4_ 大きな尻の、逞しい馬
日高の丘で育った黒鹿毛の仔馬
――パーフェクトは、最初から目立つ存在であった。
仔馬というものは、普通、どこか頼りない。
脚は細く、身体も軽く、まるで風に飛ばされそうに見える。
しかしこの仔馬は違った。
生まれたときから、身体が大きい。
背は高く、骨格も太い。
とくに目を引いたのは、後躯である。
尻から腿にかけての筋肉が、仔馬とは思えぬほど張り出していた。
古い馬屋の言葉でいえば――
**「蹴りが利く尻」**である。
だが、馬というものは姿だけでは売れない。
父はセフト。
戦後の日本競馬において有力な種牡馬ではあったが、当時の評価は少しばかり微妙だった。
日本競馬は、まだ長距離の時代である。
菊花賞に象徴されるように、三千メートルを走れる馬が尊ばれた。
ところがセフトの産駒は、どうも短い距離で速い。
つまり、速いが――
長くは走れないのではないか。
そう見られていた。
それに加えて、この仔馬の兄姉たちも特別な成績を残してはいない。
血統は悪くない。
だが「ぜひ欲しい」というほどではない。
牧場にとっては、やや困った商品であった。
春のある日、日高に一人の男がやって来た。
東京から来た調教師、田中和一郎である。
田中は寡黙な男だった。
馬を見るときも、多くを語らない。
ただ静かに、歩かせる。
仔馬を曳かせて、牧場の庭を一周させる。
そして止める。
そのとき、田中の目が少しだけ細くなった。
後ろから見たときだった。
後躯の筋肉が、まるで弓のように張っている。
(……いい)
田中は胸の内でつぶやいた。
速い馬は、前ではなく後ろで走る。
地面を蹴る力が、すべてを決める。
この仔馬には、それがあった。
だが、田中は馬主ではない。
買う金もない。
東京に帰ると、彼は一人の人物に話を持ちかけた。
大映の社長であり、映画界の大物でもある――
永田雅一。
永田は、競馬にも手を出していた。
しかし熱心な馬主というほどではない。
田中の話を聞いたときも、あまり興味を示さなかった。
「馬はもう何頭もいる」
というのが、最初の返事だった。
だが、そこへもう一人の人物が加わる。
本桐牧場の関係者、笠木である。
笠木は言った。
「先生があれほど言う馬です。一度、見てみてください」
人間というものは不思議なもので、二人に勧められると、少し気になる。
永田はしぶしぶ日高へ向かった。
仔馬を見た。
黒鹿毛の馬が、牧場の庭を歩いている。
永田はしばらく黙っていた。
映画人である彼は、物の形を見る目を持っていた。
その尻を見たとき、ふと笑った。
「ずいぶん尻の大きな馬だな」
値段は――百万円。
当時としては決して安くない。
永田はその場で財布を取り出した。
そして笠木に、手付金として五十万円を渡す。
残り五十万円は後日。
こうして仔馬は、永田の所有となった。
だが奇妙なことがあった。
永田はこの馬に、あまり関心を示さなかったのである。
忙しい男だった。
映画会社の経営は激務で、競馬はその余暇に過ぎない。
仔馬は東京へ送られ、田中の厩舎に入る。
月日が流れた。
やがて競走年齢である三歳が近づく。
ところが、ここで一つ問題が起きた。
競走馬には、必ず競走名が必要である。
だが永田は、まだ名前を決めていなかった。
田中は困った。
笠木も困った。
二人で相談する。
「どうします」
「……どうしようもない」
結局、やむなく登録された名は――
パーフェクト。
牧場で呼ばれていた、幼名そのままである。
まだ誰も知らない。
この名もない馬が、
日本競馬史に刻まれることになることを。
その日、厩舎の奥で黒鹿毛の若馬が、静かに飼葉を食んでいた。
大きな尻の、逞しい馬である。
まだ誰も、それが怪物の後ろ姿だとは気づいていなかった。




