016 ミアの意味
「ミアとは、名付けた方の深い愛情が伝わる素敵なお名前ですね」
そう話しかけられたのは、初めての海外出張の直前だった。
アルジェント国での国際会議に出席するために、付け焼き刃のパーティーマナーを叩き込まれている最中の、僅かな休憩時間でのことだった。
共通の話題がなかったのだろう。ありがちな名前についての会話だった。
「なにか意味のある名前なのでしょうか」
「私も詳しくはございませんが」
そう言いながら目を伏せた彼女は、ほんのひと呼吸、間をおいた。
「古代アウルム語で“ともしび”という意味がございます。転じて、希望の光や心の拠り所、守るべき場所や人、愛する人、私のもの、との意味があるといわれております」
いま思えば調べてきたのだろう。詳しくないと言いつつ、いくつもの意味をあげていた。それに気付かないほど、わたしは知らされた“ミア”が持つ意味に驚くばかりだった。
「知りませんでした」
「もしくは、ご両親は名前の持つ意味はもとより、ミアという響きで名付けられたのかもしれません。どちらにしても愛らしいお名前ですから」
名付けが両親だと決めつけられて、曖昧に頷いてしまったのを覚えている。
このときのわたしは、名前に込められた意味に戸惑っていた。
ここに来る前のわたしの名前は、未だにはっきりとは思い出せない。ただ、発見された地名と季節を識別名のように付けられていたことは覚えている。それがどこだったのか、いつだったのかは思い出せないままだ。
だから、ミアという名前がどんな意味を持つかなど、考えもしなかった。
その後の国際会議の懇親会の席で、ライネスブラウ氏が「ミアは私のものか」と意味ありげに呟いたことで、彼は意味を知っていて名付けたのだと確信した。
あのときの彼女が、どんな目的でわたしに“ミア”の意味を知らせてきたのか、どんな表情で話していたのか、どんな声音だったのか、どれほど記憶を探っても思い出せない。
彼女にどんな意図があったにせよ、ライネスブラウ氏との婚約を受け入れたのは、名前の意味を知ったことが大きい。なし崩し的に関係が変わっていたとはいえ、踏み切れずにいたのはたしかだった。
わたしが監禁されていた場所は、城内の備品を処分する前に一時的に保管しておく倉庫だった。鍵の管理は場所柄とても緩かったらしい。
わたしに残った術の痕跡から、魔力をぶつけ、軽量化して運んだことがわかっている。
遭遇した警備兵の証言によると、手を貸そうか、と声をかけたところ、急に気分を悪くして医務局に運ぶ途中だ、軽量化しているので手を借りる必要ない、と断っていたらしい。
軽量化は救護術として広く知られており、城内でも定期的に行われる救護訓練で繰り返し教わるものだ。
倉庫には元々作業音が響かないよう遮音されていたそうだ。床に敷かれていた毛布には乾燥の術が付与されており、あの毛布にくるまっていれば数時間で脱水して死に至るものだった。
ライネスブラウ氏はその全てを理解したからこそ、あれほど取り乱したのだ。
証拠保全はミルトさんが行っていた。
魔力の残滓は全てカルラさんの魔紋と一致し、単独犯との見方が強い。
黙秘を続ける彼女に、わたしは一言だけ伝えてもらった。
――わたしをミアと名付けたのはライネスさんです。
彼女は驚くほど取り乱したらしい。結婚の事実を知っても、そこまで取り乱すことはなかったというのに。
取り調べのたびに、彼女はライネスブラウ氏への心酔ぶりを語っているそうだ。
あのお方こそが教主にふさわしい、あのお方ほど高潔な人はいない、あのお方は生まれながらの教主である、等々。
彼女の心に棲むライネスブラウ氏は、平たく思いを広げる人であって、ただ一人に想いを寄せる人であってはならないのだろう。
聡明な彼女には似つかわしくない幼稚な犯行だ。人は心酔しすぎると思考が単純化されるのかもしれない。
いまは背後関係を探っている。エレメン教が関わっていることは間違いないだろう。
そして、サフィルス大公が事件を知って激怒したらしい。
まだ捜査中であるにもかかわらず、彼女の一族は爵位を剥奪され、賠償として領地はベリロス領からサフィルス領へと変更された。
わたしもサフィルス大公の身内扱いとなるため、誰もが当然の結果とばかりに静観している。サフィルス大公は激怒して見せたうえで、ここぞとばかりに上手く立ち回ったようだ。
「もらえるものはもらっておけばいいだろう」
ミルトさんが不満そうに言った。
「いりませんよ、曰く付きの領地なんて」
「爵位だけでももらっておけばよかったんだ」
「爵位だけ貰ってどうやって納税するんですか。そもそも伯爵位にいいイメージがないのでタダでもいりません」
当初、彼女の家の領地と爵位をわたしに授けようと大公が打診してきたのだが、ライネスブラウ氏を通じて断ってもらった。
ライネスブラウ氏もわたしの意見に賛成している。
ミルトさんだけがごねている。このミルトさんの人間臭さはどこから来るのだろう。魔王のくせに意外とがめつい。
「賠償金はもらったのにか」
「当たり前じゃないですか。もらえるものはもらいます」
結構な額となった賠償金は、使う気にも手元に残しておく気にならず、大半を四隊の諜報班に寄付した。今回の影の功労者は彼らなので、報奨金として支給してもらった。ミルトさんもがっぽりもらったはずだ。
あとは二隊の諜報班にもお裾分けした。ライネスブラウ氏の入れ知恵である。
諜報班は常に資金繰りに喘いでいるため、涙を流さんばかりに喜ばれ、わたしの株も上がった。お金は偉大だ。
「ライネスの魔力と同化しているからか、思ったよりも馴染むな」
わたしとミルトさんの魔力が同調するかを試している。わたしの魔力がミルトさんに馴染むようなら事前に魔力を渡せるが、馴染まなければ界超えの際に一気に抜かれ、枯渇すること必至だ。
「今日は前回よりももう少し抜いてみてください。結構いけるような気がします」
少しずつ、少しずつ、わたしの魔力がミルトさんに移る。
「やだよ。ライネスが怒るだろ」
ミルトさんの界超え計画は地味に進んでいる。ミルトさん自身はあまり急いでいないのか、なんだかんだ呑気に構えているところがある。
どのみち、界を超えてみなければ現在過去未来のどのタイミングで菫さんに出会えるかはわからないそうで、急いだところで仕方ないらしい。
ただ、菫さんを目指して界を超えることはできるらしい。
理由を訊けば「俺のリイだから」と、さも当前のように返された。意味がわからない。ミルトさんがそう言うならそうなのだろう。
ライネスブラウ氏もそういうものとして聞き流しているので、そこはもう触れないことにした。
「どうせライネスさんから魔力を補ってもらうのは一緒ですから、枯渇直前くらいまで抜いても大丈夫です。ライネスさん、明日はお休みですし」
「自分でライネスに言えよ」
「嫌ですよ。絶対に怒られます」
「俺だってやだよ」
なぜかミルトさんはわたしの頭のてっぺんからから魔力を抜く。
手のひらを合わせるつもりでいたので、どうして頭のてっぺんに手のひらが置かれているのか、最初はわけがわからなかった。ミルトさんは人知を超えた存在らしいので理解しようとする方が間違っているのだろう。
ぺたん、とミルトさんの手のひらを頭の上に乗せたまま、ミルトさんが隠し持っていたマカロンに似たお菓子を食べている。美味しい。
最近は、帰りがけにタウンハウスでミルトさんに魔力の提供をしてから、転移で屋敷に戻るのが日課になっている。
今日は、退勤直前にもたらされた書類の処理を行うライネスブラウ氏を待ちながら、前室で行っている。
傍からは謎の儀式に見えるそうで、ライネスブラウ氏は見るたびに笑いを堪えている。
「そういえば、魔竜って夜に活動しませんよね」
「そうだな。魔素は基本的に陽の光に左右されるからじゃないか」
「そうなんですか」
「植物が陽の光に左右されるのと同じだろう。講義で教わらなかったか」
教わったかも。覚えていないだけで。
基本的に魔学に関してはほぼ頭に入ってこない。
これまでの常識と違いすぎるせいか、基本の段階で躓いてしまう。そういうもの、として受け入れられるほどわたしの頭は柔軟ではないらしい。
なんで? が頭の中で膨らんで、それ以上入ってこない。
「光合成的な?」
「大抵なにかを変質させるのは月の光よりも陽の光だろ。根拠は俺も知らん」
なるほど。なんとなく教わった気がする。
「冬に魔物全般が減るのは、もしかして冬眠とか? 春と秋に増えるのも自然の摂理的な?」
「そうなんじゃないか。竜も魔素も自然の一部だろ」
恐竜も魔素も自然の一部ではないところで育ったので、すんなり理解できない。
酸化みたいなものだろうか――。
そう、これだ。
こうやって自分の知っている知識に置き換えるせいで、正しい理解ができない気がする。
「魔竜って、人と同じ魔素の歪みで発生するんですよね」
「同じではないな。人は自分の魔力をコントロールできなくて歪ませるが、魔竜は変質した魔素をうっかり取り込んで歪む」
「うっかり?」
「うっかりだ」
「変質した魔素だけを採取ってできますか」
「それは俺がミアに訊きたい」
「わたしはできません。そもそも、魔力や魔紋は見えても、魔素そのものは見えません」
「ミアにできないなら簡単にはできないだろうな」
「だから、人の魔力と竜の魔力を混ぜて人工的に歪ませているのでしょうか」
「そういうことだろうな」
「でも、ライネスさんの魔力がライネスさん自身の魔力とミルトさんの魔力が拮抗していたから歪んでいたってこと、お二人以外に知っている人っているんですか」
「知らないはずだ。俺たちは他人に話すほど迂闊ではない」
ですよね。
「となると、単純に誰かが思いついたということでしょうか、人竜混合魔力」
人竜混合魔力、と呟いたミルトさんの声に不穏さが滲む。頭に乗った手にじわっと力が込められた気がする。言葉に気を付けよう。
「人は欲深いからな。竜の血を飲めば強大な力が持てるだの、竜の肉を食えば不死になれるだの、生贄を捧げると奇跡が起きるだの、竜の魔力を授かる方法だの、その類の胡散臭い話は山とある」
ありがちだ。これまでにも散々試してきたのだろう。それがたまたま上手くいったのが今回の黒の魔素ということか。
「でも、彼女から黒の魔素が見えたことはありませんでした」
「ミアはあの女が黒の魔素を取り込んだと考えているのか」
「そう考えると辻褄が合うような気がするんです。彼女、採用当初はエレメン教徒ではなかったんですよね」
「そう聞いている。そもそも対魔隊は信仰心の薄いやつか、懐疑的なやつしか採用していない。事務官であっても同じだ」
「それなのに、急にあそこまでのめり込むものでしょうか。ライネスさんが対魔隊の隊長なのは、採用時点でわかっていたことですよね」
ライネスブラウ氏が対魔隊の隊長になったのは六年前のことで、その実績から二年後に軍のトップに就任している。カルラさんが採用されたのはその後のことだ。
二十代前半で隊長とは精霊魔法行使者のとんでも感が半端ない。
ライネスブラウ氏の就任前と後で隊員の死傷者数が激減したというのだから納得である。
「人が取り込むと黒の魔素が消える……違う、吸収されてしまうのかも。わたしが知っている彼女は、すでに黒の魔素を取り込んだあとだとしたら」
「それ以前を知らないミアには違いがわかるはずもない」
思わず顔を見合わせる。正解かも。
「ミルト、抜き過ぎていないか」
不意にライネスブラウ氏の声が聞こえたところで、一瞬意識が飛びかけた。
「ミア! ミルト、抜きすぎだ」
ライネスブラウ氏が慌てたように手のひらを合わせてきた。すーっと清涼感が体に沁み込んでくる。
ライネスブラウ氏の魔力は気持ちいい。この感覚……初めから知っていたような気がする。
「すまん、話に夢中でうっかりした」
「わたしがいつもより多くとお願いしました。明日はライネスさんお休みなので」
専任事務官のわたしも休みだ。
握手から指を絡めた握り方に変える。恋人繋ぎにはちょっと憧れたりもした。口元が緩みそうになる。嬉しいが溢れそうだ。
「一日中ベッドにいてもいいかと思って」
一緒にまったり寝ていれば自然回復するはず。たまにはぐだぐだするのも悪くない。
〈ほーう〉
あれ。怒ってる? なぜ耳が赤い?
「あっ! ちがっ! そういう意味じゃなくて」
「ほーう、そういう意味とはどういう意味だ」
その怒り混じりの「ほーう」はやめてほしい。助けて、ミルトさん! って、ミルトさんがいない!
「ミルトは逃げた」
逃げた……裏切り者め。あー…でも。
「そういう意味でもいいです」
「帰るぞ」
耳が赤い。顔には出ないのに、耳には出る。
繋いだ手にぎゅっと力が加えられた。負けじと握り返す。
「もしかして、手を繋いでいたから伝わってました?」
「この繋ぎ方は憧れだったのだろう」
伝わっていたなら真意も伝わっていたはずなのに。なにに耳を赤くしたのか。
「私の魔力は気持ちいい」
そこか。つまり最初からか。
「そういえば、もうずっと前から、それこそ最初から、ライネスさんの魔力を知っていたような気がするのは気のせいでしょうか」
手を繋いだまま職場を歩くのはいかがなものか。わたしの感覚ではナシだが、ここではアリだ。
最近ライネスブラウ氏のあらゆる職務に付き従っていて気付いた。高官の事務官は大半がその妻か子女だ。サポート役は家族が務める慣習があるらしい。
仕事中に触れ合ったりはしないのは当たり前として、こういう移動中や休憩中は触れ合っているのをよく見かけるようになった。
気にしていないときは目に入らなかったのに、一度気にすると頻繁に目に付くようになった。しかも、気にしているのはわたしだけで、周囲は誰も気にしていない。
まさに、カルチャーショックだ。
「ああ、ミアは覚えていないのか。私がミアを発見したとき、ミアは私の魔力に触れている。おそらくその時に取り込んだのだろう」
「そうなんですか」
「当時ミルトが意味深なことを言っていたのがずっと引っかかっていた。あとになって思い返すとそういうことだったのかと納得した」
「納得?」
「ミアに私の魔力が馴染む理由だ。私の魔力ばかりか、ミルトの力もあっさり馴染んだだろう」
「もしかして、ミルトさんの力って人には馴染まないものなんですか」
「そのようだ。それも最近理解した。私の魔力とミルトの魔力が馴染んだ途端、周囲からの警戒感が薄れた。おそらくミルトの力は無意識に周囲を警戒させてしてしまうのだろう」
「ミルトさん自身は警戒されないのにですか」
「いまのミルトには、母の魔力が馴染んでいる」
「いまのライネスさんと同じように?」
「そうだ。私が母の胎内でミルトの力を授かったとき、ミルトはまだ母の魔力と馴染んでいなかったのだろう。魔力が馴染んで人に擬態できるようになったのは私が十歳の頃だ」
人知を超えた存在の力――それは人が持っていい力ではないはずだ。
「ライネスさん、本当に、本当に、」
その先は言葉にならなかった。あえて言うなら、よく生きてきた、なのだが、そんなこと他人に言われたくないだろうし、わたしも言いたくない。
それでも、本当に、よくぞ、と思う。
「そうだな。ミルトが傍にいなければ、とうに狂っていただろうな」
タウンハウスまで手を繋いだまま歩いた。二十分くらいの、のんびりした散歩だ。
「こういうのいいですね。なんだか新鮮です。デートみたい」
「休みの前日は歩いて帰るか」
「そうですね。たまには外でご飯食べるのもいいかも。アンナさんもゆっくりできますし」
街に車が走っていないだけで、街並みがゆったりして見える。
移送ケージが発達しているため、乗り物文化が馬車から先に進んでいない。むしろ馬車で十分なのだろう。躾けられた馬は決めれた場所でしか排泄しない。
エネルギー源の大半が魔力なので、大気汚染もない。
移送ケージに灯る黄みがかった明かりが、街をやさしく包んでいる。LEDのさっぱりした明かりとは違い、温かみを感じるのは気のせいだろうか。
「ライネスさん、わたしを見つけてくれてありがとうございます」
「ミアこそ、私のもとに来てくれてありがとう」
ライネスブラウ氏の笑顔はわたしを幸せにしてくれる。この瞬間のこの笑顔は、わたしだけのものだ。




