017 ヨルド
〈ここまで密着する必要ありますか〉
どう考えてもハグを通り越して抱き合っている状態だ。エスコートの域を超えている。
〈周りを見ろ〉
アウルム国の北、海を挟んだヨルド国に来ている。
ヨルド国王太子の挙式に招待された。
現国王の子息であるライネスブラウ氏は、王子の立場として招待される。次期国王である大公の次男が来ればいいのに、国際的には公表されていない次期国王より、継承権第三位だとしても現国王の息子である王子のほうが立場が上ということになるらしい。
〈ここでこれ以上離れたら不仲を疑われる〉
〈実際には仲良しなんだからいいじゃないですか〉
〈慣れろ。こういう場では隙を見せるな。下心のある者が寄ってくるぞ。声をかけられたら慣例的に断れない〉
それは嫌だ。
これが笑い事ではなく、治癒士のわたしは国際的にも利用価値が高い。
最近発覚したのだが、わたしが花粉症対策にライネスブラウ氏に作ってもらったマスクの術式を特許申請する際、発案者をわたしにしたことで、わたしの治癒士としての国際評価がじんわりと高まってしまったのだ。
しかも、その夫は術式開発では名の知れた研究者であり、世界的に希少な精霊魔法行使であり、世界一有名な対魔隊の隊長であり、アウルス国軍の頂点に立つライネスブラウ氏だ。
注目するなという方が無理な話である。
それにしても、周囲の密着度は目に余る。目の前で規制がかかりそうな他人の濃厚接触を見せられるとか、なんの罰かと思う。
〈ミア、いちいち顔を赤らめるな。男が寄ってくる〉
同伴者がいようが、ここが国際的な社交の場だろうが、獲物を物色するような視線を感じる。気配が通り過ぎるたびに怖気が走る。
〈無理ですよ。なんであんなエロチューを人前でできるんですか〉
〈えろ……そういうことを伝心で叫ぶな。あれはただの親密な挨拶だ〉
〈ただの親密な挨拶がディープすぎます。気色悪い〉
色々もう、本当に無理だ。気持ち悪い。
〈見て見ぬふりをするのも礼儀だ〉
〈ヘビーなキスを人前でするのも礼儀ですか〉
逆ギレしている自覚はある。うう……、吐きそう。
〈わかった。一度控室に戻ろう〉
挙式は感動的なほど厳粛に行われ、華やかな晩餐会は報道が入っていたためか、ここまでひどくはなかったのだが、その後のお酒を交えた報道陣シャットアウトのパーティーは無法地帯だった。
用意されている控室に戻った途端、全身の力が抜けた。
スマートな振る舞いができないのは本当に申し訳ない。だが、こればかりは生理的に受け付けないのだからどうしようもない。変質者に狙われ続けた代償だ。
「帰りたい」
「まだ王太子が顔を出していない。挨拶したら帰る。もう少し頑張れ」
「あれが世界のロイヤルかと思うと反吐が出そうです」
「あれは王族ではない者だ。気にするな」
どう見ても王族でしたが。碌でもない王族など追放されてしまえ。
見境のない規制行為は、他人の気分を害することを知ってほしい。
眉をひそめていたのは断じてわたしだけではない。紳士淑女が節度ある密着をしていることには慣れてきたが、節度のない欲望丸出しの行為は視界に入れたくない。
同じく眉をひそめていた周囲の人たちも、王太子が来るまでは、と仕方なく留まっているようだった。
アンナさんがお茶を入れてくれた。いい香りだ。紅茶よりもさっぱりしていて、どちらかといえばほうじ茶に似ている。
あまりにも頻繁に国外に招待されるようになってしまったので、今回はアンナさんとテオさんに試験的に同行をお願いしている。
この状況は想定外だが、逆に慣れ親しんだ二人がいてくれて本当によかった。控室にまで他人がいたら気を休める場所がない。アンナさんを見れば微笑み返してくれる。もうそれだけでほっとする。
「慣れてほしいところだが、無理なら見るな」
「見えちゃうんです」
見える聞こえる察するの三重苦だ。
「私だけを見てろ」
そういう殺し文句をさらっと言うなんて、ライネスブラウ氏も規制対象だ。
〈ライネスさん、ライネスさん、王太子はまだですか〉
〈ミア、見すぎだ〉
〈だって私だけを見てろって言ったじゃないですか〉
ライネスブラウ氏だけを見ることにした。もう本当に無理だ。他人のわいせつ行為を視界に入れたくない。
バルコニーに避難しようとしたら、そこはさらに無法地帯だと止められた。安全地帯がない。
〈ミアは潔癖すぎる〉
なりたくてなったわけではない。誰だって子供の頃からそういう目に遭い続けたら、多かれ少なかれこうなってしまう。
〈あの王族たちが下品すぎるんです〉
こんな体たらくでヨルド国は大丈夫なのか。王太子の挙式後のパーティーなのに、品がないにもほどがある。
彼らのいる一角だけ空気が爛れている。
夏の終わりとはいえ、接待する妖艶な女性たちのあからさまに露出の高いドレスにげんなりする。ここがヨルド国の王宮だということを忘れそうになる。
〈男の人ってああいう女性が好きなんですか〉
〈そこに私を含めるな〉
興味本位の視線を向けている人がいるのもまた気持ち悪い。
押し殺しているつもりだろうが、声が漏れ聞こえてくるせいで無視したくともしきれない。
もしや、あれは余興なのか。王太子夫妻が来場するまでの場繋ぎなのか。だとしたら悪趣味すぎる。
〈ライネスさん、耳が赤いです〉
〈それはミアのせいだ〉
〈自分で見てろって言ったのに〉
ようやく王太子夫妻が現れた。さっさと挨拶してとっとと帰りたい。
王太子を目で追ううちに、不意に爛れた空気が視界に入った。慌てて目を逸らそうとして、はっとする。
〈ライネスさん! 黒の魔素です!〉
迂闊だった。爛れた空気だと思っていたのは、黒の魔素だ。
〈直接見るな。私越しに見ろ〉
ライネスブラウ氏が体の向きをさり気なく変えた。ライネスブラウ氏に寄り添うようにしながら、手のひらを合わせるように繋ぐ。感覚を共有しながら、黒の魔素を盗み見る。
〈発生源はどこだ〉
〈もう少し近くに寄れますか〉
照明が絞られているせいで視界が悪い。
〈ミア、視界を貸せ〉
ライネスブラウ氏の魔力が視界を覆った。その途端、ズームしたかのように目の前の景色がぐっと間近に迫ってきた。
〈ライネスさんすごい!〉
一人ひとりをよく見ていく。
L字型のソファーに五人。中央にいるのはヨルドの王弟の一人。もう一人は紹介された覚えのない男性だ。他に女性が三人。
王弟に跨ってゆるく腰を動かしている女性が黒い魔素の発生源だ。
残りの二人の女性は王弟を挟むようにべったり張り付いている。人ひとり分離れた位置に座る男性が周囲を警戒している。王弟の警護官のようだ。
〈女性たちの動きがおかしいな〉
〈魔力も濁って見えます〉
まるで自我を失っているようにも見える。人前で行為をするくらいだ、正気とは思えない。それとも元々そういう性嗜好なのか。
〈いまミルトとも視界を共有した〉
さすがライネスブラウ氏だ。国を超えても伝心できるとは。夫自慢したくなる。
〈ミアの力だ〉
〈えっ、そうなんですか〉
〈ミアの発動範囲は異常に広い〉
へえ。自分のことながら実感はない。それにしても目が腐りそうだ。
〈他人の行為を盗み見ているのって、本当に気持ち悪い……〉
吐きそう。ライネスブラウ氏に抱き締められていなかったら耐えられそうにない。
〈そこはあまり意識するな〉
〈ライネスさん、冷静ですね〉
〈慣れだ〉
嫌な慣れだ。でも、これも仕事だ。
〈黒の魔素が目視できるということは、あの黒い魔晶石を持っているということでしょうか〉
〈その可能性は高いが、体内に残留している可能性もある〉
〈飲み込んだってことですか〉
〈魔力の枯渇時に魔晶石を飲み込むようなものだ。体内の魔晶石は見えるか〉
そうか、人間の場合は血液中に取り込まなくても魔晶石を飲み込めば本人の魔力と同化する。
〈さすがに体内まで見通せません。それに、本人の魔力と同化してしまったらお手上げです。んー、でも、どこか一箇所から発生している感じではなさそうです〉
女性の体全体から、くゆるように黒い魔素が漂っている。初めて見る魔力の流れだ。
〈まだ本人の魔力と同化していないようだな〉
〈体内に取り込んだばかりってことですか〉
〈そのようだ〉
〈どうしますか〉
〈どうもしない。これはヨルドの問題だ〉
思わず顔を上げそうになって、ライネスブラウ氏に抱き締められる。あぶない、盗み見ていることがバレてしまうところだった。
〈ヨルドにもエレメン教って布教しているのでしょうか〉
たしかヨルドは精樹崇拝だったはず。巨樹や古木をなにより尊び、国土の八割が森林ではなかったか。
〈ミア。カルラの件、エレメン教の件、黒い魔素の件は分けて考えろ。なにかを見誤る。精霊魔法行使者を欲するのはエレメン教に限ったことではない。他宗教はもとより、国も同じだ。例えばここヨルドには精霊魔法行使が存在しない〉
はっとして黒い魔素を見る。
相手をしているのはこの国の王弟。王家の血筋。黒い魔素を取り込んだばかりの状態で受精すると……さすがにそれはないか。
受精卵に黒の魔素が流れ込んだとしても、着床する前に母体に吸収されてしまうはず。そもそも、こんなことしなくても人工授精すれば済む話だ。
もしかして、これはデモンストレーションだったりして。誰に対しての?
……だめだ。この空間にいると思考が飛躍しすぎる。まともに考えられない。
〈わたしやミルトさんの魔紋を隠すのは……〉
〈そういうことだ。精霊魔法を行使できる者は、見つけ次第国が保護する。どこで見つけたかではない、誰が見つけたかが重要になる〉
それはつまり、拉致して他国に連れて行かれると、連れて行かれた国で保護され、その国に所有されるということか。それほど希少な存在……。
情報として知ってはいても、それがどの程度なのかという実感がない。治癒士にしても、精霊魔法行使者にしても、数少ないとは聞いていても、本人の意志を無視して国同士で奪い合うほどの存在だとは思わなかった。
〈精霊魔法行使者で治癒士って最悪のコンボですね〉
〈ミアをほかに渡すつもりはない〉
さっきから規制対象な発言が多い。
〈照れるな〉
〈うるさいですよ。ライネスさんだって耳が赤いです〉
ライネスブラウ氏が微かに笑う。その吐息のような笑い声を聞いていると、散り散りになりそうだった心が少しだけ落ち着いた。
ようやく王太子夫妻と挨拶できた。
一見、のほほんとした、いかにもお坊ちゃんという感じの人だ。王太子妃も守ってあげたくなるタイプのほわほわした女性だ。
王太子夫妻は周囲に笑顔を振りまきながらも、決して王弟のいる方に顔を向けない。それがかえって彼らの行為を黙認しているように見えてしまう。
挨拶をして、わたしの具合が悪いので先に退出する旨を伝える。実際に気色悪いものを見続けたせいで具合は悪い。自覚できるほど血の気が下がっている。
王太子妃が心配してあれこれ言い始めた挙げ句、引き留めようとするのをなんとか躱して、半ばライネスブラウ氏に抱えられながら退出する。具合が悪い人を引き止めた挙げ句、いい薬があるなどと、この状況でよく言えたものだ。怪しくて飲む気がしない。
控室に戻ると、腰が抜けた。
ライネスブラウ氏に水を飲まされている間に、アンナさんとテオさんが手際よく荷物をまとめてくれた。
「妻の具合が悪いため、急遽国に戻る」
テオさんが心得ているとばかりに、廊下に立つ護衛に伝えに行った。
「二人は骨休めしてから戻ればいい。ホテルは期日まで抑えてある。全て好きに使え」
アンナさんが心得たような顔で「かしこまりました」と目礼する。
「ゆっくりしてこい」
気合を入れてなんとか立ち上がると、ライネスブラウ氏に抱え上げられた。そうだった、妻の具合が悪い設定だった。
戻ってきたテオさんとアンナさんに見送られて、着替えも惜しんで国際ゲートに向かう。
アウルム国と違ってヨルド国の国際ゲートは利用者が少ないのか薄暗く閑散としている。照明が落とされているわけではなく、そもそも数も光量も少ないようだ。
ふと見上げると、ゲート上部に見慣れない紋章が掲げられている。ヨルド国の国章とは明らかに違う紋章だ。たしか、アウルム国のゲートにはアウルム国の国章が掲げられていたはずだ。
〈この国の国際ゲートって、どこが管理しているんですか〉
〈西方軍事同盟だ〉
あの紋章は同盟のものか。
〈アウルム国は自国管理ですよね〉
〈それが、精霊魔法行使者が存在するかしないかの違いだ。大規模転移円は精霊魔法行使者がいなければ維持できない〉
〈ライネスさんがメンテナンスしているんですか〉
〈特になにもしていない。利用時に術の確認をしているくらいだ〉
それをメンテナンスというのでは。
ああ、だからどの国もライネスブラウ氏を自国に招きたがるのか。来てくれるだけで国際ゲートがメンテナンスされるとなれば、それだけでも有難い。
ライネスブラウ氏に支えられて、国際ゲートを通過すると、ミルトさんたちが待機していた。
一気に空気が清浄になった。
アウルム国は空気がきれいだ。思わず深く息を吸い込んで、体の中から爛れた空気を吐き出した。それだけで気力が湧いてきた。
「明日から三日間屋敷を無人にする」
ライネスブラウ氏の声に驚いているのはわたしだけだ。ミルトさんは当然のように頷いている。テオさんとアンナさんにヨルド滞在を言い渡したのは別の理由があってのことだったようだ。
「転移するぞ」
ミルトさんの掛け声で、ぎゅっと陣形が縮まった。
青のきらめきに包まれると、一瞬にして屋敷に戻った。と思ったら、見慣れない室内装飾に戸惑う。
「ここは……」
「ミアは初めてだな。敷地の端にある別棟だ。元は物品倉庫だったのを改装した」
「諜報班の本拠地だ」
ミルトさんばかりか諜報班の人たちもなぜか誇らしげだ。どうやらみんなでこつこつ改装してきたらしい。諜報班は言い換えればミルト班だ。
室内には大小いくつもの魔晶板が設置され、至るところに見たことのない魔道具が所狭しと置かれている。ここで情報の分析や解析作業を行っているようだ。
窓の外には塀のすぐ向こうに街並みが見える。屋敷の窓からは木々の緑しか見えたことがないので、敷地の端というのはその通りなのだろう。
「窓の向こうはダスブラウの商業地だ。向こうからこちらは見えない」
いつも不思議だったのだ。屋敷に出入りする者もいない上に、テオさんやアンナさんが外出した気配もないのに、いつも新鮮な食材が用意されていた。
大貴族の敷地の通用口周辺には、御用達の店が軒を連ね、それがいつしか商業地へと発展するものらしい。
「ヨルドの王弟は直前まで帝国に滞在していた。裏も取ってある」
「これではっきりしたな。黒の魔素に帝国が絡んでいる」
そういうことか。ライネスブラウ氏が他国の挙式に参列するなんて珍しいと思っていたら、偵察を兼ねていたのか。
それなのに、わたしときたらあの体たらく……。
〈申し訳ありませんでした〉
〈気にするな。成果はあった〉
たとえそうであったとしても、もう少しなんとかならなかったのか。最初から知らされていたら、きっと意識しすぎて挙動不審になっていただろうし、知らなかったとはいえ、黒の魔素に気付くのが遅れたのは事実だ。
〈ミアのお陰で私も気が紛れた〉
思いっきり慰められている。もっと冷静に行動できるようにならないと、ライネスブラウ氏の隣にはいられない。これからもああいった事態は多々あるだろうし、トラウマを克服しないと始まらない。
「それにしても、帝国か。面倒だな」
ミルトさんが珍しく険しい顔をしている。この場にいる誰もが感覚を尖らせている。
帝国――スタン帝国のことだ。
アラビア半島ならぬスタン半島を支配する大国で、多神教である精霊信仰が大多数を占めるこの世界では珍しい、一神教を国教とする軍事国家だ。ヨルド国とは軍事協定を結んでいる。
基本的にアウルム国は隣接する周辺国とは不可侵条約を結んでいる。
西のアルジェント、南のスライカン、東のクライヴィ、北東のクルトニー、そしてゴルド海を挟んだ北のヨルド。そのうちヨルド国以外とは友好国として様々な条約も締結している。転移で戻らなかったのはヨルド国とは友好というほどの関係ではないからだ。それでいて今回訪問したのは、偵察を兼ねた牽制の意味もあるのだろう。
帝国とは間に数カ国挟んでいるためか直接的な関係性は薄い。ただ、軍事国家というだけあって、アウルム国の対魔隊が世界ランキング一位であることを面白く思っていない節がある。特にライネスブラウ氏に対しては、嫉妬めいた敵対心をことあるごとに見せてくるらしい。
そしてなにより、スタン帝国には精霊魔法行使者が存在しない。おまけに、世界有数のクマの生息地だ。




