第9話 帰還──貴女を殺す
降った青き雷により、白い巨木は崩れ落ちた。ようやく樹木の要塞は攻略され、これにて地中の深き眠りから覚めたドライアドの強化種は討たれた。
しかし、そんな鮮烈な勝利の余韻に浸っていたのは束の間のこと。地上では今もなお、魔物の残党と疲弊した冒険者たちの小競り合いが続いていた。
「うおおおおぉッ、なんでまた来てやがるこのバカたれ猪ぃ!」
突進して来たミラーボアの牙を素手で押さえ込み、必死に格闘していたのはアジバ職員。
「リリス・アルモンド女子っ、なんで尻尾なんかに火をつけたぁ! 逆効果だ!」
「しょっ、しょうがないじゃないの! 魔力がもうへとへとでコントロールが定まらないんだからっ! ……ってあんたが斧を投げなきゃ、こうはなってないでしょうに!」
斧を失ったアジバ職員など、猪の牙を押さえ、鼻を蹴り上げるのがせいぜいだ。
愚痴を吐ききったリリスはおでこの熱を気にしながらも、集中し杖に火の魔力を集めた。
アジバがなんとか押さえている間に、リリスがもう一度なけなしの魔力を振り絞り、樹木の体でできたその猪に攻撃を加え燃やす手筈だ。
「それはそうだが! ぐっ、ぐぎぎっ……! 次は腹だ、腹をよぉくねら──」
疲労困憊の男女二人が繰り広げる、泥臭くも必死な攻防。しかしそんな騒がしい現場へと、突然一人の男が割って入った。
何者かが投擲したナイフが、猪の腹を食い破り、急所である小さなミラーがある位置を的確に捉え砕いた。
樹上の決闘から帰って来たアキトが、コレクションのナイフを一つ用いて助けに入ったのであった。
脅威がようやく去った疲労感と安堵からか。リリスはその場に内股気味に尻餅をつき、大の字になったアジバ職員はどっと大きく息を吐いた。
二人とも、魔力体力ともに限界ぎりぎりだった様子だ。
「猪と相撲をとるとは元気だなアジバ職員」
「はぁはぁ……ははは、アキト氏。そのスモウや皮肉の方はよく分からないが……蜻蛉返りしてくれて助かった!」
「君を助けたつもりはないよ」
「え? じゃあ誰を?」
「木陰で安静に寝かせていたフミ・ソメイのことか」──そう思ったアジバであったが、返ってきたアキトの答えは少し意外なものだった。
「──彼には、帰る場所が必要だろう?」
天より小さな影が落ち、周囲の木の葉がざわめき揺れる。
焦げついた森を茂みを一直線に掻き分け、煙の中を裂き、草地を踏み締め走る、そんな足音が近づいて来る。
見事に焼け落ちた、白い巨木の切り株をバックに走るのは──青髪の剣士、タイキ・フジ。
片刃の残った縁起の良い斧を掲げ、彼は勝利をその手に掴み、風に流れる爽やかな大声とともに帰還する。
一人、二人、三人、四人。皆が見つめて手を振る方へと────。
(あのレイピアは……流石に失せたか。まぁ、今はもう必要のない過去を断ち切れて悔いはないがね。むしろ呪いを解いてくれてありがとう、タイキ。一点ものだがね? ふふふふふ──さて)
まだ熱の残る巨大な白い切り株の上に立ち、アキトは物色を続ける。失った銀色のレイピアの代わりとなる物を求めて、灰や木の目の中に埋もれた武器を手に取っていく。
「おーい! 何をやっているんだアキト氏。いい戦利品でもあったか」
そんな彼の元に、ギルド職員のアジバが登り現れ、まだ元気の衰えぬその声で呼びかけてきた。
「これぐらいの役得はないとね。一番良いものを探しているところだ」
嘘はついていない。アキトは握っていた武器をまた一つ切り株の地に刺しながら、キープしていた。妥協も視野のようだ。
「ははは、アキト氏の抜け目のなさはアジバ職員に引けを取らないな!」
「いやいや、ジブンは抜け目だらけさ。だから未練がましくこうしている」
「そんなに大事な剣だったか?」
「いや、それほどだ。ただ失って初めてその偉大さが分かることもあるだろう?」
「あぁー、それなら分かるぞ? 同僚のシロイさんがいないせいで、せっかくの勝利の宴もっ、薄いコーヒーしか飲めやしないんだ」
アジバはそう言うと自分の淹れた薄いコーヒーのカップを、ぐっと飲み干して首を傾げてみせた。
「ふふふふふ。──ん? その手はどうしたんだい?」
コーヒーカップを握る手に違和感を覚えたアキトはアジバに問うた。
「あぁっ、これか? リリス・アルモンド女子にやってもらった次第だ。まぁ……よくあるギフトのデメリットさ。もっともこの程度ッ! 慣れているから構わないと言ったのだがな、ははは」
空のカップを地に置いたアジバ。彼の見せつける両手には、丁寧に包帯が巻かれていた。どうやら火傷の応急処置の仕方を魔術師のリリスは心得ていたらしい。よく効く塗り薬も、火のギフトを扱う彼女ならアジバ職員より詳しく知っていてもおかしくはない。
「ふぅん、彼女は意外とそういった面も器用だね。それに言葉遣いは荒いが、佇まいはどことなく品があるようにも見える。案外、由緒あるどこぞのお嬢様だったりしてね?」
「どこぞのお嬢様だぁ? ははは、お言葉だがそれはないと思うぞアキト氏。あの口達者と噛みつきっぷりからは、そんな気品ある姿は想像に難いぞぉ?」
アキトの見当違いのリリス・アルモンド女子への解説に、アジバは痛快に笑って見せた。
「狙っているのかい?」
「はぁ……? 何をトツゼン言いやがるかと思えば、ははははは。……一介のギルド職員に面白いことを言うなアキト氏! いやいやっ、その発想はなかった! まるで自分の耳穴から太陽の裏側を覗いた気分だっ!」
アキトの続け放った突飛のない一言を燃料に、またアジバ職員は笑いを継ぎ足した。
「ふふふ。耳穴から太陽の裏側か、今度困ったときに使わせてもらうよ」
「ははは、冗談を──あっ! それを言うならおたくは、〝フミ・ソメイ〟のことは心配じゃないのか?」
黒い帽子の影で微笑うアキトに、アジバは思い出したように話題を変えて問うた。
「あぁソメイちゃんか。彼女には今回随分いろいろと助けられたね。おかげで無駄なカードを切らず、当初の作戦通り楽に勝てたよ」
話を振られたアキトはなんとも淡々と語った。そんな彼の冷徹な語り口に、話を聞いていたアジバはどこか彼女のことが不憫に思えたのか。
「っておいおい、まさかそれだけなのか? てっきりハグや看病をするぐらいの報酬はあると思ったが……意外と冷静なんだな? しかしなぁ……俺が見た限り、フミ・ソメイもあれだけギフトをこく──」
「ギフトの酷使は推奨しない」
静かに、だが鋭く釘を刺すように。アキトはアジバが言い切るよりも早く、割り込みそう言った。
「し……を、お、おぉ? そりゃぁそうだな? ありゃ尋常じゃなかったからな……」
アジバ自身も今アキトの放ったその忠告の意味が、身に染みてよく分かっているようだ。
あの時地上からフミ・ソメイの取った行為は、ギルド職員としても冒険者としてもあまり推奨したくはないものだった。
もっとも、彼女の熱量と魔力に斧を天へと投げ捨てるほど突き動かされた彼としては、何も言い返すことはできないが微妙な心境であった。
「──だが、ジブンのギフトを理解し、それを昇華しようとする者は別だ。彼女はギフトの正しい使い方を知っている、いやあるいは知った。もちろん使われ方も同様にね。だからこそあのような無茶をする算段ができた……能力の限界を知らなければできない芸当だ──だろう?」
とても難解で変わったフォローの仕方だ。アキトは温めていた本音を付け加えるように、ソメイのことをそう評した。
「理解と昇華……ギフトを使うのと使われる? そりゃまた哲学的で深いな? でも、ああっ、己のギフトの限界を知っていた方が何かと柔軟に立ち回れるっ! と、俺も思うぞ。──ま、ギフトに使われてばかりの気のする俺が頷くのもなんだが? おかげでまた男の勲章が増えちまったナ、はは」
アジバもアキトの説いたギフトのあるべき姿に理解を示すが──。
「おそらくその死にたがりの君のギフトも、死んだ時にはもっと正しく使えるようになるだろう。──良ければ、ジブンが教えてあげようか?」
「おいおいアジバ職員渾身の自虐も、そこまでは言っていないぞ! ははは! って冗談だよな?」
アジバが念の為に、今アキトが囁いた冗談について聞く。
「うん、これでいいか」
「……!?」
すると、アキトは自身の周りに突き刺し並べていた剣の中から、一つその手に選び取り引き抜いた。
「冗談とお喋りはここまでにして、少し外の様子を見て来るよ。君も中々お疲れだろうが、ここの後処理は任せたよ。他に任せられる人がいないからね」
「あぁっ。それは任せてもらって構わないが……?」
アキトは失ったレイピアの代わりにその剣を腰に差し、アジバに不敵な笑みを残した。
ドライアドの支配が抜けた大きな切り株には、雷の走ったような亀裂。その一番深く広くできた狭間に、ひっそりと煌めき佇む出口があるのはもう既に確認している。
激闘を制したミラールーム。今居る異界と外に広がる現実を繋ぐ切り株の狭間へと、彼は迷いなくその身を投げ出し飛び込んだ。
(さて、本番はここからだ)
道化師はまだ笑う。鮮やかなミラー光を潜り抜け、暗い暗い夜の森へと溶け込んだ──。
▼
▽
ミラールームを抜けて夜の森へと。まだ魔力の残滓が染み付く小さな黒い布を頼りに、彼が目指す先は──。
湖畔の前で独り佇む水色の頭。サヤ・ミタライ、彼女だった。
「やぁ」
「なぜここにいる」
アキトはその背に呼びかける。ミタライは振り返らず、森の中の湖をじっと見つめながら口を開いた。
「それはこちらのセリフだよ。クランのトップともあろう女性が、お供もつけず一人でこんなところにいるのは、いささか危険だと思うよ」
心にもない台詞だ。彼女はなおも湖の方を見つめたまま振り返らない。
「第一パーティーは既にノルマの戦果をあげて街へと帰した。第三、第四隊も続き森の外へと着々と向かっている」
ミタライは冷静にただ事実を述べる。傍の地に刺していたクラン章の刺繍された槍旗が、緑の光を放ち続けている。彼女には例え離れていても、仲間たちの動向が詳細に分かるのだ。
「おや、奇遇だね? こちらもついさっきミラールーム内の魔物を倒してきたところだ。少し骨が折れたけど、報告しに来た甲斐があったね」
「それも確認できている……。ここへ近づいてきた奴のことも」
例え、それが焦げた旗の切れ端でも、今の彼女には魔力を探り近づいてくる気配を読み取ることができた。
「なるほど、それはそれは素晴らしいギフトをお持ちだ。まるで森の案内人。お仲間の動向が、主には手に取るように分かるわけだ。他のクラン員とはギフトの練度が飛び抜けて違うね。タイキ・フジもまだまだあなたには、あらゆる面で敵わないだろう」
「……」
それでもミタライは振り向かない。否定も肯定も返事もしない。だが、槍旗に灯った火が、僅かに勢いを増した。
「それだけに、惜しいよ」
その時、振り返ったのはアキトの方だった。腰に差していた剣を素早く抜刀し、死角の後ろから挟むように忍び寄ってきた緑の火の玉を、二つ同時に切り払った。
「これから貴女を殺すことになるんだから。ふふふ」
死角から猫騙しのように仕掛けてきた火の奇襲にもアキトは動じない、驚かない。そして、彼が迷いなく切先を向けるのは、ise会シロツメ支部の支部長サヤ・ミタライ。緑の火を自在にタクトを振るい操る、その水色のターゲットであった。
だがしかし──。
「あいにくこちらも元よりそのつもりだ。BB級のアキト、いや……エメラルドクロウ、ギルド職員のシロイ」
サヤ・ミタライは振り返る。ぎろりと睨みつける彼女の眼光は、いつものように整然と澄んではいない。黒帽の男のことを睨みつけて離さない、固い意志を宿していた。
「おやおや……今日はよくその名前を聞くものだ」
今更とぼけても彼女には通用しない。クランに入った異物のことなど、真面目な支部長である彼女が調べあげない訳がないのだ。
「得体の知れない奴め。貴様をこれ以上、私のクランにのさばらせる訳にはいかない!」
木々の間からぞろぞろと宙を泳ぎ、緑の火が集まってくる。背水の覚悟で臨んでいた、あるいは待ち受ける罠を張り巡らせていたのは、彼女の方だった。
傍に刺していた槍旗を彼女は掲げた。そして、ゆっくりと倒した槍の穂先は、ターゲットを指し示した。
闇に紛れるターゲットを煌々と照らし逃がさない。取り囲む緑の軍勢は、彼女のタクトでのうのうと正体を現わしたその怪人を一斉に襲った。




