090.ジンセイ
緑が丘脱出作戦について子供たちやロジェと会話した後、暁たちは防衛隊本部に帰ってきた。2人を出迎えたのは怒りと悲しみが入り混じった表情をしたセシルだった。
「ご、ごめんなさい……」
セシルが口を開く前に、ロジェは謝罪した。続いて暁も謝罪、ではなく言い訳を口にした。
「すまないセシルさん。ロジェちゃんが可愛すぎて断りきれなかったんだ」
「暁だって結構ノリノリだったじゃん~!」
自分の前で口げんかをはじめる2人を見て、セシルはあきらめたようにため息をついた。
「もういいです。風早さん、先ほどの電話の件は霧羽さんに話をつけてあります」
「ありがとう。あとは防衛隊の仕事だな」
「はい。私は準備があるので失礼します」
「あ、ちょっと待って!」
すぐに霧羽のところへ向かおうとしたセシルをロジェが引き留めた。ロジェは手に持っている花束をセシルに見せる。
「これさ。ホントはお墓に供えるつもりだったんだけどタイミング無くて……」
「花瓶に活けておきましょう。ちゃんと手入れすれば一週間は持ちますよ」
「ありがとう!」
ロジェのおじいさんのお墓はちょうど神社の奥の方にある。すぐにでも墓に行くことは簡単だったが、すべてが決着するまでは止めておいた。とはいえ、そう長い時間はかからない。今日中にすべては終わる。そういう算段である。
その夜、暁の携帯にロジェからの着信があった。
「やあ、ロジェちゃん。どうしたのかな」
『ちょっとあの子たちのことが気になってさ』
「そういえば、そろそろだったな」
暁は囚われていた少女たちから、いつも子供が連れて行かれるタイミングを聞き出していた。毎週土曜の深夜……ちょうど今日のことだ。暁が考えた作戦はシンプルで、子供の取引現場を押さえて取引そのものを台無しにしようというものだった。今ちょうど、防衛隊員たちがそのために動いているはずだ。子供の誘拐が明らかになれば、防衛隊もシュレディンガー通りの状態を看過できなくなる。
「心配することはないさ、防衛隊の奴らは基本的に優秀だ。欠点と言えば男ということくらい」
『変わんないね暁は……お父さんとお母さんから聞いたんだけどさ』
「うん?」
『2人ともあの通りで育って、盗みや薬の売買、殺しも平気でやってたんだって』
「クレイジーだな」
『まあそれもおじいさんに教えてもらったらしいんだけどね。僕が生まれてフリークスだってわかるとおじいさんがそれを利用して金儲けしようとしたらしいんだけど、お父さんとお母さんはそれが嫌で共謀しておじいさんを殺して通りから出てきたって言ってた』
「推理小説の解決編だけ聞かされているような気分だ」
『通りでの生活は全部捨てちゃったけど、僕がフリークスだったからコミューンから戸籍とたくさん助成金も貰えてちゃんとした生活ができるようになったって』
「戸籍を? なかったのか?」
『ほとんどのコミューンがそうらしいんだけど、フリークスを産むと助成金がもらえるんだよね。だから、それをもらいたくて子供をたくさん産む夫婦が出てくる。でもフリークスじゃない子がたくさんできても育てられない。だから……』
「捨てられるってことか」
『そうやって捨てられた子供たちが集まってできたのがあの通りなんだってさ』
フリークスを産んだ者への助成金。それも出生率を下げずにフリークスを産むための施策なのだろう。あの通りは制度のゆがみが現れている場所なのだ。
『だから僕も、フリークスじゃなかったらあの通りで生活してたんじゃないかと思うとね……まあ、もしもなんて考えてもしょうがないけど』
「それで気になるのか。優しいなロジェちゃん。そういうところも好きだよ」
『僕は暁のそういう軽薄なところ嫌い~』
「おっと、じゃあ重厚な俺も見てもらおうかな」
『なにそれ』
「さっきロジェちゃんはもしもなんて考えてもしょうがないと言っていたが、意外にそうでもない」
『どういうこと?』
「通りを歩いているときに話したが、ロジェちゃんの知っている『シュレディンガーの猫』は本来の意味とは少し違う」
『あ、物理学の話か』
ロジェはまたそれか、というニュアンスを言葉に込めるが、暁にはまったく伝わらない。
「シュレディンガーの猫はその名の通りシュレディンガーさんが考え出した思考実験だ。50%の確率で崩壊する放射性物質を使って、崩壊を検知すると毒ガスが発生する装置を作る。その中に猫を入れておくとどうなるか? 量子論だと箱の中にいる猫は生と死が重なり合った状態に置かれていることになる」
『……なにそれ?』
「重力子を発見した時に話したが、ミクロの世界の粒子は同時に複数の場所に広がりを持って存在している。そしてそのミクロの世界、つまり放射性物質の崩壊と生死が密接に関連している猫も、生と死に広がりを持って存在していることになる。つまり箱の中の猫は死んでいて、かつ生きている。そして箱を開けて観測したときにはじめて状態が確定する」
『……全然分かんない。そんなことあるわけないじゃん』
「その通り。常識的に考えればおかしい。だからシュレディンガーはこの思考実験で量子論を批判したんだ」
『あ、そういう話なんだ』
「だが、このおかしな量子論を矛盾なく解釈する方法もある。その方法を多世界解釈と呼ぶ。さっき言っていた『もしも』の話さ。この解釈では箱の中の猫はちゃんと生きているか死んでいるかのどちらかになっている」
『そんなのあたりまえじゃん』
「この解釈がどうやって粒子の広がりを説明しているかというと、粒子の広がりの分だけ世界が分かれていると考えているんだ」
『……え?』
また良くわからない事を暁が言いはじめたので、ロジェは思わず声を漏らした。
「確率のパターン分だけ世界が作られ分岐していると考えれば生と死が重なりあっているなんて考えは不要。単純に猫が死んでいる世界と生きている世界ができただけだ」
『それも十分おかしいじゃん! 世界が増えるとか意味わかんないし!』
「まあね。だが、この解釈ならさまざまな世界が同時に存在することができる。ロジェちゃんがフリークスじゃない世界だってね」
『そこに繋げてくるんだ』
「その世界では、あの子たちとロジェちゃんが一緒に遊んでいるかもしれない」
『そういう世界もあるかも……か。『爆炎天使ファビュラスさん』も……って、あーっ!!』
ロジェは突然大きな声で叫んだ。
『『爆炎天使ファビュラスさん』! あの子たちの話に夢中で忘れてた! 取りに行かなきゃ防衛隊に押収されちゃうじゃん!』
「oops。俺としたことが失念していた。ロジェちゃん、今から夜の街に繰り出さないか?」
『繰り出す~~~~~~っ!』
言うが早いか、2人は早速外出の準備をはじめた。本当は当番でないフリークスも夜間の外出時には事前申請が必要なのだが……当然のように2人ともガン無視する気であった。
まあ、それも仕方がないだろう。
何しろ多世界解釈では1つを選択してしまったら絶対に別の道を選択することはできない。誕生日にプレゼントを愛しい人へ渡せなかった世界など、暁にとって絶対に避けなければならない世界なのだから。




