008.15の夜
リコに気づかれないよう、暁は息を殺して部屋を出た。目指す場所は決まっている。決まっているが、果たしてどうやって進んでいけばいいのか。自動車はムリでも、せめて自転車がないときつい。しかし、辺りを探してもそれらしきものは見当たらなかった。
もっと探すべきか、このまま歩きで進むべきかを一考しているうちに、暁は後ろから声をかけられた。
「何やってんだか」
「!」
声の主はリコだった。呆れたようなジト目で暁を見つめている。実際のところ、リコは最初から暁の行動に気づいていたのだった。
「気づいてたのか」
「まあね。それで? なにやってんの?」
一瞬、暁は本当のことを話すかどうか迷ったが、女性に嘘をつくのはポリシーに反するので、正直になることに決めた。
「俺が暮らしてた街に……横浜の青葉台に行こうと思ってる」
「もしかして、ホームシックとかいうヤツ?」
「ちが……いや、そうなのかもな。とにかく、ここで見たものや聞いたものに現実感がなくて、もしかしてドッキリの企画なんじゃないかと思いはじめてる自分がいる」
「ドッキリ?」
「みんなで俺をだましてさ。ほんとは100年なんて経ってなくて、魔甲虫の中はただのロボットで、リコの炎はマジック。そんで、ここだって場面で母さんが『ドッキリ成功!』のパネルをもって出てくるんだよ」
「………………」
「そして俺はこう言うんだ。『フィクションだったのかよ! 騙された!』」
リコには、笑顔でそう語る暁の姿が捨てられた子犬のように見えた。
「でも、違うんだよな。それを確かめたいんだ。あそこに行けば、青葉台に行けば、俺の心に決着がつけられる。そんな気がする」
「いいわよ」
「え?」
正直、強引に連れ戻されるだろうと思っていた暁は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「昨日無理やりあんたを魔甲虫のところに連れ出したしね。今度は私があんたのわがままに付き合ってあげるわ」
「いいのか?」
「もちろん、条件付きよ。いきなりフリークス2人がコミューンからいなくなるなんて大事件だもの、ちゃんと言っとかないとね」
「許可なんてもらえるのか?」
「そこは腕の見せどころよ」
リコはにかっと笑って見せた。そのいたずらをする前の子供のような笑顔が、今の暁には意外なほど頼もしく見えるのだった。そしてリコは暁を寮の一室まで案内した。
「ここは?」
「すぐわかるわ」
そう言うと、リコはなぜか扉の前でトントンと一定のリズムで跳びはじめる。暁が嫌な予感に襲われるのとリコが行動を起こすのはほぼ同時だった。
「オラァッッ!!」
掛け声とともにリコは扉を蹴破った。外開きだったので蝶番が完全に壊れ、とんでもない音を立てて扉が倒れる。
「なんと……」
あまりの事態に声が出なくなっていたのは暁だけではなかった。部屋の主であるセシルも、パジャマ姿で驚愕に目を見開いている。そんな2人を無視してズカズカと部屋の中に入ったリコは、セシルの目の前でこう宣言した。
「セシル。悪いけど、私今からこいつとコミューンの外に行ってくるから」
まだ硬直から抜け出せないセシルを尻目にリコは机の上に置いてある鍵をひったくる。
「これあんたの車の鍵でしょ。借りるわね」
「ダメに決まっているでしょう!」
ついに正気に戻ったセシルがリコの腕を掴むが、リコはびくともしない。
「いったいどういうことですかっ! コミューンを出ていくなんて、そんないきなり……同居の件に関しては私も今霧羽さんと掛け合っているのできっと明日にはいい答えをもらえるはずなんです」
「ちょっと、早とちりしないでよ。ちょっと出かけるだけ。ちゃんと戻ってくるわよ。あと、同居の話は確かに不満があるけどそれは関係ないから」
「だとしてもあなたがコミューンから居なくなるのは許容できません! ましてや風早さんも連れて行くなんて」
「もう決めたのよ!」
セシルの手を振り払ったリコは、急ぎ足で部屋から出ていこうとする。まるで状況についていけない暁は、コバンザメのようにリコの後ろについていくことしかできなかった。
「ま、待ちなさい!」
「私たちを呼び止める前に防衛隊に連絡したほうがいいんじゃない? それと、携帯の電源は入れておくからマジでやばかったら電話して」
そう言い残すとリコは走りはじめた。目指すはセシルの愛車、白のトラバント。さっと運転席に乗り込むとすぐにエンジンをかける。そうしている間に暁も助手席に乗り込んできた。
「いくら何でもやりすぎじゃないか?」
「あれくらいでちょうどいいのよ。出発するわ」
暁がシートベルトを締める間もなくトラバントは発車した。
「で、どっち向かえばいいわけ?」
「青葉台知らないのか?」
「昔の地名なんて知るわけないでしょ」
とはいえ、暁も大体の位置関係しか把握していない。とにかく北からコミューンを出る必要があることをリコに伝えるが、しばらくして携帯の着信音がしはじめた。
「セシルね……暁、あんた私の携帯に出て」
「携帯? どこにあるんだ?」
「私のスカートの中よ」
「なるほど、では失礼して」
そして暁はリコのスカートをめくり、
「どこめくってんのよ! スカートのポケットの中に決まってんでしょ、消し炭にするわよ!」
「oops、わざとじゃないんだ。俺は男だからスカートの構造を知らなくてね。本当さ」
どうにかポケットの位置を見つけた暁はリコの逆鱗に触れないように慎重に携帯だけを抜き取った。
「はい、もしも――『何を考えているんですかリコさん!』
出たと同時に暁の鼓膜を怒号が突き刺した。さもありなん。
『あなたがやったことは犯罪ですよ!』
「セシルさん、悪いがリコは今運転中で、代わりに俺が」
『あ、風早さん……いえ、あなたも同罪ですよ!』
「男と女は同じ罪を背負ったときに本当に1つになれる。セシルさん、俺とあなたもいつかは……」
「私に代わって」
リコに促され、暁は携帯をリコの耳に当てた。
「セシル、説明は帰った後にするわ。怒鳴りたいだけならもう電話してこないで。本当に私が必要な時に着拒されたくないでしょ」
『いったい何なんですか……』
「盗んだ車で夜の街を走り出したい年齢なんだって四十六室には伝えときなさい! 暁、通話切って!」
言われるがままに電話を切る暁。夜道を爆走するトラバント、なんだか楽しそうに笑っているリコ。暁はその横顔を見て、「まあこんな美少女と夜間ドライブできているし、まあいいか」とダメな諦め方をしてしまったのであった。




