085.今はいない子供のための子守歌
「ん?」
「え?」
暁は自分の体に起きた違和感に声を上げ、リコは目の前で起きた突然の変化に目を見開く。本当に突然、暁は男に戻った。唖然とする2人をまったく気にしない様子で赤ん坊は愛らしい笑顔を向けている。
「こりゃどういうことだ?」
「そんなの、私にも分かんないわよ……それより服着替えてよ、見苦しいから」
リコの目の前には女装して胸元をはだけた暁の姿がある。正直かなり気持ちの悪い光景だった。そんなリコの携帯が鳴りはじめる。セシルからの電話だ。
「もしもしセシル?」
『リコさん、赤ん坊になにか変化がありませんか?』
「赤ん坊にとくに変化はないけど……赤ん坊を見てた暁が突然男に戻って地獄絵図って感じよ」
『風早さんも戻ったんですね。こちらも対策本部にいた人たちが全員男に戻って……』
「……ご愁傷様」
『……まあ、その話は置いておいて。とりあえず赤ん坊を連れて対策本部まで来ていただけますか』
「分かったわ」
携帯を切ったリコは暁から子供を受け取った。
「どうやらコミューン全体で女性化が解除されてるみたい。赤ん坊連れて対策本部まで行ってくるわ」
「俺も行こう」
「あんたは着替えてからね」
暁に釘を刺した後、リコは対策本部へと向かった。ドアを開ける前にその中で目にすることになるだろう凄惨な光景を想像し、覚悟を決める。だが、その本部の中にいたのはセシルだけだった。
「あれ? なんでセシルだけなの」
「お疲れ様ですリコさん。他の方は……自分自身の見苦しさに全員着替えに行っています」
「ああ、そう。まあ私もその方がいいわ」
セシルはリコに抱えられた赤ん坊を見た。じっとセシルの顔を見つめているが、とくに変わった様子は見られない。
「……本当に何もなさそうですね」
「あいつが男に戻る瞬間を見てたけど赤ん坊自体に変化はなかったわよ。あったと言えば……あいつがふざけて自分のオッパイ吸わせてこの子に噛みつかれたくらいかな」
「え、風早さんは何でそんなことを……」
「頭おかしいからじゃない?」
「……あの人、ときどきビックリするくらいバカになりますね」
噂をすれば影。本部のドアが開かれ、暁が現れた。
「……ああ、よかった。女装男どもで溢れかえってると思って警戒しながら開けたが、可憐な花が二輪咲いているだけだったか」
「……なんだか風早さんに会うのも久々な気がします」
男の姿に戻った暁を見て、セシルは感慨深げに話した。3人で会話している間に着替えを終えた霧羽や邑輝も本部に戻って来る。全員がそろってからリコと暁に状況を確認したが、やはり何の要因で女性化が解除されたのかはさっぱりわからなかった。
「まあ、ガキなんて低能だからな。わけのわからんことをするものなんだろう」
暁が罵倒を交えつつその場をまとめようとしたときに、隣からすうすうと可愛い寝息が聞こえてきた。リコが赤ん坊を抱えたまま眠ってしまっていたのだ。
「……ほらクソガキ。俺のほうに来い」
リコを気遣って暁は赤ん坊を代わりに抱きかかえた。だが、何かいつもと様子が違う。いつもは暁が抱くと笑いかけてくる赤ん坊が今回は今にも泣き出しそうになっていた。
「おい、待て。今泣いたらマジで殺すぞ」
リコの眠りを妨げることは誰であっても許されることではない。そんな暁の思いを完全に無視して、ついに赤ん坊は泣き出してしまった。
「このクソガキが……」
「……ん~~~~~~」
結局リコは目を覚ました。いや、目は閉じたままで赤ん坊の声がする方に手を伸ばしている。暁の腕の中にある赤ん坊を手探りで見つけると、奪い返してうとうととしながら赤ん坊をあやした。すると、すぐに赤ん坊は泣くのをやめてリコに笑顔を向ける。もっとも笑顔を向けられた張本人のリコは再び眠りの中に入ってしまったが。
「なるほどな……」
邑輝が何か分かったように呟いた。
「もしかするとその赤ん坊は自分が抱かれた時に一番気持ちいい存在を周りに集めようとしていただけなのかもしれないな」
「……女の子の方が抱かれ心地がいいから男も全員女になれば万事解決ってことか? はた迷惑なクソガキだな」
「しょうがないな、赤ん坊なのだから」
邑輝の考察が当たっているかどうかは赤ん坊のみぞ知る。その日出た結論は一週間様子を見て、とくに問題なければ防衛隊の施設に預けようということだった。横須賀コミューンではフリークスが生まれた場合すぐさま防衛隊預かりとなる。両親は申請すれば赤ん坊に会うことはできるが、ある程度成長するまでは回数も制限されてしまうのだ。
「そういえばその子の能力名を決めました」
セシルの言葉に、暁はある1つの疑問を口にした。
「そういえば、この赤ん坊なんて名前なんだ?」
「本当の名前のほうはまだ決まってません。両親が悩んでいるらしく」
「名前よりも先に能力名が決まっちまうとはな」
暁は赤ん坊のほっぺをつつく。すると赤ん坊の手が暁の指をぐっと掴んだ。思ったよりもしっかり掴まれているようで、引っ張っても抜ける気配がない。
「離せこのクソガキ。それでセシルさん、この子の能力名は?」
「《アナイアレイション》です」
「……さすがセシルさん。素敵なネーミングだ。皮肉が効いてる」
その日はそれで解散となった。その後の調査でコミューンの女性化現象は動物に対してのものも含めてすべて解除されていることが確認された。
そして一週間ほど続いた赤ん坊の観察期間も何事もなく終わった。もう精霊魔装を突然発動することもなくなったその子は、普通の赤ん坊と変わらない。長いようで、本当に長かったリコの育児期間は今日が最後だ。
「あんたはついて来なくてよかったのに」
赤ん坊を施設に預けるために防衛隊本部の廊下を移動しているリコは、後ろを振り向いてそう言った。そこには暁の姿がある。
「いやなに、一応この三週間ほど世話を焼いて来たから感慨深いものがあってな」
「まあ、そうよね」
最初は赤ん坊を押し付けられてげんなりしていたリコだったが、やっているうちにこの子育てごっこに愛着がわいてきてしまっていた。
「ありがとね暁。あんたが半分受け持ってくれなかったら、耐えられなかったかも」
「そう。その通りだ。リコも赤ん坊なんて産むもんじゃないって理解したんじゃないか?」
「それとこれとは話が別よ」
施設に着いたリコは、職員に赤ん坊を引き渡す。年齢的に2人がこの子と一緒にフリークスとして活躍することはない。これで今生の別れになる可能性もある。
「正直最初は私もあんたと同じようなこと考えてたわ。自分と似たような何かのために自分の時間を割きたくない。結婚もしたくないし子供もいらないって」
リコは暁の顔を見て、言葉を続ける。
「でも、あんたの話聞いてちょっと心変わりしたの」
「え?」
「生き物が命脈を保つためには多様性が必要で、有性生殖が効率的って話。そういった大きな流れの中に私がいて、その先に私の子供がいるなら、私で流れを止めちゃうのも悪いかなって」
「そうか……君がそう決めたなら俺も従おう。一緒に子作りして、一緒に育てよう。ただ、2人の時間が少なくなるのは耐えられないからベビーシッターを雇っていいか?」
「……だから、なんであんたが夫になる前提で話進めてるのよ」
「いいだろ? 風早暁だぜ?」
「くたばれ」
暁はリコにアプローチをし続けるが、リコはまったくの脈なし。そんないつもの光景へと2人は戻っていく。ふと暁は足を止めて、赤ん坊を預けた施設の方を振り向いた。そして、伝わりもしない言葉を頭の中で念じて飛ばす。
お前には4人も親がいるんだから、立派に育って親孝行できなきゃクソダサいぞ、と。




