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血統 ー蹄の記憶ー  作者: あいまいもこ
幻の馬

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2_パーフェクト

北海道の南、日高の海から吹き上げる風は、冬になると骨まで冷える。

だがその風を受ける丘陵地帯こそ、日本の競走馬の血が集まる場所でもあった。


1948年。

北海道三石郡三石町――いまの新ひだか町。


その海に近い牧場、本桐牧場の厩舎で、一頭の仔馬が生まれた。


黒鹿毛の牡馬である。

この馬は、生まれたときから、すでに一つの期待を背負っていた。


父はセフト。


戦後日本で猛威をふるった種牡馬であり、当時の競馬界で最も成功している父系の一つであった。

小柄ながらも爆発的なスピードを伝えるその血は、多くの牧場が欲したが、誰もが手に入れられるものではなかった。


そして母は、第弐タイランツクヰーン。

この血統には、日本競馬史の古い物語が潜んでいる。


小岩井農場が輸入した基礎繁殖牝馬20頭のうちの1頭

――タイランツクヰーンがいた。


当時の日本では、外国から優秀な繁殖牝馬を連れてくることは、容易なことではなかった。


昭和二十年代、日本はまだ敗戦の傷を引きずっていた。

外貨は乏しく、牧場の資金も限られている。


地方の牧場主が、単独で海外から名牝を買うなどということは、ほとんど不可能に近い。


それができるのは、限られた者たちだけだった。


たとえば、三菱財閥が経営する小岩井農場。

あるいは、国家の威信を背負った御料牧場。


そうした巨大な資本の力によってのみ、外国の血は日本へ渡ってきたのである。


つまり、タイランツクヰーンの血というものは、ただの血統ではない。

それは、日本競馬の近代化が始まったときに海を渡ってきた、いわば歴史そのものであった。


その娘の系統にあたる第弐タイランツクヰーンは、本桐牧場にとって特別な牝馬だった。


そして、その牝馬が産んだ仔馬。


それが、この黒鹿毛である。


牧場の人々は、生まれたばかりの仔馬を囲んでしばらく黙っていた。

仔馬は立ち上がり、細い脚でふらつきながら母の乳を探している。


その様子を見て、牧場主はぽつりと言った。


「……いい目をしている」


競走馬というものは、血統だけでは決まらない。

最後にものを言うのは、体の奥にある火のようなものだと、古い馬屋たちは信じていた。


仔馬の目には、それがあった。


だからだろう。


この馬には、幼いころ別の名が与えられた。


「パーフェクト」


少し大げさな名である。

だが、そこには牧場の願いがこめられていた。


父は当代随一の種牡馬。

母は歴史ある血の流れ。


もし神がいるならば、これ以上の配合はない。

まさに“完全”であろう、という意味だった。


しかし、競走馬の世界というものは、そう単純ではない。


生まれた仔馬の多くは、期待されたまま静かに消えていく。

名血の子が必ずしも走るわけではなく、むしろ血統とは無縁の馬が突然歴史を塗り替えることもある。


だから牧場の者たちも、心のどこかでは知っていた。


この仔馬が、本当に“パーフェクト”になる保証など、どこにもないということを。


それでも、誰もがこの馬に目を向けていた。


春になると、日高の丘には柔らかい草が生える。

仔馬はその草原を駆け回る。


まだ脚は細く、身体も小さい。

だが走るとき、奇妙なことがあった。


他の仔馬よりも、地面を蹴る音が短いのである。


まるで、地面に触れている時間が少ないような――

そんな走り方だった。


牧童の一人が言った。


「速いな」


誰も答えない。


ただ、その黒鹿毛の仔馬が丘を駆けていくのを見ていた。


このとき、まだ誰も知らない。

この小さな馬が、やがて日本中を熱狂させることを。

そして、その栄光が、あまりにも短いもので終わることを。


日高の風は、黙って草原を渡っていった。

黒鹿毛の仔馬――パーフェクトは、まだ何も知らずに走っていた。

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