087.世界に一つだけの花
意気揚々と2人でシュレディンガー通りに出発、する前にロジェの希望で花屋に寄ることになった。
「こんなもんかな」
ロジェは花束を抱えて店を出た。
「流石ロジェちゃんだ、花が良く映える。その花はどうするんだ?」
「実はさ、シュレディンガー通りって僕の生まれた場所らしいんだよね」
「……へえ」
「まあ、赤ん坊の頃に出たらしいから僕も詳しく知らない。お父さんやお母さんは危ないから行っちゃダメって言うし」
わざわざスラム街に子供を行かせようと思う親などいないだろう。たとえ生まれた場所だとしても。
「お父さんとお母さんは通りで育ったんだけど、育ててくれたおじいさんがいたんだって。血のつながりがあるかないかもわかんないけど、みんなおじいさんって呼んでたらしいよ。もう死んじゃってるけど、お墓があるらしいからお参りしたくて」
「過去の人を尊ぶのは素晴らしいことだ。巨人の肩の上に立つという言葉もある。かつての人々が積み上げたものの上に俺たちの生活や科学技術があるんだ」
「ああ、はいはい」
なんだか面倒な話に向かいそうだったのでロジェは適当に相槌を打った。花屋から10分も歩かない場所に、その通りはあった。入口からして明らかに周りより数段薄暗く感じる。通りの建物が違法に建て増しされて高くなっており、それが日の光を遮ってしまっているのだろう。
「入口に来てみると、セシルさんが行かせたがらなかった理由が身に染みてわかるな」
「えー、暁ビビってるの?」
「まさか。ロジェちゃんは平気かい?」
「大丈夫。怖いものなんて僕にはないから!」
そうして2人はシュレディンガー通りへと入っていった。入口も暗いが中も暗い。鬱屈とした空気が2人にまとわりついてくる。おまけに不快感を伴う匂いまで漂ってきた。並みの神経をしている人間であれば数分もいれば気分が悪くなってくるだろう。
「そう言えば、どうしてこの通り『シュレディンガー通り』って名前なんだ? セシルさんに聞きそびれた」
「ああそれね。暁って『シュレディンガーの猫』って知ってる?」
「もちろん。量子力学の有名な思考実験だ」
やはりそれが名前の由来だったかと暁は心の中で呟く。
「あ、そうなんだ? なんか箱を開けるまではネコが生きてるか死んでるか分かんないって奴なんだよね?」
「だいぶ勘違いがある気がするが……まあいいか。それで?」
「うん。『シュレディンガーの猫』と同じでこの通りも出てくるまでに何を失っているか分からないから『シュレディンガー通り』って名前になったって聞いたよ」
「ほお。失うってのは金品とか?」
「代表的なのは命、金、処女って聞いたよ」
「なるほどな。安心してくれロジェちゃん。君の処女は俺が守る」
「別に怖くないよ自分で自分の身は守れるし。あと、処女ってのは男も対象だよ」
「……そいつはヤバいな。尻を引き締めて挑む必要がありそうだ」
「下品」
2人並んで、異様な雰囲気の薄暗い通りを進んでいく。道端に座り込んでいる人がいたので声をかけてみようとしたが、近づいてみると蛆が湧いていたので止めておいた。たむろしている若者たちは白い粉を手の甲に置いて鼻から吸っていた。その若者たちは暁たちを見つけるとニヤニヤしながら近づいてくる。
「綺麗な身なりしてるな。外から来たのか?」
「まあな」
「50万」
「ん?」
「50万でどうだ。横のガキ」
若者たちはロジェを見て言っていた。
「悪いな、ここのルールや常識に疎くて、何が50万なんだ?」
「50万で売ってくれ。ガキを売りに来たんじゃないのか?」
「ああなるほど。勘違いだ。この子は売り物じゃなくて俺の物」
「いや、暁の物でもないから!」
ロジェはすかさずツッコむが、誰もそれに反応しなかった。
「そりゃあ良かった。タダで手に入りそう、だっ!」
若者はいきなり暁の顔面目掛けて右ストレートを繰り出した。だが、
「あ……?」
そいつは突然その場に倒れこみ、他の若者たちは困惑の声をあげた。暁が手を出したようには見えなかったからだ。
「100年前はこんなことわざがあったんだが無くなったのかな。『タダより高いものはない』」
その言葉で暁が攻撃したのだと判断した他の若者も殴りかかってくるが、やはり暁にたどり着く前に倒れこんでしまう。
「……これ、何やったの?」
「ロジェちゃんがセシルさんにやったのと大体同じさ。脳に行く血液を少なくして失神させた。ロジェちゃんほどテクニカルじゃないけどな。俺のは《インターステラー》を使って心臓が脳に血液を送る力より重力を強めただけ」
「へぇー」
「だが、次からは使わないようにしよう。これじゃゲームの事が聞けない」
気絶している若者たちを放って、2人はさらに奥へと進んでいく。3回ほど同じようにロジェを売ってくれと言ってくる奴らが現れたが、全員暁がたたきのめし、そして全員ゲームの事は知らなかった。
「治外法権とは聞いていたが、ここまでとは。情報もないしな」
「僕はお父さんに聞いてたのと同じで逆にビックリしちゃった。話を盛ってると思ってたよ」
うんざりした表情でそう言うロジェに、暁も同意する。だが、不毛と思われるこの探索もそろそろ終わりそうだ。2人の前に、ガタイの良い男が現れた。周りには手下らしき者たちもいる。
「よお。兄ちゃん。ずいぶん暴れてるらしいな」
「暴れてるのはこの通りの奴らだ。それであんたは?」
「ありていに言うとこの辺りのボスだ」
「分かりやすくていいな。ボスなら知ってるかな? 昨日この通りの連中が今日発売のゲームを奪っていったらしい。俺はそれを取り戻しに来たんだ」
「ゲームねぇ……正直心当たりはまったくないが……」
自称ボスは少し考えた後、ニヤリと笑って暁に提案をした。
「探すのを手伝うことはできるぜ。その代わり条件がある」
「聞こうか」
「立ち話もなんだからな。店の中で話をしよう」
男が指さしたのは入口で切れかけのネオンがチカチカと光っている建物だった。「AmigoTacos」と書かれたその店の中に男とその手下たちは入っていく。暁とロジェもそれに続いて、暗い店の中へと消えていった。




