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血統 ー蹄の記憶ー  作者: あいまいもこ
初めて怪物の異名を冠された馬

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32_最後の遠征

十月二十日。

タケシバオーはアメリカへ到着した。


目的地はワシントン郊外の競馬場。

そこで行われる国際競走――

ワシントンD.C.インターナショナル。


日本から来たこの黒鹿毛の馬には、すでに奇妙な評判がついていた。


三千二百メートルの天皇賞(春)を勝ち、

さらに千二百メートルの短距離戦までレコードで勝つ。


そんな馬は世界にもいない。


アメリカの競馬関係者も、半ば興味本位でこの日本馬を見ていた。


だが遠征というものは、往々にして思い通りにいかない。


レースを一週間後に控えたころ、タケシバオーが熱を出した。


体温が上がる。

翌日には下がる。


また上がる。


それを繰り返す。


厩舎の空気が重くなった。


調教師の三井は、体温計の数字を何度も見直した。


「……どう思います」


そう言った相手は、この遠征を決断した人物である。


馬主の小畑正雄。


小畑は黙っていた。


窓の外では、見慣れないアメリカの空が広がっている。


このレースに出るため、どれだけの準備をしてきたか。

どれだけの人間が関わってきたか。


それを思えば、簡単に「取り消し」とは言えない。


だが、馬の状態は明らかに万全ではない。


三井が言った。


「本当のことを言えば……出さないほうがいいでしょう」


それが調教師としての判断だった。


競走馬の体調は、わずかな狂いで大きく変わる。

まして長距離輸送のあとである。


無理をすれば、馬を壊すこともある。


小畑はゆっくりと息を吐いた。


彼の胸には、もう一つ別の重さがあった。


この遠征は、日本代表として選ばれて実現したものだった。

ただの一馬主の思いつきではない。


しかも小畑は、競馬専門誌を経営する人物でもある。

競馬界を盛り上げる立場の人間だった。


もしここで引けば、どう言われるか。


「日本馬は逃げた」


そう書かれるかもしれない。

だが出走させれば、苦しむのはタケシバオーである。


しばらく沈黙が続いた。


やがて小畑は言った。


「……難しいな」


三井は黙ってうなずいた。


レース当日――

十一月十一日。


朝になっても、体温は安定していなかった。


上がり、また下がる。


それでも時間は過ぎていく。


出走の最終判断をしなければならない。


厩舎の空気は張りつめていた。


小畑は、しばらくタケシバオーを見ていた。


黒鹿毛の巨体は静かに立っている。

いつもと同じように、ただ前を見ている。


この馬は何も知らない。


人間の事情も、

期待も、

責任も。


ただ走るだけの生き物である。


小畑は小さく言った。


「……かわいそうだが、出そう」


三井は顔を上げた。


「本当は、出さないのが馬のためだ」


小畑は続けた。


「だが代表として選ばれて、使わないというのも責任がない」


それが結論だった。


レースは始まった。


だが結果は、最初から見えていた。


タケシバオーは馬群についていけない。

脚は動いているが、いつもの勢いがない。


直線では完全に離された。


ゴール。


着順は、七着。


しかも大差だった。


前年と同じ、最下位。


スタンドの観客にとっては、

ただ一頭の日本馬が負けただけのレースだった。


だが厩舎へ戻るタケシバオーの背中を見ながら、

小畑はしばらく動かなかった。


誰もが知っていた。


これは、この馬の本当の姿ではない。

本当のタケシバオーは――

日本で、誰よりも強く走っていたのである。


ーーー


アメリカ遠征は、苦い結果に終わった。


ワシントンD.C.インターナショナルでの敗戦のあと、タケシバオーは静かに帰国した。


しかし、日本へ戻ってきたとき、

その体には遠征の疲労が深く残っていた。


調教を再開しても、以前のような力強さが戻らない。

ある日には馬場で脚を滑らせ、転倒することさえあった。


長い輸送。

慣れない環境。

そして体調不良のまま出走した大レース。


それらすべてが、この馬の体に重くのしかかっていた。


それでも年末の大舞台、

有馬記念のファン投票では、

前年のダービー馬

マーチスに次ぐ二位に推されていた。


人々は、まだこの怪物を見たがっていた。


だが陣営の判断は、違っていた。


出走は断念する。


もう、無理をさせるべきではない。


十二月二十二日。

馬主の

小畑秀雄は、タケシバオーの引退を発表した。


それは、競馬界にとってひとつの時代の終わりでもあった。


翌年――

一九七〇年二月二十二日。


東京競馬場で、引退式が行われた。


スタンドには、多くのファンが詰めかけていた。


三千二百メートルの長距離戦を勝ち、

千二百メートルの短距離でもレコードを出し、

史上初の「一億円馬」となった馬。


その姿を、もう一度見ようとしていた。


タケシバオーは、ゆっくりと馬場へ現れた。


背に乗るのは、長く手綱を取ってきた古山良司。

だが歩く姿は、かつてのような堂々たるものではなかった。


脚元が、わずかにおぼつかない。


それを見た観客の中には、思わず息をのむ者もいた。

あの怪物が、ここまで疲れていたのか。


だが、それでもタケシバオーは歩いた。


静かに、ゆっくりと。


まるで長い戦いを終えた兵士のように。


式のあと、小畑はこう語っている。


「タケシバオーは、神からの授かりものだった」


「私個人だけの馬じゃない」


そして、少し間を置いて続けた。


「ローレル行きは、使命だったのです」


この馬が生涯で稼いだ賞金は、

一億一千三百六十五万円。


当時の日本競馬では、歴代一位の金額である。


だが小畑は、その多くを自分のためには使わなかった。


賞金の大部分は日本赤十字社へ寄付された。


残りも、祝勝会の開催や記念品の配布など、

タケシバオーを応援した人々へ還元された。


この馬は、確かに一人の馬主の所有馬であった。

だが同時に、多くの人に夢を見せた存在でもあった。


貧しい血統から生まれ、

鍛えられ、

常識外れの勝利を重ね、

ついには世界へ挑んだ。


タケシバオー。


それは、日本競馬がまだ若かった時代に現れた、

一頭の怪物の名である。

これでタケシバオーの物語は描き終えました。

次の馬たちのプロットが出来ましたら、また宜しくお願いします。


異世界戦記ものの新作を投稿していますので、良かったらこちらも宜しくお願いします。

<a href="https://ncode.syosetu.com/n1211ls/">後方勤務だと思っていたら最前線でした ~書記官ですが大陸戦争の真ん中にいます~</a>


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