052.No Time for Caution
暁はベティと別れた後、事の顛末を霧羽とセシルに報告した。当然、原発内で遭遇した謎の女についてもだ。
「帝国海軍? バカな、180年も前に解体されたぞ」
「だが、彼女が嘘をついているようには見えなかった」
「貴様の主観だろ。とくに女を見るときの貴様の目はまったく信用できん」
「セシルさん、こんなこと言われてるぞ。怒った方がいい」
セシルは咳払いすると、暁の言葉を無視して自分の意見を述べた。
「帝国海軍もそうですが、ユーフォリアというのも分かりません。彼女の言った文脈的にフリークスのことだと思いますが……」
「セシル、帝国海軍の組織上に安全監督室なるものが存在していたか調べろ。ついでにフリークスのことをユーフォリアと呼んでいるコミューンや地域がないかもな」
「はい」
「それと彼女……千里香真夜は広島弁でしゃべってたな。自分の能力を《サウンド・オブ・サンダー》と呼んでいた」
「《サウンド・オブ・サンダー》ですか。いかにも電気を操りそうな名前ですね」
「ああ、電撃を飛ばしてきたり、俺の重力を無力化していた。多分クーロン力を使っていたんだろう」
「そのようなフリークスがどこかのコミューンにいるか確認します」
調査のために会議室を後にしようとしたセシルはドアを開く前に立ち止まった。
「そういえば邑輝先生が呼んでましたよ風早さん」
「邑輝先生が? ……ああ、定期健診かな」
病院棟に向かった暁を待っていたのは予想通り定期健診だった。身長・体重、尿検査、血圧検査、血液検査、視力検査、聴覚検査、心音検査、胸部X線検査。X線を通さないのになぜX線検査をするのかと言うと、フリークスでなくなっていないか見るためだ。20歳以下のフリークスが能力を失った記録はないが、20歳以降は能力の低下とともにX線も通りやすくなる。
今回だけは特別に被ばく線量検査も行っていた。
「結果は異常なし」
「だろうな」
邑輝の報告に暁は軽口で答えた。検診の最後は邑輝との問診だ。
「君のほうでとくに変わったことは?」
「体の方は全く問題ない」
「しかし、放射能汚染が発生しているかもしれない場所に自ら向かうとはな」
「対策は十分にしていった。それに俺が行かないとセシルさんが行くつもりだったらしいからな」
「妥当な判断だ。コミューン維持の観点からするとブリュネ君が行くのがもっとも損がない」
「これだからお前ら四十六室はダメだ。損得、効率、妥当性、そんなクソみたいなものではなく愛を指標に世界を運営しろ」
「なるほど、心がけよう。もう帰っていいぞ」
「……呼び出しといて扱いひどいな」
釈然としない気持ちになりながらも暁は診察室から出ようとした。だが、そこを邑輝に呼び止められる。
「言い忘れていたが……」
「何だ?」
「……いや、また今度でいい。それではお大事に」
暁が扉の向こうへと消えた。邑輝は引き出しの中から一枚の紙を取り出す。
「……時間との勝負だな」
その紙はヴィルヘルムスハーフェンコミューンにある製薬会社からの手紙であった。内容は「後天性細胞硬化症候群」治療ワクチンの治験依頼。本来は本人……つまり風早暁の合意がなければ治験は行えないが、四十六室の決定ですでに承諾とワクチンの輸送依頼を送っていた。まだ治験が終わっていないワクチンをフリークスに試すなど正気の沙汰ではないが、この件については風早暁の重要性と病気の危険性から邑輝自身仕方ないことだと割り切っていた。
暁が治験の対象者になるのは決定事項だ。それならばいつ伝えても変わらないはずだが、邑輝には1つの懸念事項があった。本来はもう届くはずのワクチンが届いていないのだ。今朝方には催促の手紙を送っていた。
嘆息とともに手紙を引き出しに戻し、その日の仕事に戻る。その時、邑輝は遅まきながら自分が暁に伝えることをためらったのは、彼がぬか喜びしないように配慮したためであったと気が付いた。自分で自分の行動の理由を省みる、忙しいとなかなかできないことだがたまにはそういう時間も必要かもしれない、と邑輝は柄にもなく考えた。深夜近くまで働いて、家に戻り妻と一言二言会話した後、シャワーを浴びて布団に入る。だが、彼の一日はそこで終わらなかった。邑輝は突然の訪問者に安眠を妨害された。
邑輝はさまざまなことに驚いた。まずその人物には自分の家の場所を教えていないはずだったこと。次にその人物が窓ガラスを破壊して侵入してきたこと。そして最後に、その訪問者が自分とはあらゆる意味で関わりの薄い者だったこと。
「君は……確かエーコ君か」
邑輝は目の前のメイド姿の女性、エーコに声をかける。エーコは自らが破壊した窓のサッシに片足を置き、その顔に微笑みを張り付けたままでしゃべりはじめた。
「急患です。診察を」
「急患? 一体どこの誰だ。まさか君のことじゃあないだろう?」
「風早暁です」
エーコから出てきた名前を聞いた瞬間、邑輝は嫌な汗がどっと出るのを感じた。続くエーコの言葉が邑輝の予感が的中したことを告げる。
「呼吸困難、発熱、手足のしびれ。おそらく後天性細胞硬化症候群の発症です」
邑輝は部屋を飛び出した。寝巻き姿のまま、車に飛び乗り急発進する。目指すは暁のいる寮だ。その時邑輝の頭の中からエーコのことなど消え去っていたし、ついでに道路交通法も消え去っていた。彼が寮棟に着くまでに事故を起こさなかったのは、単に運が良かったからにすぎない。もっとも彼自身、途中で何人轢こうが止まる気などなかったが。
暁の部屋の扉を開け、最初に知覚したのはうめき声だった。次に闇の中にうごめく何か。暁だ。すぅー、はぁー、すぅー、はぁー…………呼吸が荒い。ぎちぎちという音が聞こえるのは、彼が思いっきりシーツを握りしめているからだろう。
眠気などとうの昔に吹き飛んでいた。邑輝はすぐさま準備にとりかかった。
風早暁を生かすための準備に。




