063.僕じゃない
カレーフェスの翌朝。すがすがしいほどの青い空が横須賀を包んでいたが、唯一台風が吹き荒れている場所があった。防衛隊本部、幕僚長室である。その台風の中心にいたのはリコと霧羽だった。
「どうなってんのよ!」
「どうもこうもない。現場の靴跡と君の妹のはいていた靴が一致。彼女が君からもらったという手紙は見つからず。彼女を案内していたとかいう防衛隊の女も見つからない。疑わしいと思うのが普通だろう」
「ノアンがスパイなんてできるわけない」
「なぜわかる?」
「私の妹だからよ!」
リコと霧羽が言い争っているのを暁はリコの側で、セシルは霧羽の側で聞いていた。
「妹だから? 姉妹だから信じろというのか? お前と妹は別の人間だ。すべてわかるわけがない。第一お前と家族は7年間絶縁状態だと聞いているが?」
「それはっ……」
珍しくリコが言い淀む。
「7年も会ってない人間がどう変わっているかなどたとえ家族でも分かりはしない!」
「……」
リコは下唇を噛み、何も言わずに部屋を出ていった。霧羽もセシルにいくつか指示を出すと別の仕事のために部屋を出た。そして幕僚長室には暁とセシルだけが残される。
「どう思いますか?」
顔を突き合わせた後、セシルが問う。
「俺もノアンちゃんとはあの日会って少し会話しただけだ。ただ、状況的にノアンちゃんが怪しいのは当然だろうな」
「私は露骨に怪しすぎると思います。リコさんから来たという手紙も嘘、案内していた防衛隊も嘘、これで本当にスパイだとしたらお粗末すぎです」
「確かにその通りだが、ノアンちゃんが単純に馬鹿で頭が悪いだけかもしれない」
「そんな馬鹿で頭の悪い子が防衛隊本部に侵入して情報を盗み出そうとしますか? 仮にそうだとしても黒幕がいるはずです」
セシルの意見はもっともだった。暁は少しためらうように可能性の話をしはじめる。
「……確かにノアンちゃんは嵌められた可能性がある。そして、そんなハメ技を簡単に実施できる子たちにも心当たりがある」
「ベティさんたちですね」
暁は頷く。あったはずの手紙を気づかれずに盗み出すのはロココの能力で簡単にできるだろうし、案内していた防衛隊の女はマーシャルの変身で説明がつく。
「しかし、なぜこんなことをしたのか……」
「可能性があるとしたら、リコさんと防衛隊の関係を悪化させて防衛隊から距離を置かせようとしている、とかでしょうか」
「距離を置かせてどうする?」
「また風早さんを奪おうとしているのかも。その場合一番問題になるのはリコさんの存在でしょうから」
「……否定はできないな」
1回目はリコをどこかに飛ばすことによって、2回目はリコのいない間を狙って攻めてきたのだから、あり得そうな話ではある。
「しかし、ベティちゃんたちがやったという証拠を集めるのは困難だな。一応聞いてみるか」
そう言うと、暁はベティに電話をしはじめる。
「やあベティちゃん。今日も可愛いね。……え? 声でわかるさ。君の可愛さがにじみ出てるよ。ああ、今日はちょっと聞きたいことがあって、先日カレーフェスティバルの日に横須賀コミューンにスパイが侵入した騒動があったんだが、何か知らないかい? ……ん? え?」
ベティと会話している暁の表情が困惑へと変わっていく。セシルもその表情の変化を奇妙な目で見つめる。ベティが事情を知っているとか知っていないという話ではない何かが、その困惑には含まれていた。電話が終わった後、黙ったままの暁にセシルは話しかける。
「……どうでした?」
「……正直よく分からないんだが、『それは暁くんが一番よく知ってるんじゃないの?』と言われたよ」
「どういうことですか?」
「不可解だな。ベティちゃん自身、俺から質問が来ることに困惑している様子だった。俺がなぜ知らないのか分からない、といった感じだ」
「いったいどういう……」
ベティは何か事情を知っている可能性がある。しかし、ベティからすれば暁の方がより事情に詳しいらしい。まったく奇妙な話ではあるが、暁はベティが嘘を言っているとは考えなかった。
「例の防衛隊の女ってのは怪しい人物すら上がってないのか?」
「はい。防衛隊に所属している女性隊員は、数名を除いてアリバイが証明されています。その数名もノアンさんが言っている特徴と合致しません」
「ノアンちゃんが言っている手紙が誰から出されたとかは?」
「浦賀郵便局に確認しましたがそのような手紙を処理した記録は残っていませんでした。彼女が嘘をついていないとしたら、直接ポストに投函されたのだと思います」
「……」
どうにも今ある情報ではノアンの嫌疑を晴らすのは難しい。それが暁の結論だった。
「ノアンちゃんが侵入したとされる施設にあった情報ってどんなものなんだ?」
「……私も詳しくは」
「そうか……」
暁は探偵のまねごとをするのをやめた。こういった仕事は専門家がやった方がいいに決まっている。自分は探偵ではなくリコの夫になる男なのだ。リコの心のケアをするのが最優先事項に違いない、と考え直した。
「少しリコの様子を見てくる」
「はい。お願いします」
セシルと別れ、暁はリコを探した。リコの部屋やロジェの部屋にはおらず、その辺にいた防衛隊員にも聞いてみたが知らないと言われる。役に立たん野郎どもだと思いながらも、探し回った。そんな中、ふとした気づきで暁はノアンが拘束されている単独室に向かってみることにした。
案の定、向かっている途中で単独室から戻ってくるリコに出会うことに成功した。
「ノアンちゃんと話を?」
「まあね。あんたは何しに来たのよ。ノアンは今疲れてるから、余計なことしないでよね」
「君に会いたくて探してただけさ。予想通りだった」
リコは部屋に戻るというので暁も一緒についていった。
「ノアンちゃんとは何の話を?」
「なんであんたにそんなこと言わなきゃいけないの」
「君のことが心配だからさ」
「……」
回答になっていない、と思いながらもリコは素直に話しはじめた。不便なことはないか、必要なものはないか、必ず疑いを晴らしてあげる誓いという名の気休め。ちょうどいいと思い、暁は昨日から気になっていたことをリコに聞いてみることにした。
「そう言えば、なんで7年間も会ってなかったんだ? 喧嘩している雰囲気でもないが」
その単なる好奇心の枠を出ない質問に対して返ってきたのは、暁の理解を超えたものだった。
「は? 昨日の夜話したでしょ」
「……ん?」
暁とリコの間に奇妙な空気が流れた。暁は昨日の夜にリコに会った覚えはない。仮に会ったら記憶喪失でもしない限り忘れるはずがない。
「ちょっと待ってよ。あんたまさか私との約束忘れたわけじゃないでしょうね? あのヘンテコなチケットも渡したのに」
「……」
当然、リコと約束をした覚えもないし、チケットを渡された覚えもない。
「……信じらんない」
心底失望した目線を暁に向けて、リコは去っていこうとする。それを暁は慌てて呼び止めた。生まれてこの方、こんなに焦ったのはいつ振りかというほどの取り乱し様だった。
「ま、待ってくれリコ。きっと何かの間違いだ。俺が君に会ったことを忘れるなんてあり得ない……!」
「……」
リコの瞳には猜疑心が宿る。
「過去を話してくれたのも、昨日の夜のことも何か……」
何かの勘違いなんだ、と言いかけてやめた。暁の頭の中でバラバラだったものが1つに繋がろうとしていた。証明できないノアンちゃんの行動、困惑するベティ、事情を知っているはずの暁、忘れるはずがないリコとの会話、過去、昨日の夜。
その時、すべてのピースが暁の中で1つになった。
「そうだ。それだ!」
「は? 何?」
「行けばいいんだ。過去に」
「え?」
奇天烈なことを言い出した暁をリコは心配そうな目で見つめる。
「過去に行ってノアンちゃんがどういう行動をとっていたか確認すれば、一目瞭然じゃないか!」
「あ、あんた頭大丈夫……?」
リコが暁の頭の心配をするのは無理もなかった。しかし、その時暁の頭の中で起こっていたのはリコが心配するような事態ではなく、彼の理論――過去へと進む理論――の完成に他ならなかった。




