「無防備で可愛いお前を、見せたくないから」―皇妃、記憶喪失編⑤―
「ふぅ……」
「マドロール、疲れたか?」
息を吐くマドロールの傍にはヴィツィオの姿がある。マドロールはヴィツィオのことをまじまじとみる。
(本当にヴィー様って、私を……記憶を失う前の妻を愛していたんだわ。だからこそ忙しいのにずっと傍に居てくれる。皇帝って立場なのに! 他の仕事はいいの??)
そう、朝も昼も夜も、ずっと傍に居る。それも予定していた仕事を全てキャンセルしての上らしいと聞いて、マドロールの顔は真っ青になったものだ。しかし、周りからも「マドロール様に早く元気になってもらいたいですから」とマドロールのことを優先する言葉をかけられていた。
文官や騎士や侍女――皇帝一家に仕える者達の予定ががらりと変わってしまったのにも関わらず、誰一人マドロールを疎む視線を向ける者は居なかった。
(私はこの国でとても慕われて、大切に過ごしていたのね。……記憶がないから、全然実感出来ないけれど。それにしても私がヴィー様の前で、挙動不審になっても誰一人動じないのにも驚いた。「慣れてます」と言われたのだけど、もしかして記憶喪失前の私ってこういう態度いつもしていたの? 皇妃なのに……?)
ヴィツィオが常に傍に居るため、侍女達に過去の自分について聞くことが出来ないマドロールである。
「色々考えてしまって……。やっぱり私がヒロインを差し置いて溺愛される皇妃だったなんてびっくりして。それに子供もあんなに……」
マドロールは子供達との対面も済ませている。十一歳のヴィダディには、ヴィツィオの口からマドロールの前世の事も共有されていた。
子供達はマドロールの記憶がないことを悲しんでいたが、ロルナールなんかは「お母様、何も分からないの? なら、私が教えるわ!!」と意気揚々としていた。
こういう時に何だかんだ前向きで笑っているのはマドロールの似た部分であろう。ロルナールとしてみれば「このままお母様が目を覚まさないより、記憶がなくても起きててくれている方が嬉しい」らしかった。
(男の子が三人に、女の子が二人……。あんなにも子供をもうけていて、ヴィー様が父親をやっている姿を間近で見れるなんて本当に眼服だった。もう壁になりたかった……。駄目だわ。ヴィー様の妻が私だって聞いているのに、その記憶がないから異物な気分になってしまう……!! こんな尊い空間に私が存在していていいのか?? みたいになるもの)
前世のマドロールにとってヴィツィオは推しである。近づくことが出来ないが、幸せになってほしい存在。存在そのものを愛おしく思うようなそんな絶対的な男性。
それが目の前にいて、自分を愛してくれているなんてどうしようもなく不思議である。
「私……皇妃としての仕事なんてしてないですが、いいんですか。ヴィー様に負担かけているんじゃ……」
目が覚めてからというものの、マドロールはひたすらヴィツィオに甘やかされて過ごしていた。
皇妃ならばもっとやることがあるのでは? と思うものの、何もやらせてもらえない。
「問題ない」
「……そうなんですか?」
「ああ。マドロールは居るだけでいい」
「……もしかして、記憶を思い出す前の私は、ただヴィー様に愛されるだけで皇妃としての仕事なんかしてなかったんですか? それって周りからの評判とか、大丈夫だったんですか?」
ヴィツィオはマドロールが生きているだけで全ていいらしかった。その言葉を聞いてマドロールは安心するどころかあたふたしている。名実だけの、ただ愛されるだけの皇妃などどうなのだろうか? と心配しているのだろう。
その様子を見て、ヴィツィオは楽し気だ。
「いや? マドロールは仕事をしていた。貴族達とも積極的に交友を持っていた」
「そうなんですね。なら私も――」
「駄目だ。記憶を失っているマドロールを、外に出したくない」
「わ、私が、至らないからですか?」
マドロールはヴィツィオの言葉に泣き出しそうな顔になった。記憶喪失前に出来たことを、今のマドロールは出来なかった。
王族としてのマナーも、皇妃として身に着けたものも……今のマドロールは何一つ持っていない。実際に食事の場などでも、普段出来ていたナイフとフォークの使い方も出来ていなかったりしていた。
皇帝も、子供達も、周りの侍女や使用人達もそんな至らないマドロールを見ても特に気にした様子を見せていなかった。
しかしこうして“外に出したくない”などと言われてしまうと、ショックだった。
「泣くな」
そう言ってヴィツィオはその目元に口づけを落とす。驚いてマドロールの涙は止まった。
「マドロールが至らないとかはない。そんな戯言を言う奴が居たら全員消すから安心しろ」
「な、なにも安心できない発言なんですけれど! 消さないでくださいよ! そ、それより至らないのではないならなんで?」
今のマドロールは王女としての教育をされていない、日本人としての感覚しかない。動揺して普段はしないため口も出ている。
「無防備で可愛いお前を、見せたくないから」
「なななな、なに言ってるの!?」
「今のマドロールは警戒心がなさすぎる。他の男がお前に夢中になったら困る」
「……も、もうヴィー様。た、確かに今の私は前世よりも可愛い顔立ちはしていると思いますけれど、そんな心配なさることはないです」
マドロールの顔は真っ赤である。推しからときめく台詞をひたすら言われているので、もうどうしたらいいか分からない。
「マドロールが一番可愛い」
「……わ、私よりも可愛い子なんていっぱいいるもん」
「そんなことない」
「ヴィ、ヴィー様はもっと可愛い子や綺麗な子だって沢山見ているでしょ!!」
視線も言葉もただただ恥ずかしすぎて、思わずそんな反発的なことを言ってしまう。自分のことを一番可愛いというなんて信じがたいのだろう。
「お前が一番だ。今すぐ口づけしたいぐらい」
「……も、もう!! そんなこと言って、私が目覚めてからそんなことしてこないじゃないですか!」
「してもいいのか?」
「ヴィ、ヴィー様は私のだ、旦那様なんでしょ! ならそういうことするのは当然ですし……。というかなんで『暴君皇帝』がそんな遠慮なんてしているの!?」
マドロールは思わず叫んだ。
記憶喪失のマドロールは、目が覚めてからというもののヴィツィオに口づけなどもされていなかった。
誰の意見も聞かないような、暴君がどうして? と思うのも無理はない。
「マドロールの前世は政略結婚もなかったと聞いた。急に結婚はしないと」
「そ、それはそうですけれど」
「前世の記憶しかないお前に無理強いはする気はない」
「やだ、推しが紳士!! 『暴君皇帝』なんて言われているのになんてギャップ萌え……!!」
マドロール、思わずそんな変なことを叫んでしまう。
どうしようもないほど、ときめいていた。
「それで、マドロール。口づけしていいのか」
「ど、どうぞ!!」
問いかけられたマドロールはそう言って、目を閉じた。身構えて、少し緊張した様子のマドロール。
ヴィツィオはそんなマドロールに口づけを落とすのだった。




