028.月の爆撃機
地球の地表から発射された物体は、ロケットのように常に加速していない限り、いずれ地面に戻ってくる。だが、加速しない物体でも宇宙に行くことのできる初期速度がある。それが脱出速度と呼ばれているものだ。地球から脱出するのであれば、その速度はだいたい秒速11km。
「だが、それは地球に重力がある場合の話。《インターステラー》で重力を無くせばカエルのジャンプでも宇宙に行ける」
「カエルのジャンプじゃ間に合わないでしょ」
「ああ。風景を楽しみたいならそれでもいいが、今回は宇宙への快速特急が必要だ」
暁は服を着ながらリコと会話していた。着ている服は宇宙服ではない。スキーウェアである。残念ながら今の人類の宇宙進出は遅々として進んでいない。横須賀にも宇宙関連の技術やノウハウは残っていないため、宇宙船や宇宙服を作ることもできない。だから代用品として選ばれたのがスキーウェアだった。もちろんこれで宇宙線やデブリなどを完全に防げるわけではない。基本は《インターステラー》で守りつつ、もしもの時の保険のようなものだった。
「だから地球の自転を利用する」
「自転?」
「そう。俺たちが今感じている重力は、地球の質量が生み出す引力と地球の自転が生み出す遠心力の合計なんだ。つまり地球の引力だけ消してやると」
「遠心力で地球の外に吹っ飛んでいくってわけね」
「その通り」
その時、セシルがエーコとともに部屋に入って来た。
「風早さん、エーコさんのブースターの修理は完了。燃料も満タン状態です」
「ありがとうセシルさん」
「っていうか。このロボ信用して大丈夫なの? 7人殺してるんだけど」
「ご安心ください! 公序良俗に反する命令を出せる管理者権限は神谷勝二様しか持っておりません! 指示命令が失敗して現在は雑用モードになっております!」
「それって命令が来たらまた殺人マシーンになるってことじゃぁ……」
懐疑的な表情のリコを暁はなだめるように持論を展開しはじめた。
「やはりこんな美人が殺人なんて好んでやるはずがない。君に命令が来たって俺が止めてみせるさ。そして2人は真実の愛に目覚めてゴールインというわけだ」
ゴーグルを装着して、暁はすっくと立ちあがった。
「だが、挙式をあげる地球がストレンジレットになってしまったら意味がない。やはり結婚というものは祝福するものと祝福されるものが必要だ」
「……あっそ」
暁たちは部屋から出て、寮の中庭に移動する。ロケットで宇宙に行くなら場所も必要だが、この方法ならご自宅の庭からでも宇宙旅行が楽しめます。
「風早さん。もしデュカリオンを説得できなかった場合は……」
「もし《アイス・ナイン》を撃たれたら《インターステラー》で軌道を地球の直撃コースから逸らす。その場合、うまく行ってもストレンジレットが地球の周りを回り続けることになるが……性質上ブラックホールでも作らない限り完全に消滅させることはムリだからな」
「……」
話の最中に防衛隊員が慌ててやって来る。その表情的に、どうやら吉報の類ではなさそうだ。
「大変です! 望遠鏡が月付近に影を確認。おそらくデュカリオンと思われます!」
「何!? まだ1日あるはずじゃ……」
「私が失敗したので予定が早まったのかもしれません!」
「冗談きついぜ。月付近って言うと」
「はい! 余裕で《アイス・ナイン》の射程距離に入ってます!」
「fuck!」
緊急度が跳ねあがり余裕のなくなった暁の口から、ついつい放送禁止用語が飛び出す。今すぐにでも宇宙に上がらなければ防御することはできないだろう。もはや議論している時間も無くなってしまった。
「エーコ。そろそろ宙の旅に向かおうか」
「はい!」
酸素ボンベを付け、暁は急いで自分とエーコをザイルで結んだ。そして、お互いに腕を腰に回す。
「よし。エーコ、宇宙に上がったらデュカリオンの射線上まで急いで移動してくれ」
「了解です!」
暁は精霊魔装を発現させる。自分とエーコにかかっている地球の引力を一時的に増やし、その後完全に打ち消す。スッと体が浮いていき、暁たちは空に向かって落ちていく。
セシルが小さくなっていく。防衛隊本部が小さくなっていく。横須賀コミューンの全景が見えてくる。雲が暁たちを見上げている。ついに地球の曲線が目に見える形で見えてきた。そして、空の色が青から黒へと。
凍てつくような寒さ。異常なほど大きく聞こえる自分の心音。視界の隅に、月が浮かんでいる。
「エーコ、聞こえるか?」
「はい! バッチリです」
宇宙に空気はないので声は伝わらない。骨伝導を利用してお互いの声を伝えていた。
「さっそく……」
暁がエーコのほうを振り向いた時、とんでもないものを見てしまった。それはエーコの腕にしがみついてぷかぷかと浮いている、リコの姿だった。当然、服はそのままで酸素ボンベをつけていなければザイルで体をつなげてもいない。おまけに暁は宇宙に出る際に減圧対策で《インターステラー》を使い体に圧力をかけていたが、リコにはそれもしていない。
「まずい! すぐ降りる!」
そう言った暁をリコは軽くチョップした。そして、サムズアップしてみせる。おそらく私は大丈夫だと言いたいのだろう。
「どうしますか? 今のところリコさんの体に異常は見られませんが!」
「とんでもないな」
正直なぜついて来たのか問い詰めたいが、空気を体に取り込めない状況ではしゃべることもできないだろう。リコの強さは知っていたが、まさか生身で宇宙空間に耐えるとは……彼女の強さを過小評価していたと言わざるを得ない。当の暁は正直すぐにでも地球に戻りたい気分だった。肌を刺す寒さはすでに痛さに変わり、しだいにそれも失われようとしている……宇宙はそれほど極限の環境だったのである。
気を取り直して暁はエーコにデュカリオンの射線上に入るように命令する。月には小さく黒い点が見えている。おそらくあれがデュカリオンだ。
だが、移動を開始したエーコはすぐにブースターを止めてしまった。
「エーコ、どうした?」
まさかこんなところで故障かと暁は青ざめたが、事態はそれよりもはるかにマズかった。
「おかしいです! デュカリオンの《アイス・ナイン》が地球に向いてません!」
「……地球に向いていない? じゃあどこに向いている?」
「あの方向は……太陽ですね!」
エーコの明るい口調と同時に、デュカリオンが青白く光った。そこから射出された光は、エーコの言葉通り太陽に向かって飛んでいく。
「……! 冗談きついぜ!」
ストレンジレットはすべての物体をストレンジレットに変換していく。それは水素とヘリウムの塊である太陽も例外ではない。もしこのまま太陽に直撃すれば太陽光は失われ、地球は極寒の世界が広がることだろう。
そうなれば、人類は終わりだ。




