043.あの森で待ってる
ある日、朝食に向かおうとしていた暁は正門のほうの騒がしさに気づいた。野次馬根性を発揮して近づいてみた暁の視界に予想外の文言が飛び込んでくる。
『ステッピングマンとの共生を!』
『残酷な駆除を許さない!』
正門に集まった団体はそんな内容の横断幕を掲げている。どうせいつもの魔甲虫がどうこう言っている奴らに違いないと思っていた暁は意外な内容に面食らった。
「風早さん、どうかしましたか?」
同じように食堂に向かっていたのであろうセシルが声をかけてきた。暁は外の景色を見るようにセシルに促す。その光景を見たセシルは「ああ……」とつぶやき、小さなため息をついた。そのうんざりとした表情を見て暁は彼女の気持ちを慮る。
「昨日衣笠でステッピングマンが出没したんです。それを防衛隊で駆除したのですが、殺した事に対して抗議のデモや電話が来ていまして……」
ステッピングマン、というのはフリークス化の実験のために遺伝子を弄られたあと、失敗作として捨てられ野生化した元人間のことである。当然だが失敗作なのでフリークスのような能力は持っておらず魔甲虫も倒せない。知能はだいぶ落ちているが、それでもサルなどよりは賢い。基本的には山間に住み、人の生活圏内に降りてくることはないが、ときどき物好きな個体がいるのだ。
「人権団体って奴か」
「人権団体? 人権団体は人が関連した問題でしか動きませんよ」
「…………なるほど。それはそうだ。じゃああれは」
「防衛隊でも実体を掴めていませんが、おそらくSNSなどで繋がった人たちが集まって抗議をしているのではないかと」
そう言いつつセシルは本日二度目のため息をつく。
「とくに電話はひどかったですね。1時間怒鳴りっぱなしというのもざらでした。エーコさんに自動応答プログラムを作っていただいたので今は解放されていますが」
「それを聞いて安心した。あんな奴らのためにセシルさんの時間が奪われるなんて一大事だからな。さあ、楽しいbreakfastといこうか」
「ええ、そうですね」
2人が食堂に足を進めるとだんだんと喧騒も小さくなっていく。しかし、それでこの騒動との関わりも小さくなったと感じたのは誤りだった。数日後、とんでもないニュースが暁の耳に飛び込んでくる。
「犠牲者が……」
セシルの部屋には暁の他にリコとロジェ、そしてエーコがいた。誰もが神妙な表情でセシルの言葉を聞いている。
「はい。小矢部の60代の夫婦が家の中で襲われ、近くを歩いていた青年も」
「ステッピングマンが家の中まで入って来たってこと!?」
「そのようです。青年は死ぬ直前までステッピングマンを撮影していたようで、おかげでステッピングマンの特徴はハッキリとしています。皆さんはステッピングマンと遭遇しても余裕で勝てるでしょうけれど、念のため衣笠方面には向かわないようにしてください。安全第一です」
これで話は終わり、と皆を解散させようとしたセシルにリコが待ったをかけた。
「ちょっと待ってよ。多分そのステッピングマン防衛隊で対処するのよね? 私たち協力しなくて大丈夫なの?」
ステッピングマンが恐ろしい生き物……少なくとも普通の人間にとっては恐ろしい生き物であることをリコも理解していた。たとえ銃を装備していたとしても安心できる相手ではない。遺伝子操作の結果、体格は通常の人間よりも大きく、異形と化しているのだ。
「……それを判断するのは私たちではありません。霧羽さんが判断を下せば連絡します。もっとも、防衛隊も対ステッピングマン装備は整えていますし心配はないと思いますよ」
「……そう、よね」
セシルの優しい声色に諭されてリコは素直に引き下がった。
「ステッピングマン、か。100年前はいなかったからな……どんな奴らなんだ?」
暁にとってステッピングマンの知識は教科書に半ページ分だけ書いてあった歴史的な情報と写真だけだった。実際に遭遇したことなど一度もない。
「私も直接見たことはないわよ。正直そのあたりの知識だと暁と変わんないかも」
「僕も。お父さんの友達が遠目で見たことある、みたいな話を聞いたことあるかなぁ」
「私はありますよ。生きている状態でお目にかかったことはないですが、成体で大体2.5メートルくらいにまでなるので、ちゃんと装備を整えないと普通の人間では対処が厳しいです。ある意味では魔甲虫より厄介ですよ。横須賀コミューンができてから魔甲虫に殺された人はいませんが、ステッピングマンに殺された人は毎年出ていますから」
「なるほど、ガタイが良いのはそれだけで脅威だ」
身長が2.5メートルあれば体重も相応に重いだろう。その体躯から攻撃を繰り出されたら……ニュートンの運動方程式を知らなくても結果は簡単に想像できる。
「なるほどな……まあ、セシルさんの言っている通りステッピングマン用の装備も整えているのであれば素人の俺たちがとやかく言う話でもないだろう。それでも不安なら俺が安心させてあげるよ」
「必要ない」
そのままフリークス+1名の集まりは解散した。だがステッピングマンの話はその夕刻に再び話題に上がることになる。衣笠山にステッピングマンの駆除に入ろうとした防衛隊が駆除に反対している団体に邪魔されて引き返したというニュースが流れたのだ。
「どうしてこんな邪魔するのよ! みんなを守ろうとしてるのに!」
「彼らの主張によると老夫婦が襲われたのは先日殺されたステッピングマンの報復で、防衛隊の対処に問題があったということらしいです。このままそっとしておけばステッピングマンは何もしてこない、と……」
リコの怒りをセシルがなだめる。再びセシルの部屋に集まった面々は事の一部始終を聞いて残念な気持ちになっていた。
「そんなの……なんの確証もないじゃない」
「その通りです。霧羽さんとも会話しましたが、明日は人員を増やして団体を強制退去させて山に突入します」
「私たちは?」
「待機です」
それは質問したリコにとっても予想通りの答えであった。それでもその表情から不満の色は消えない。
「なんだか納得いかない。いつもの市民団体もそうだけど、守っている人たちに後ろから刺されてる気分……」
「それ僕も思う~。相手が殺そうとしてくるなら殺すしかないじゃん。頭が悪いのかな?」
あけすけに言うロジェに暁は思わず笑ってしまった。
「……彼らが頭がいいか悪いかは置いておくとして、たとえ何を言われようとも防衛隊としての立場でやるべきことはやらなければなりません」
「分かってるけど、それでもこんなことが続いたら守る気も失せちゃうわよ」
「機械のようになれとは言いませんが、ある程度割り切らないと心に毒ですよ」
「訂正させてください!」
セシルの言葉にそれまで黙って話を聞いていたエーコが突然手を挙げた。
「何でしょうか?」
「機械の私も不条理にイラつくことはあります!」
そのセリフに、今度はロジェが大笑いをはじめた。
「そ、そうですか」
「ふ、ふふふっ……」
それまで悲しげな顔をしていたリコも顔をほころばせる。さきほどの重たい空気はさっと消え去り、柔らかな雰囲気が広がっていく。
しかし、その雰囲気と実際の事態の深刻さには何の相関関係もない。翌日の朝のニュースはそのことを如実に伝えていた。
『駆除に抗議の家族、行方不明に』




