ショコラ
両足に足かせをつけて歩いている気がした。のろのろと歩いているせいで、陣の家にたどりつかない。
陣に好きだと言わない方がいいのだろうか。
歩けなくなって立ち止まると、ケーキ屋さんの前に立っていた。
ケーキが並んだ、磨かれたガラス。
透明なガラスの向こうで芸術品のようにショートケーキやモンブランがキラキラ輝いてみえた。
航平は吸い寄せられるように店の前に立った。
「いらっしゃいませ」
同じ年くらいの少女がにこりとほほ笑んだ。
「ショコラケーキを下さい」
「かしこまりました」
彼女はしゃがみこむと衛生手袋をはめて生まれたての卵をつかむようにケーキをつかんだ。トレーに乗せると、
「こちらでよろしいですか?」
と商品を航平に見せてくれる。航平は頷いた。
「お持ち帰りのお時間は」
「あ、すぐそこです」
とっさに答えると少女は目を細めた。
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
小さな箱の中に丁寧に詰める。
航平はお金を払ってお店を出た。
少女の笑顔と大好きなチョコレートケーキが手元にあるだけで、さっきまで落ち込んでいたのがバカらしくなった。
八年間思い続けてきたのだ。それを拓巳の一言でパーにしてしまうのはもったいない。
自分が決めたのだから、陣に気持ちを打ち明けて、それから後の事はその時に考えればいい。
ありがとうございました、と言う少女の声で心が軽くなる。
航平は元気よく歩き出した。
足かせはどこかへ消えていた。
誰にも邪魔はさせない。邪魔だと言われても、くよくよしない。
家についた。
早く顔が見たい。煙たがられても好きなんだから仕方がないじゃないか。
家の前に来ると緊張がどっとお腹に来た。
息を吸い込んでドアを叩く。
「陣っ」
何度も叩くと、鍵が開いた。すかさず中に滑り込む。
「ただいまっ」
「航平……」
すでにうんざりした顔をしている。
航平は気にしていないふりをして中に入った。
「汚ないなあ。はい、これ」
「何だ?」
「ショコラケーキ」
陣が顔をしかめる。
「食べないの?」
「いい」
「あっそ。いいもん、一人で食べるから」
いそいそと壁に立てかけてあった折りたたみの机を拡げた。
「一個しかないじゃないか」
「金がなかったんだ」
嘘をついた。
本当は二人で半分ずつにしようと思ってひとつにした。
「陣、俺さ…」
話をしようと思ったら、陣はさっと顔をこわばらせて玄関へ向かった。
「出かけてくる」
「え? あ、待って」
呼びかけも無視して陣は出て行ってしまった。航平は大きく肩で息をついた。
「めげないもん」
手でショコラをつかむと口に入れた。
ほろ苦いチョコレート。甘さを控えている分、生クリームが恋しくなる。これは、ちょっとスカスカしていた。しっとりとした方が航平の好みだ。でも、チョコレートの匂いがいい。もぐもぐと口を動かすごとに涙が出た。
やっと、会えた。陣に会う事ができた。
航平は鼻をすすって、口から息を吸い込む。
泣きながら食べると窒息してしまいそうだ。
きっとみっともない顔をしているだろうなと思いながら、航平はショコラを飲み込んだ。