを嫌って、戦闘中であっても手のひらは無防備の人が多い。そのため、一番怪我が多いのは手指なのだが、誰もが無意識に庇おうと咄嗟に防御するため、大怪我につながることは稀だ。
手のひらは特に繊細な流れになっているので慎重に整えていく。ついでに肘から肩にかけての流れの悪さも整えていく。身体強化をしすぎると筋肉痛ならぬ魔力痛になるらしい。
「ああでも、なにかできることはないかと思って、祈ってはいました。それが伝わったのでしょうか」
「さすがにそれはないだろ、おとぎ話じゃあるまいし」
指先でしごくように、手のひらに集まる魔力の流れを整えていく。
「いいじゃないですか。乙女の祈りみたいで」
そんな題名の曲があったような。
「ミアは乙女ってガラじゃないな」
思わず視線を上げると、目の前にからかうような顔があった。この軽いノリのイケメンは、たしか機動班の人だ。名前は……忘れた。今回は戦闘にも加わっていたのだろう。
「では聖女ってことで。手のひらに違和感はありませんか」
機動班の人は、何度かグーパーを繰り返したり、手のひらに魔力を浮かべたりして違和感の有無を確かめている。ぱらぱらとかさぶたが落ち始めた。魔力量が多い人なので治りも早そうだ。
「ない。かすかにあった強張りもなくなった。さすが聖女さま」
「調子に乗りました。聖女は勘弁してください」
機動班の人が思い切り声を上げて笑うと「また頼むな」と立ち上がった。お疲れ様でした、と声をかけて次の人を促す。
さて、どういうことだろう。あとでライネスブラウ氏に尋問されそ…う……だ……。
温もりが遠のいていく。もう少し、まどろんでいたい。
「悪い。起こしたか」
身じろいだすぐ側からライネスブラウ氏の声が聞こえた。
頭がぼんやりしている。薄明かりの中でも目の前にあるライネスブラウ氏の眉間にシワが寄るのがわかった。
「治癒中に意識を失ったことは覚えているか」
ここは――。
肌を滑る柔らかな布の感触。横向きから仰向けになると、真上には天井のレリーフ。視線を巡らすと、見たことのある壁紙の模様。夜が明ける直前の青い薄明かりの向こうに、どっしりとした木製の本棚。
――タウンハウスのライネスブラウ氏の部屋だ。
気付いた途端、直前の記憶が押し寄せてきた。
「それは、覚えていません」
起き上がりかけた体勢を維持したままのライネスブラウ氏を恐る恐る見上げる。
「それは、か」
気怠げに呟かれた。直前の記憶と相まって、声に滲む余韻にくらくらする。
「それは、です」
彼の唇に目がいってしまう。体の奥に残る違和感がずくんと応えた。
「魔力の枯渇だ」
ライネスブラウ氏は起き上がるのを諦めたのか、片肘をついて横臥した。鍛え抜かれた体はどこもかしこも引き締まり、まるで彫像のように美しい。
「枯渇……なぜでしょう」
魔力を使い切ることはないと教わったはずなのに、枯渇するとは……。脱水症状のようなものだろうか。それとも出血多量か。
それにしては体全体に充足感がある。
「なぜでしょうは私が訊きたい。一体なにをした」
なにをした――直前のことは思い出せますが、それ以前のことはわかりません、とは言えない。
ものすごく視線を感じる。
「ちょっといまは混乱していて」
「だろうな。私もだ」
でしょうね。色々思い出しそうになるのをギリギリのところで止めている。
もしかしたら、彼も同じではないか。冷静になれ、としつこく自分に言い聞かせているのも、きっと同じだ。
「いまミアを満たしているのは私の魔力だ。そのうち吸収されるだろう」
仰向けのまま腕を上げて手のひらを眺めると、内側から青いきらめきが滲み出ている。
なんだろうこの感覚。
自分の存在が丸ごと受け入れられているような、絶対の安心感。満ち足りているなどという言葉では言い尽くせない、このまま死んでもいいとさえ思える、泣きたくなるような感覚。
「どのくらいで吸収されますか」
「そうだな、丸一日といったところか」
私にも正確なことはわからない、と途方に暮れたような顔で言われた。きっとわたしも似たような顔をしているのだろう。
不可抗力。と言うには、わたしの責任が大きい。どう考えてもわたしが悪い。
だとしても、ここで謝るのは一番やってはいけないことだ。やらかした、とは思わないが、やってしまった、とは思う。後悔はないが反省は多々ある。
「とりあえず、なにか着ましょうか」
「そうだな」
魔力の枯渇は他人の魔力で補うことができる。ただし、それ以前に馴染みのない魔力は、適合が上手くいかず、吸収が阻害される。大抵は、家族などの血縁者や普段から接する機会の多い人が補う。
通常、魔力を分け与える程度であれば手を握り合えば済むが、枯渇の場合は時間がかかる。その間に衰弱するのを防ぐため、数人がかりで直接素肌に触れて魔力を流し込む。治療院などの経過観察が可能な施設では、排泄される大きさの魔晶石を経口摂取にて補給する。
わたしの場合はライネスブラウ氏以外の魔力は受け付けず、彼の魔力に馴染んでいなければ、一年くらい寝たきりになるところだった。
ということを、ライネスブラウ氏と入れ替わるように戻ってきたミルトさんに説明された。ライネスブラウ氏は夜が明けきる前に後処理に戻った。
「見事にライネスだな」
面白いくらいわたしはライネスブラウ氏の魔力に占拠されているらしい。軍人らしい表現だ。
ちなみに、ミルトさんは人ではないので、他人の魔力を補うことができない。それでいて、他人の魔力で補ってもらうことはできるらしい。過去に人を喰ったことがあるからな、とあっけらかんと言われた。聞かなかったことにする。
どうやらわたしは伝承にある祝福を行ったようだ。とはいえ、戦闘には一ミリも役立っていない。
「ミアは本当に面白いな」
「面白いで片付けていいのかわかりません」
わたしが無意識に行った祝福は、精神を鼓舞するだけのあまり実利のない魔法らしい。しかも、感応できたのは魔力値の高い数人だけで、本来必要であろう魔力値の低い人にはなにも伝わっていなかった。ただ無駄に魔力を枯渇させただけだった。
大昔の人たちであれば、鼓舞されたことでアドレナリンやドーパミンがどばっと出て、身体能力が向上するステキな術だったのかもしれない。そう思いたい。
「踏んだり蹴ったりとはこのことですね」
「俺は実に面白かった」
これは間違いなくあとで尋問される。普段穏やかな人に詰問されると思いがけず早い段階で心が折れる。
普段、王都にあるタウンハウスにはミルトさんが住んでいる。国に許可なく勝手にカントリーハウスとタウンハウスを転移魔法で繋いでいるので、用心のためにミルトさんが住むことになったらしい。
いまではわたしの部屋もある。元はミルトさんが溜め込んだ、よくわからない物がひしめく部屋だったのを、ここぞとばかりにライネスブラウ氏が片付けさせたとか。
「手交書類を届けるたびに宛先を指に取り込んでいたのが功を奏したということでしょうか」
「毎日の歪みの矯正だろう。自分で気付いていないのか。ミアはライネスの魔力を取り込んで、一度自分の体内を巡らせてから戻している。俺にはあいつの魔力がミアに手懐けられているように見える」
「知りませんでした。ライネスさんは知っているのでしょうか」
「どうだろうな。案外あれは自分のことに無頓着だからな。歪みが正されたことだけに気を取られているのかもしれん。ライネスの魔力以外は取り込んでいないようだから放っておいたが」
どうでも良さそうに鼻を鳴らしたミルトさんは、いま王都で話題のスイーツを見せびらかした。
「新作が出てた。食うか」
「食べます。お茶入れますね」
ミルトさんは甘党だ。いま何気に、甘い物食ってるから人を喰わなくなったんだよなー、と上機嫌に呟いていた。聞かなかったことにする。
「ああ、それからミアが見つけた黒い魔素だが、あれ、臭うぞ」
ミルトさんが人を喰ったような凶悪な顔で笑った。
丸一日経過し、様子を見に来てくれたミルトさんも後処理に戻ったので、ライネスブラウ氏の屋敷に一度戻ろうと、タウンハウスにこっそり設置されている転移円を使用した途端、魔力がごっそり持っていかれた。
慌てて駆け寄ってきたアンナさんに助け起こされ、テオさんがライネスブラウ氏に知らせようとするのを必死に止めた。さすがにそう何度も仕事を抜けさせるわけにはいかない。
意識があるということは枯渇はしていない。おそらくまだ馴染みきっていなかった分が魔法円に吸収されてしまったのだろう。
安静にしていればそのうち元に戻るだろうと楽観視して三日。
いまだ体調は戻らない。日に日に衰弱しているような気がする。
テオさんが何度もライネスブラウ氏に知らせようとするのをなんとか阻止しているものの、そろそろ限界かもしれない。
きっといま、ライネスブラウ氏が側にいたら同じことを繰り返してしまう。
それなのに――。
「なぜもっと早く知らせなかった」
同じことを繰り返した。
こころなしかライネスブラウ氏の声にもハリがない。きっと同じことを考えているのだろう。素肌を合わせて魔力を補ってもらう必要があるのだから、二度目ともなれば、まあ、自然と、そうなる、よね。
「このままなし崩し的に関係を続けるのはよくないと思ったので」
ぐっとライネスブラウ氏が言葉に詰まった。
お互いにわかっていたことなのに、なし崩してしまったのだから、どうしようもない。
「おそらく、もう遅い」
ライネスブラウ氏が呻くように言った。
この絶対的な安心感を知ってしまえば、もう一人は嫌だと泣き叫ぶしかない。それはきっと、ライネスブラウ氏も同じなのだろう。
「事が動くときは一気に動きますね」
「他人事のように言うな」
なんだかもう、寄り添ってしまえばいい。開き直って体を寄せると、必然であるかのように腕の中に匿われた。
後悔はない。反省は多々ある。




