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005 魔歪の改善

「巡回終了」

 ミルトの号令に、張り詰めていた気配が一気に弛緩した。緊張を解いた新兵たちが帰還のために馬首を巡らせる。馬たちにも乗り手の緩んだ気配が伝わって、動きが緩慢だ。

 今期の新兵たちは手がかからない分、突出した才は期待できそうにない。

〈今日も行くのか〉

 ミルトの伝心に視線で肯定を伝えると、〈汚すなよ〉と丸めたブランケットを放り投げてきた。

「ミルト、転移で戻れ」

 戒めの輪から魔晶石を外して、受け取ったブランケットの代わりに放り投げる。新兵たちに転移を体験させるよい機会だ。

 固定化していない転移は、体質によっては稀に魔力暴走を誘発するため、事前に確認しておく必要がある。

「おお、助かる」

 ミルトが嬉しそうに笑うと、新兵たちの目も輝く。みなが馬を寄せ合うと、ミルトの発動辞と同時にその姿が掻き消えた。


――ああ、これはあの日の記憶だ。このあと私はミアと出会う。


 傾き始めた日差しの中、並木が影を伸ばす馬道を速歩で進む。

 王都の外れにある古代遺跡を訪れるようになったのはいつの頃からだったか。

 馬道から外れて木立の中をしばらく進むと、円を描く石柱群にたどり着く。かつては祝福の源とされていた古代遺跡は、いまや滅多に人も訪れない朽ちた石柱群でしかない。

 馬から降りてすべての馬具を外してやると、オルフィは大きく身震いをしてからゆったりと草をはみ始めた。

 円を描く何本もの巨大な魔法石の柱。その内部に敷き詰められた乳白色のマルア石とその目地を埋める緑の苔。そして、古く遠い精霊結界の残滓。そのおかげで、今日まで魔力行使者たちから護られてきた。


 石畳の中央にブランケットを敷いて、手足を投げ出すように寝転がる。

 いい年して地面に寝転がるな。隊服を汚すな。せめてブランケットでも敷け。ミルトの小言がいくつも浮かぶ。

 陽の恵みが遠退いていくとともに、早春の冴え冴えとした夜の気配が滲み出てくる。

 目を閉じて全身の力を抜き、ゆっくりと息を吐く。こうしていると、歪んだ魔力が僅かだが整っていくのを感じる。


 今日、またひとつ歳を重ねた。無意味に重ね続ける歳の数は、いくつになったら止まるのだろう。


 静けさに耳を澄ます。

 オルフィの立てる音と鳥の囀り、それ以外なにも聞こえない。

 静けさが全身に沁み込んでくる。

 時折かすかに聞こえる葉擦れの音が、水の流れる音にも人の囁き声にも似て、静けさの厚みがいや増すようだ。

 オルフィが嬉しそうに鼻を鳴らしている。気に入った草でも見つけたのか、珍しく機嫌がいい。


 カチッ、とかすかな金属音がした。周囲の気配を探る。再度カチッと鳴った。気配に聡いオルフィも穏やかなままだ。間を開けながらカチッ、カチッと立て続けに小さな音が重なった。まさか、と思っているうちに、首元でもカチッと鳴った。

 訝しさに身を起こすと、首にあるはずの戒めの輪が石畳に落ちてカツンと音を立てた。左右の手首の輪も外れていた。ブーツの中で足首の輪も外れているのがわかる。

 まさか、魔力暴走――。

 脳裏に焼き付いて消えない暴走の残痕が蘇る。そんなはずはないとわかってはいても、現に戒めの輪が外れている。万が一を考えて、せめて歪んだ力を空へ放とうと、手のひらを上に向けかけて――気が付いた。


 戒めの輪が外れているにもかかわらず、魔力がかつてないほど安定していることに。

 いつの間にか目の前にいる見知らぬ女性の存在に。

 彼女の細く冷たい指先の感触を頬で感じていることに。



 私をまっすぐに見つめ、頬に触れ、安堵するように体を預けてきた彼女が吐息のように呟いた。

 レイ――それは、母にしか発音できない、母しか呼ばない名だった。

 もうひとつ、はっきりとは聞き取れなかったが、“精霊の目”と聞こえたような気がした。

 私が精霊の目を持つことを知る者は少ない。しかも、頬に触れながら目を見て言われた。色の変化が見えていた可能性が高い。となると、私よりも魔力値が高いということになるが、彼女から感じ取れる魔力は人並みでしかない。


 彼女は何者だ。

 私以外を寄せ付けないオルフィがあっさりと彼女を乗せたばかりか、歩様もいつもより慎重だった。屋敷に彼女を運び入れるときも、やけに気にする素振りを見せていた。

 白金の髪に青い瞳――サフィルスの色持ちだが、多少のくすみがあることからサフィルス家の系譜ではない。抱え上げたときの軽すぎる体は、アンナも眉を寄せるほど頼りなかった。


 魔力の気配に思考を中断する。

 扉の向こうにテオの気配ともう一人、ミルトの気配がある。

「ライネス様。王城より“使者”がお見えです」

 ノックの後に続いたテオの声に、うんざりしながら解錠する。

「一日に何度来れば気が済むんだ」

「おまえが来ないなら俺が来るしかないだろう」

 ミルトが遠慮の欠片もなく書斎に足を踏み入れてくる。背後でテオが形ばかり申し訳なさそうに目礼している。テオはミルトに甘い。それでも律儀に“使者”がミルトであることを伝えてきたのだから許すしかない。

「ついに使者を騙るようになったか」

「正真正銘、城から来た使者だろうが。なら訊くが、俺の名を聞いて素直に解錠したか」

 解錠せずとも入れるだろうに。

「しないな。だが、テオを巻き込むな」

 ミルトが笑いながら肘掛け椅子に腰を下ろし、テオが用意した茶を勧められてもいないのに口にする。ミルトにしかできない芸当だ。多少の無作法も容認される愛嬌のよさは羨ましい限りだ。

「得な性分だな」

 ミルトは素知らぬ顔で首を傾げながら「テオの淹れたお茶はいつも美味い」と笑う。テオがまんざらでもなさそうな顔で退出した。


「それで、眠り姫はまだ目覚めないのか。今日で何日目だ」

「三日だ。日暮れまでに目覚めなければ強制的に目覚めさせる」

「飲まず食わずで三日か」

 ミルトが顔をしかめる。強制的に養液は摂取させているが、十分とは言えない。

「低体温の影響か。その後の診立ては?」

「診せていない」

「はあ? いやいや、流石に強制覚醒の前に診せろよ」

 責めるような目をじっと見返すと、ふと真顔になったミルトは無言のまま立ち上がり、書斎机の上にいくつも放り投げてある魔晶石のひとつを手に取ると、周囲に結界を成した。

 ミルトもなにかしら気付いているのだろう。


「あの女性には、精霊の加護がある」

 ミルトが険しい顔で隣室の気配を探っている。彼女の魔力値はそれほど高くない。そのせいか、ミルトも見落としていたようだ。

「彼女の魔力の質は他と違う」

「そのようだな」

「人寄りだが同じというわけでもない。私が知る精霊魔法行使者たちとも違う。ミルトともまた違う」

 ミルトが腕を組みながら下唇を親指と人差指で軽くつまむ。その仕草が出たときはこちらからは話しかけないようにしている。


「ライネス、気付いているのか」

「なにがだ」

 ミルトがどこか面白がるような顔をしている。こういう顔をするときのミルトは決まって碌なことを考えていない。

「まあいい。おまえの魔力の安定との関係は?」

 唇をつまんでいた人差指を反らし、こちらを指しながら確認してくる。さすがにそれには気付いたか。

「彼女に近づくと枷が強制的に外れる。少なくともこの屋敷内に限り枷は必要ない」

「自分で枷って言うなよ」

「どう言い繕っても枷は枷だ」

 ミルトの苦笑いに応える気はない。どれほど装飾を施そうと、言い方を変えようと、戒めの輪は罪人の枷だ。

「正確な範囲は?」

「状況によって前後するだろうが、およそ三百」

 ミルトの目が見開かれた。

「無意識下で三百? そりゃすごい。意識下だとどこまで広がるのか。訓練によっては相当広がりそうだな」

「しかもだ、オルフィが彼女の魔力を感知する。彼女の庇護下から外れることを嫌がるようになった。おそらく、彼女から加護を受けている」

「あの暴れ馬がか。つまり、本物ということか」

 ミルトが再び下唇をつまんだ。


「知っているのは?」

「私たちだけだ」

「陛下に報告は?」

「まだだ」

 ミルトから一切の表情が消える。

「一応聞くが、報告する気は?」

「ない」

「だろうな」

 ミルトが面白がるような顔で笑った。

「だったら、強制覚醒するしかないようだな」


――そして、目覚めたミアは不安そうに視線を彷徨わせたあと、私を見て、安堵するように強張った表情を和らげたのだ。


 記憶が白々と霞んでいく。覚醒に向かうのかと思えば、途中で意識が強く引かれた。初めての感覚に戸惑いはするものの、引かれた先にある気配はよく知るものだ。

 ゆっくりと霧が晴れるかのように、像が結ばれていく。

 宿の一室だろうか。あらゆるものがひとつに押し込められた狭い部屋に、二人の女性が額を寄せるように熱心に語り合っている。

 手前に座る背を向けた女性に、そこはかとない既視感を覚える。

 こちらに顔を向けて座っている女性は、俯いたまましきりに口を動かしている。聞き覚えのある声が耳にしたことのない言語を紡ぐ。

 二人ともサフィルス領の者かと思ったが、どうやら違うようだ。あの髪色とわずかに見え隠れする瞳の色、その組み合わせはサフィルス領民にしか発現しないはずだが……。

 俯いて話していた女性が不意に顔を上げた――。




「ミア?」

「はい」

 視線の先には見慣れた天井。ここは、寝室か。そうだ、ミアに魔歪の改善をしてもらっているところだった。

「ライネスさん、お疲れですか。珍しく寝落ちしてましたね」

 心配そうに見つめてきたかと思えば、次の瞬間には、ふふっ、と含んだように笑う。ミアは整った顔立ちのわりに人目を引かない。意図的に人目を避けている。感情を表に出す質ではないとはいえ、見慣れてくるとささやかながらも表情はくるくる変わり、見ていて飽きない。

「寝、落ち?」

「眠るつもりはないのにうっかり寝てしまうことを、俗に寝落ちと言います」

 どことなく得意げに話しながらも、手の動きは止まらない。

「ミアのいた国の言葉か」

「そうです。寝落ちは通じないようですね」

「アウルム語にはない組み合わせだからだろう。寝るも落ちるも意味はわかるが、それらを組み合わせてもミアの言う意味にはならないな」

「落ちるは意識を失うや離脱するという意味でも使われていました。どちらにしても俗語だと思います」


 ミアはあらゆる言語に通じている。どの国の言語もまるで母国語のように扱う。

 彼女には全ての言語が育った国の言葉に聞こえ、話し、読み、書いているつもりらしい。文字を書く際は指が勝手に動く自動筆記のような感覚だという。

 だが、発動の気配もなければ行使の痕跡もない。ミアの言うことが事実であれば、魔力ではない別の力を使っているとしか思えない。

 いまも口にしている言語は、主に上位貴族が慣習で使い続けている旧アウルム語だ。職務中は城内や王都で通用されている公用アウルム語で話す。どちらも同じ言語なので互いに理解はできるが、発音や言い回しなどが明確に違う。特に旧アウルム語は幼少期からその発音に慣れていないと後付で習得するのは難しい。

 さらに、討伐先でその土地の者と話す際は、一般アウルム語だけでなくその地の方言すら自在に操る。

 他国の言語のみならず、古文書まで難なく理解できるのは助かるが、あまり大っぴらにせぬよう注意が必要だ。


「うつ伏せになってもらえますか」

 言われた通りに体勢を変える。

 当初、私の寝室で施術を行うことに難を示したものの、施術後はそのまま休め、というミアの強い主張に譲歩せざるを得なかった。魔歪の改善に関する主導権は、当然ながらミアにある。だが、私が寝間着で施術を受けるのは仕方がないとして、ミアまで寝間着なのはいかがなものか。

 しかも、ミアは施術に夢中になると、羽織っていたガウンを脱ぎ、腕をまくり、素足を見せる。本人は肌を見せることへの抵抗がないようで、いくら注意しても、この程度で? ときょとんとされてしまう。

 アンナにそれとなく確認したところ、どうやらミアには下着を下着として扱う感覚がないようだ。眠るときは寝間着を脱いで下着一枚になると聞いて、ミアの寝台は隠蔽した。


「うん、いい感じになってきました」

 ミアが満足そうに小さく呟く。

 接合された部位に魔歪が生じることもミアの指摘で明らかとなり、順次隊員たちの施術も進んでいる。違和感のみならず、慢性的な痛みにも効果があり、不調により他部隊に回っていた隊員が現場復帰する事例もちらほら出てきた。

 魔力が体内を巡っていることは広く知られていたが、その細部がどの様に巡っているかを解明したのはミアが初めてではないだろうか。


「私が寝落ちしていたとき、ミアはなにを考えていたんだ」

 “寝落ち”と口にしたとき、ミアがくすりと笑った。

 あの光景はおそらくミアの意識が流れ込んだものだ。

「なにを、なんでしたっけ……ああそうだ、ここに来る前のことを思い出していました」

「話せるか」

「話せます。聞きますか」

 ミアは進んで自分のことを話さない。加えて、他人の事情にも干渉しない。疑問に思うことは多々あるようだが、自分から聞き出すことはない。

 とはいえ、自身の出自や過去を隠し立てる気はないようで、訊けばすんなり話してくれる。

「ミアさえ良ければ」

 いいですよ、とミアはなんでもないことのように答えると、少し考えるように間をおいてから話し始めた。


「わたしが育った国の人たちは、大多数が黒髪黒眼で、わたしのこの色は珍しいを通り越してただの異物でしかありませんでした。生後すぐに捨てられていたわたしは、明らかにその国の人間ではない外見なのに、その国の人たちが納めた税で成人まで養ってもらいました」

 異物――たしか以前もそう言っていなかったか。

「ここまではミルトさんにも話したのですが、お聞きになりましたか」

「いいや。ミアは私に伝えるようミルトに言ったか」

「言っていませんが、特に口止めもしていません」

「口止めせずとも言わないだろう。ミルトは他人に干渉しない」

 それもそうですね、と納得したように呟いたミアは、私の右肩から腕にかけて、まるで細かな糸をほぐすように、慎重に指先を動かしている。


 すでに全体の大きな魔歪は解消され、いまは細部の魔歪を整えている。

 ミアの指先からは、くすぐったいような、懐かしいような、なんとも言い難い感覚が沁み込んでくる。

「髪を黒く染めようが、瞳の色を黒く変えようが、その国の人達に同じ人間だとみなされることはありませんでした」

 淡々と感情を交えず話すせいか、ミアが感じてきた生き苦しさを思うと息が詰まる。

「高等教育を修了して、二年半ほど短期労働で資金を貯めて、この髪や瞳と同じ色を持つ人たちが暮らす国を訪れました。ですが、そもそもこの色の組み合わせは珍しいようで、比較的多く存在するといっても、サフィルス領のように大多数がこの色の人たち、というわけではありませんでした」


 ミアの指先が肩から腕を何度もなぞっていく。滞りがすっと流れていくのを感じた。意識してその状態を保つようにしていると、ミアが満足げに息を吐いた。

「流れましたね。もう一度仰向けになってもらえますか」

 再び体勢を変える。

 ミアも一度寝台を降りて反対側へ回り込むと、再び寝台に上がってきた。

 いくら施術中とはいえ、ミアは未婚の女性だ。半裸の男が横たわる寝台に抵抗はないものか。治療士たちも似た傾向があるので、こちらが思うよりも気にしないのだろうが、こちらとしては気になるものだ。

「うん、流れもきれいです。少しこのまま様子を見ます」

 肩から腕にかけて何度も手のひらでさすられる。滑るように動く手は少しひんやりとして心地良い。

 人の手に触れられることなど、もうないと思っていた。


「それで、北方の国をいくつか周遊したのですが、いくら見た目は馴染んでも、育った国で培われた常識や慣習、感覚の違いに戸惑うことが多く、なにより言葉がまるで通じないため、結局そこでもわたしは異物でしかありませんでした」

「ミアはもともと言語に通じていたわけではないのか」

「まるで通じませんでした。翻訳機でなんとかなりましたが、なかったら悲惨でした」

 ミアはぽつぽつと滴るような声で言葉を紡ぐ。だが、不思議と悲壮感は伝わってこない。どうしようもなく苦しんだ末にたどり着いた、諦めのような静けさの中に彼女はいる。


「北方の国から南下したとある国で、いきなり大柄な男の人に絡まれて、でも言葉がわからなくて、翻訳機も全く役に立たなくて、あまりの執拗さに怖くなってしまって」

 好戦的なミアが怖がるとは相当だ。

「そこで、たまたま居合わせたわたしと同じ髪色と目の色の女性が、毅然とした態度で相手を追い払ってくれたんです。そう言えば、あの男の人も同じ色だったかも……」

 どこか懐かしむようにミアがわずかに表情を緩めた。

「いま思うと馴れ馴れしいだけで悪い人ではなかったのかもしれません。彼女に強く言われるとあっさり引いてくれて」

 それがあの後ろ姿の女性か――。

「彼女とはその国に滞在する間も色々お世話になって、わたしの育った国の言語もまるで母国語のように話せる人で、そこでたくさんの信じられないような話を聞きました」

「信じられないような話?」

「そうです。いまわたしがここにいることがその証明なのですが、そのときはあまりに破天荒な話で、でも嘘じゃないと思えるだけの真実味があって」

 いつの間にかミアの手が離れていた。


 体を起こし、すぐそこで両膝を抱えている彼女の傍らに片膝を立てて並び、話の続きを促した。

「わたしをここに送ってくれたのは、彼女なんです」

「送ってくれた?」

「そうです。わたしのいた界からこの界に。彼女はこの界からわたしがいた界に来た人でした」

 信じられない、破天荒、真実味、直前のミアの言葉が次々と頭に浮かぶ。

「本当は自分が戻りたいけど、一方向にしか行けないらしくて。じゃあ、代わりにわたしが行ってもいいかって。わたしのいた界には魔素がなくて。だから彼女は残っていた魔力のすべてを使って、わたしをここに送ってくれました」

「ちょっと待て。送るというのは、界渡りのことか」

 ミアがどこか別の界から来たことは薄々感付いていたが、それはあくまでも偶発的な事象だと思っていた。まさか、人の手によって界渡りしていたとは。

「界渡り……」

 ミアはそう呟いたまま、しばらく記憶を探るように黙り込んだ。


「んー…詳しいことはわかりません。彼女から聞いた話の半分も理解できませんでしたし。ああ、そういえば、彼女が自分は一度経験しているからわかると言っていました」

「ミアもわかったのか」

 古代魔法式にそのような記述があるにはあるが、術式が曖昧で、あくまでも伝説上の作り話や誇張だとばかり思っていた。

「まさか。元々魔力を使っていた人だから理解できたのではないでしょうか。わたしにはさっぱり。そもそも、彼女と向かい合っていた直後にこの家で目を覚ましましたから、間になにがあったかは覚えていません」

「私と最初に出会ったことは?」

「保護されたときのことですか。覚えていません。目が覚めたらここでした」

 ならば、レイと呼んだことも、精霊の目と呟いたことも覚えていないのか。


 あの日、気づけば間近にいた彼女は、ごく自然に私に触れ、そして、私の目を真っ直ぐに見つめながら倒れ込んできた。まるで私を見て安堵し、力尽きたかのように。

 そういえば、あの時も下着一枚だった。お陰でいらぬ心配までしてしまったものだ。アンナが険しい顔で彼女の体を改め、何事もないようだと安堵していたことを思い出した。


「わたしは、彼女の息子に言付けを頼まれています」

「息子? それで管理局に問い合わせていたのか」

 領民の登録はどこで行っているのかを訊かれたことがあった。自分の登録を確認したいのかと思っていたが、違ったようだ。

「そうです。白金の髪に青い目をした十三歳くらいの男の子を探しています」

「それはまた……サフィルス領だけでも何人いるか」

 ですよね、とミアがきまり悪そうに呟く。

「でも登録されている人に該当者はいなくて。もしかして登録されていない人なのかと思って、地道に探しているところです」

「ああ、未成年の場合は親が代行登録しない限り未登録のままになるからな。本人の意思で登録できるのは十六歳以上だ。それまで待てないのか」

「どうでしょう。本人が強く生きていれば平気なのかもしれませんが、目の前で母親が殺されるって、相当な心の傷になりますよね。できるだけ早く会って、彼女が別の界で生きていることを伝えたくて」

「殺人なら三隊の記録を調べればわかるだろう」

 彼女の表情が雄弁に語る。いま気づいた、どうしていままで気付かなかったのか、自身も軍所属なのに。おおかたそんなところだろう。

「ライネスさん、ありがとう!」

 満面の笑みで手を握られ、小さく何度も上下に揺さぶられた。嬉しそうに。楽しそうに。ひとかけらの躊躇もなく、ごく自然に触れ、ごく自然な笑みを向ける。

 ミアはいつもそうだ。忌み嫌われる、触れることはおろか、近寄ることすら疎まれる存在だというのに、当たり前のように側にいて、当たり前のように手を伸ばしてくる。


 ミアと出会ったあの日のことを、あのどうしようもない心の震えを、私は生涯忘れないだろう。

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