015 アフターケア
例えるなら、魔術は円であり平面である。魔法は球であり完全体である。
空間干渉などがわかりやすく、魔術での構築は平面をつなぎ合わせる立方体となり隙ができやすい。その点、魔法は空間を丸ごと閉じ込める球体となり隙がない。精霊魔法で生成される結界が絶対領域といわれる所以である。また、転移が魔法でしか行使できない理由もこれである。
教わった魔学の講義を思い出してみたが、理論としてわかっているだけで実感としてはまるでわからない。正直なところ、魔術と魔法の区別が曖昧だ。
「自分の使っているのが魔術か魔法かなんて、いちいち考えるものでしょうか」
「考えるものだ」
ストレスで魔力の流れが滞ることがわかった。おまけに、強いストレスで魔力が濁る。濁ると言うと語弊があるかもしれないが、きらめきが半減するとでも言おうか、くすむとでも言おうか、ライネスブラウ氏のあの美しく透き通るような青が鈍る。
久しぶりにライネスブラウ氏の魔力を整えている。
歪みは生じていないので、通常のマッサージも行っている。心が疲れると体も疲れる。人の手が触れることで安心するのか、ライネスブラウ氏の表情も少しずつ和らいでいく。
「それはライネスさんが意識して使い分けているからじゃないですか」
ライネスブラウ氏は魔力と魔法の両方を使う。人が生まれながらに持ちうる魔力と、胎内にいるときにミルトさんから授けられたレイの力の両方を持って生まれている。
「いまはミアのお陰で意識せずとも使えるようになった」
わたしが二つの力をひとつにしてしまったからなのだが、いままでより行使しやすくなった、とライネスブラウ氏は喜んでいる。
彼が喜んでいるなら、ミルトさんにはわたしの魔力で我慢してもらうしかない。
「魔力行使の際、誰もが一度は精霊魔法が使えないものかと自然界に存在する魔素の取り込みを試すらしい。何度かやり方を聞かれたこともある」
「後天的に魔法が使える人もいるのでしょうか」
「確認されていないだけで、実際には存在しているのかもしれないな」
わたしを見ながら言わないでほしい。わたしのはただの成り行きだ。
ライネスブラウ氏の腰が強張っているのは、わたしを抱き上げて窓から飛び出すせいではないかと疑っている。
いい加減、部分強化デビューをしたい。それなりに上達しているはずだ。三メートルは飛べるようになった。着地はまだ危ういが、きっとなんとかなる、はずだ。
魔竜の討伐は滞りなく終わり、事後処理中もライネスブラウ氏に付き従った。片時も離れないよう、常に手の届く範囲、視界に入る距離にいた。トイレに行くにも、なにをするにも声をかけ、わたしの姿が彼の視界から外れないよう意識して過ごした。
ライネスブラウ氏は一見落ち着いているようで、その実、なかなか落ち着きを取り戻せていない。自制心が強いのも困りものだ。
「それで、ミアはどうしたい?」
絶対に許さない。わたしはそう決めている。その結果がどんなことになるにせよ、わたしは後悔しない。
ミルトさんはわたしの決意を知って、嬉々として裏取りに出かけていった。
「当初の計画通りで構いません。ただ、容赦なくやってください」
貴族にとって大切なのはその地位たらしめる領地だ。領地がなくなれば当然爵位もなくなる。その地位があるから利用される。利用される地位などなくなればいい。利用されぬよう自衛するのが地位ある者の務めだ。それを怠ったのだからどうしようもない。
しかも、自分よりも上位の貴族に楯突いたのだ、ただで済むわけがない。本人が爵位持ちではない場合は親や一族に責任が及ぶ。
この国においても当然のことながら拉致監禁は犯罪である。さらに、殺人未遂も加わった。貴族による犯罪行為は一般人よりも罪が重い。貴族として優遇されている以上、処罰も重くなって当然であり、その子女も同様である。
かくいう、元最下層の一般人だったわたしは、いまや立派なお貴族様、大公お墨付きの公爵夫人である。
実は、国王に謁見したその翌日に、王都に滞在中だったサフィルス大公にも拝謁し、わずか十分程度の面会のあいだに結婚が半ば強引に推し進められ、秘密裏に婚姻の届けを提出させられた。大公のゴリ押しだ。ゴリゴリのゴリ押しだった。
立会人は大公その人である。実質この国で一番偉い人だ。
大公の強引さに逆らい切れなかったライネスブラウ氏からは、念の為、と説明されたが、あれは誰でも断れなかったと思う。
おまけに、この立場が物を言う事態が早々に起きたのだから、大公の先見の明を称えるしかない。さすが、国で一番偉い人だ。できることなら一切関わりたくない。
同時に、ライネスブラウ氏の爵位が公爵であることも、そのとき初めて知った。
領地を持っていることも、その管理を任せているのが大公の次男である次期国王であることも、話のついでのようにさらっと聞かされた。
ライネスブラウ氏の屋敷の窓からは他の建物が見えなかったので、どこかの田舎にあるのかと思っていたら、サフィルス領の首都、ダスブラウの一等地にあることもそのとき知った。
ライネスブラウ氏と父親である国王は、魔力の質がよく似ている。国王と大公もまたよく似ていた。それでいて、ライネスブラウ氏と大公は似ているようでまるで違うのだから、血の繋がりは不思議だ。
違っていてよかったと心の底から思った。大公は怖い。脊髄が凍りつくほど怖い。
「婚姻、しておいてよかったですね」
わたしたちが婚約を経て婚姻していることを知る人は少ない。
対魔隊の人たちですら知らない人のほうが多いだろう。外務局の人は口が固くないと務まらない部署なので、そこから漏れることはない。管理局や人事局は言わずもがな。
貴族社会の公務員の口は堅い。漏らしたら一族に迷惑がかかるからだ。
当然、思惑のある大公側から漏れることもない。
たとえへっぽこであっても、治癒士の地位は高い。そのうえ、わたしが魔力の歪みを正せることを知った大公は、ライネスブラウ氏同様、わたしの存在も無視できないと笑っていた。
穏やかに笑う大公の目の奥の冷ややかさに背筋が凍った。本当に怖かった。
消すなら夫婦諸共か、と帰り際にライネスブラウ氏がぼそっと呟いていたのは、聞かなかったことにした。
この国随一の権力者である大公であろうとも、ライネスブラウ氏を消すことは容易でない。消せないなら取り込むというのは正しい判断だとわたしでもわかる。
ライネスブラウ氏の爵位はそういう意味だ。本来であれば侯爵が妥当なのだとか。
兎にも角にも、わたしがサフィルス家の者だからこそ、容赦なく断罪できるのだ。地位は利用されるものではなく、利用するためにある。
「もう少し別の喜び方はないのか」
肩が凝っているのはデスクワークのしすぎだ。いくら鍛えているとはいえ、同じ姿勢で仕事をし続けるのはいかがなものかと思う。腰の強張りの一因でもあるだろう。
「念の為の婚姻ですから、なんとも」
ライネスブラウ氏が苦虫を噛み潰したような顔で言葉に詰まった。
彼はなんというか、他人とのコミュニケーションがあまり得意な方ではないのだろう。わたしも相当不得手だが、おそらくそれ以上だ。
すんなりと気持ちを表さない。あまり言葉にするタイプでもなければ態度や表情に出る人でもない。
実際に言葉にされたこともなければ、はっきりと態度で示されたこともない。デートらしいデートもしたことがなければ、イベントは仕事で全スルーだ。
言葉や態度で示して欲しい人や、デートやイベントを重視する人とは上手くいかないタイプだ。わたしも同類なので人のことは言えないが、それでもたまには、と思うこともある。
ある意味なし崩し的な関係ではあるが、わたしはライネスブラウ氏以外考えられないし、彼もきっとわたし以外を考えていない。どういうわけか妙な確信があるのは、きっと彼の魔力を取り込んでいるからだろう。
言葉や態度にしなくても魔力を介して想いが伝わってくるせいか、不安になることもないのだから、わたしたちはこれでいいのかもしれない。
「ところで、動機はわかりましたか」
「まだ泳がせている最中だが、随分とエレメン教に傾倒しているようだ」
元々ライネスブラウ氏たちも疑っていたらしい。
緊急出動した討伐先に、ましてやその日のうちにエレメン教の使者が現れるのは、内部情報が漏れている可能性が高い。軍の誰もが知る四隊の緊急出動ではあるが、当然外部に漏らしていい情報ではない。しかも、精査していくとライネスブラウ氏が臨場しない現場には一切現れていないことがわかった。
貴族による情報漏洩は、わたしが思う以上に厳罰化されている。
基本的に対魔隊にエレメン教の信徒はいない。討伐対象が信仰対象だからだ。採用時に仔細に渡って調査される。
今回の犯人もここ数年で急速に傾倒していったようだ。
思い返せば、ライネスブラウ氏の呼び方にも違和感があった。それなのに、貴族特有の言い方だろうとさして気にも留めていなかった。
わたしを拉致監禁したところで、ライネスブラウ氏がすぐに助け出すとは思わなかったのだろうか。それとも、そこまでの関係性ではないと判断したのか。
盗まれた手交書類が必要だったにしては、計画が破綻している。
わたしが魔力の色を判別できることを知らなかったにしても、魔紋が検出されることくらい軍所属なら理解していたはずだ。
ふと思う。
単なる嫌がらせだった可能性はないだろうか。どうしても我慢できなかったとか。案外そんな単純なことが犯罪の動機になる、とかつて誰かが訳知り顔で話していたことを思い出す。
「わたしに対する嫌がらせだとすれば、あの計画の稚拙さも理解できなくはないのですが」
今回の事件に黒の魔素が関わっているかは、いまのところ確認されていない。それを踏まえると、短絡的な犯行なのではないかと思えてくる。
「案外そんなものかもしれないな」
ついでに足裏マッサージもしておこう。
ライネスブラウ氏は足裏に触られることを恥ずかしがる。以前何気に「別に臭くないのに」と言ったら、わりと本気でむっとされたので、そういうことではないらしい。
足の裏はプライベートな場所という感覚なのかもしれない。足裏マッサージ店で働いているときに、そういう人がたまにいた。
「ライネスさんにエレメン教のトップになってほしい。でもそれにはわたしの存在が邪魔、とか」
「だが、私にはもうその資格はない」
「どうしてですか」
なぜかライネスブラウ氏が照れたように視線をそらした。
「もしかして、教団幹部は妻帯できませんか」
「妻帯どころか未経験でなければならないそうだ」
思わず手を止めてじっと見つめてしまった。ライネスブラウ氏の耳が赤い。
最近は足裏をマッサージしても痛がらなくなった。
「一般的に、婚約した時点といいますか、お付き合いした時点でそういうことってしないものですか」
「表向きはしないことになっている」
彼が婚約や結婚を急いだ理由はそれか。この国での貞操観念までは理解できていなかった。
「男性の場合、未使用と使用済みはどうやって確認するのでしょう」
「私が知るわけないだろう」
ですよね。なにか方法でもあるのだろうか。
ふと非難がましい視線を感じた。
「単なる興味です」
他意はない。
「私はなにか変わったか」
「特に変わらないと思いますが、えっ……ライネスさん、初めてだったんですか」
「私にそんな機会があったと思うか」
しらんがな。なぜ非難がましい目のままなのか。
感覚の共有ができていたにしても、色々すんなり運んだ気がする。嫌なことはなにひとつされなかった。むしろ、大人の余裕を感じた。初めてだったのだとしたら、本当は余裕なんてなかったのかもしれない。それなのに、すごく大切にしてもらえた。
ずっとそうだ。最初から大切にされていた。
彼に出会うまで誰かに大切にされるという経験がなかったせいか、こんなにも心が満たされて、静穏になるとは思わなかった。自分より大切な人が大切にしてくれるから、自分でも自分のことを大切しようと思える。
「わたしは変わりましたか」
話の流れでなにも考えず訊いてしまった。
ライネスブラウ氏は耳を赤くしたまま黙り込んでしまった。なんとなく言いたいことはわかった。
「言わなくていいです」
自覚はある。明らかに女性としての変化がある。
食生活が充実したおかげで鶏ガラ体型が人並みになってきている。だが、それ以上にその前後でプロポーションが変わった。
自分で話を振っておきながら、恥ずかしすぎて顔が暑い。
「わたしたちは、もう少し人前で触れ合ったりするべきなのでしょうか」
この国の人たちはスキンシップが激しい。なにせ、握手の代わりがハグだ。初対面でいきなりハグはきつい。親しい間柄では頬を触れ合わせることが当然の挨拶で、恋人同士は目のやり場に困るほど体を密着させている。夫婦ともなると互いの体に触れていないほうが不自然なくらいだ。パーソナルスペースなんて無きに等しい。
他人を恋愛対象としてはおろか、人としても好きになったことすらなかったわたしには、恥ずかしいを通り越して理解不能だ。
ライネスブラウ氏がそういうタイプでなくてよかったと常々思っていたのだが、どうやらそれが間違いだったようだ。わかりやすくいちゃついていれば、エレメン教徒たちはもっと早い段階で諦めていたかもしれない。
「いいのか」
あっ、失敗した。
がばっと体を起こしたライネスブラウ氏の青い目がかつてないほど輝いている。もしかして、いちゃつきたい人だったのか。
「ミアは嫌がるかと思っていた」
くすんでいた青のきらめきが発光して見えるほどに澄み切った。
この激変を見てしまったら嫌とは言えなくなる。
「嫌がりはしませんが恥ずかしいです。人前で触れ合うことのない文化で育ったので恥ずかしいです。わざわざ恥ずかしい思いをしてまで他人にアピールしなくてもいいと思います」
大事なことなのでしつこく繰り返したのに、青の輝きは変わらなかった。切々と育った文化を説明したのに、青い目の圧が強すぎて負けた。
翌日、張り切ったライネスブラウ氏は早速周囲にアピールしようと、わざわざ食堂で昼食をとることにしたのだが、行きがけに急ぎの仕事が舞い込んだため、わたしだけひと足先に食堂に向かった。
ライネスブラウ氏はすっかり立ち直った。
これを機に、転移や防御が付与されたいくつかの魔晶石を身に着けることにした。ライネスブラウ氏が試行錯誤しながら、複雑極まりない術式を構築してくれた。
ライネスブラウ氏が来るまで久しぶりのソロ飯を楽しもうと、主に四隊の人たちが集まる一角に席を取った。
窓からの景色を眺めながら美味しい食事を堪能する。フルコース並みにお皿の数が多くて、嬉しさににやけている自覚がある。
「君、治癒士だよね」
いきなり見知らぬ人に話しかけられた。
こちらの返事も待たず、勝手に椅子を引き、断りもなく同じテーブルに着かれた。勝手に座るなんて完全にマナー違反だ。
思わず周囲を見渡したが、四隊の人たちの戸惑う顔ばかりで、事態が理解できない。
面倒な気配がむんむんしているので、無視を決め込むことにした。
「ミアって名前でしょ」
面識のない人に名前を知られているのも、勝手に呼ばれるのも気分が悪い。
視線が合わないようチラ見すると、一隊の隊服が見える。一隊ということは一応貴族なのだろう。髪の色を見る限りルベウス領のボンボンのようだ。
同じ色持ちの四隊の人が「おい、失礼だぞ」と声をかけたのに、目の前のボンボンはそれを無視した。感じ悪い。
久しぶりに食堂を利用した途端にこれだ。一人飯の誘惑に負けず、ライネスブラウ氏を待てばよかった。
「デートしてあげるよ。次の休みはいつ?」
あげるよ、だと。いい度胸だ。
わたしの気持ちに同調するように、周囲の空気も一気に冷え込んだ。
一隊と四隊は仲が悪い。
名実ともにエリートである四隊と、家柄重視でエリート気取りの一隊とは反りが合わない。四隊の中にも元一隊の人はいるが、四隊の隊風に合う人ばかりなので、こんなふうに地位を笠に着る人を久しぶりに見た。
だったら、こちらもそれなりに対応しよう。
「あなたの爵位は?」
「あっ、そういう感じ? 我が家は伯爵位だ。お気に召したかな」
自信満々に言い放った。あなたの、と聞いたのに、親の爵位で答えるとは……自身の爵位ですらないのにその態度か。
伯爵家の子女はみんなこんな感じなのか。
わたしがライネスブラウ氏付きだと知らない時点で無能を公言しているようなものだ。公爵や侯爵家であれば情報収集の精度も高いだろうし、その子女ともなれば慎重に行動するよう躾けられると聞く。子爵や男爵家の人は比較的上昇志向が強いため、貪欲であっても傲慢な人は少ない。
「わたしの家は公爵位ですが」
伯爵家のバカ息子よ、不服そうな顔をする前に周囲の不穏さに気付け。
「おいおい、もう少しマシな嘘をつけよ。公爵家のお嬢様がこんなところにいるわけないだろ。不敬だぞ」
嘘は言っていない。わたしの夫は公爵位だ。
不敬はおまえだ、と四隊の誰かが聞えよがしに呟いた。もっと言ってやれ。
ライネスブラウ氏の魔力の気配がした。最近、彼の魔力だけは感知できるようになった。
「私の妻になにか用か」
嬉しそうな声だ。私の妻、と言いたいだけではないかと思ってしまう。
昨夜から張り切って、人前では“私の妻”と呼ぶのだと練習までしていた。
振り返ったバカ息子の顔がみるみる蒼白になる。誰をナンパしたのかようやく理解したようだ。しかも、デートしてあげる、という上から目線で。お気に召したかな、というクソ気持ち悪い慇懃無礼さで。くたばれ!
ライネスブラウ氏の背後には、いつの間に戻ったのか、ミルトさんが堪えきれずに吹き出している。それが伝播するように四隊の人たちからも失笑が聞こえてきた。
朝からずっと、ライネスブラウ氏はことあるごとに「私の妻」と言い続けているので、今日の四隊には妙に和んだ空気が流れている。誰一人としてネガディブな感情をもっていないことがわかり、ライネスブラウ氏がみんなに好かれていることに気付いた、実りある良き日だったのに台無しだ。
そんな和やかな空気の向こうで、ぱっと捕縛円が広がった。広がった捕縛円が対象者に向かって一気に密度を高めながら円を縮めていく。
拘束されようとしているカルラさんの歪んだ顔が見えた。わたしに“ミア”の意味を教えてくれた、絶対に許さない人が、たったいま逮捕された。




