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血統 ー蹄の記憶ー  作者: あいまいもこ
幻の馬

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41/61

5_デビュー戦

昭和二十五年、夏。

日高の牧場で育った黒鹿毛の若馬

――パーフェクトは、北の海に近い競馬場へ運ばれた。


場所は函館競馬場。


当時の函館は、いまよりずっと素朴な競馬場である。

スタンドも低く、観客席には海風がそのまま吹き抜ける。


まだ自動の発馬機などない時代だった。

馬は人に引かれて並び、旗の合図で一斉に走り出す。


競馬というより、どこか牧場の延長のような光景だった。


その七月。

パーフェクトはここで、初めてのレースを迎えることになった。


しかし、問題はレースの二日前に起きた。


発馬練習である。


若馬たちは一列に並べられ、旗が振られる。

その瞬間だった。


パーフェクトが、突然、後ろ脚で跳ねた。

前脚を高く上げ、首を振る。

引き手が慌てて手綱を抑える。


「おい、おい……!」


馬は興奮している。


落ち着かない。

首を振り、身体を横に振る。


見ていた主催者の係員が眉をひそめた。


「……これはいかん」


もう一度、やらせてみる。しかし結果は同じだった。


落ち着かない。

発馬線に並ばない。


当時の競馬は、発馬がすべてである。

スタートが乱れれば、レースそのものが壊れる。


係員は首を振った。


「ダメだ」


もう一人が言う。


「ダメだ、ダメだ」


そして、はっきりと言った。


「こんなんじゃ、レースなんかさせられない」


パーフェクトの出走は、拒否された。


理由は明白だった。


この馬は、危ない。


しかも血統にも不安があった。

全姉のダーリングも、発馬の悪い馬として知られていたのである。


つまり――

気性難の家系ではないか。


競馬というものは、速いだけでは勝てない。

まず走り出さなければ話にならない。


田中和一郎は黙っていた。

どうすることもできない。


そのとき、ひとりの馬主が声をかけた。

有力馬主として知られる栗林友二である。

栗林は係員のところへ歩いていき何かを短く話す。


係員は最初、首を振っていた。

だが、やがて少し考える。


そして言った。


「……今回だけだ」


こうしてパーフェクトは、ぎりぎりで出走を許されたのである。だが、事件はまだ終わらなかった。


レース当日。


観客はそれほど多くない。

北の競馬場らしい、のんびりした空気だった。


発走の時間が近づく。


騎手は岩下密政。


岩下が鞍にまたがった。


その瞬間――


パーフェクトが暴れた。

身体を大きく振り、前脚を跳ね上げる。


次の瞬間、岩下の身体が宙に浮いた。


地面に落ちる。


周囲がざわめく。


「おい!」


「またか!」


係員が顔をしかめる。


だが、時間は迫っている。

もう引き下がるわけにはいかなかった。


岩下は立ち上がる。


土を払う。


そして再び鞍に乗った。


やがて、馬たちは発馬線に並ぶ。


旗が上がる。


一瞬の静寂。


旗が振られた。


――スタート。


その瞬間だった。


さっきまで暴れていたパーフェクトが、嘘のように素直に飛び出したのである。


先頭。


いや、先頭というより――


すぐに一頭だけ前に出た。


800メートルの短い競走。


普通なら、すぐに隊列が固まる。


しかしこの馬は違った。


ぐん、と伸びる。


また伸びる。


後ろの馬たちが、みるみる小さくなる。


観客席がざわつく。


「速いぞ」


「なんだ、あの馬は」


直線に入ったときには、もう勝負は決まっていた。


パーフェクトは、そのままゴールへ突き抜けた。

二着のマッターホンとの差は――


八馬身。


しかも時計は


四十八秒一。


これは芝八百メートルの日本レコードである。


さらに、最後の三ハロン。


三十五秒〇。


当時としては、信じがたい速さだった。


観客席にざわめきが広がる。


さっきまで暴れていた馬が、

いまは何事もなかったように歩いている。


誰かが言った。


「……とんでもないな」


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