002.新世界より
風早暁は大きな会議室の中央付近に置かれたパイプ椅子に座っていた。目の前には2人の人間が座って、暁をじっと見つめている。
1人は美少女。暁と同じくらいの歳だろう。眩い銀髪を肩まで伸ばしており、顔だちも整っているが、その表情はどこか冷たさを感じる。
1人は細身の男。50代くらいだろう。スーツでビシッと決めているが、頭の方は前線がかなり厳しめの様相だ。目つきはかなり鋭く、なんだか偉そうな雰囲気をまとっている。
2人は暁を挟んでテーブルの向かい側に座っていた。
「まずはお互いの情報交換をさせてください」
銀髪美少女の発した声が、まるで清涼剤のように重かった空間に染みわたっていく。暁は反射的に声の美しさを褒め称えようとしてしまったが、ぐっと我慢した。
「あなたが覚えていることを私たちに教えていただけますか?」
暁は気づいた時には知らない部屋の中にいた。巨乳の看護師に連れられて病院のような場所に行き簡単に検査を行った後、出された健康に大変よさそうな食事をとり、ひと眠りした後にこの場所に連れてこられたのだ。
暁はとりあえず、包み隠さず話すことに決めた。
自身の病気のこと、治療法を探してコールドスリープに入ったこと、目覚めてすぐに謎の虫に襲われたこと。
「確認したいのですが、あなたがコールドスリープに入ったのは西暦何年のことでしたか?」
「2029年……今は一体何年なんだ?」
暁の問いに、銀髪美少女はちらりと横の細身の男を見る。その目線に気づき、男は何も言わず頷いた。
「今は西暦2129年です」
「……」
100年。
言葉で言われても実感の湧かない長さだ。果たして彼女の言葉をそのまま鵜呑みにしても良いものだろうか? その判断に必要な情報を暁はまるで持っていない。
呆然としている暁に対して、彼女はさらに質問を加えた。
「あなたが襲われた虫というのはこの生き物ですね?」
差し出された写真には、自分を襲ってきたあの虫のような化け物が写っていた。
「そう! こいつだ。俺が寝てる間になにが起きたんだ? 宇宙人でも攻めてきたのか?」
「その通りです」
「……何?」
なんの抵抗もなく自分の発言が受け入れられたことに暁は言葉を失う。2人の表情を見る限り、冗談を言っているようでもなさそうだ。
「あなたがコールドスリープに入る前、2029年にはこの生き物はいましたか?」
「こんなのいるわけ……」
即答した後、暁の頭の中で「果たしてそう言い切れるのか?」と一瞬の思案が生じる。
当たり前だが、暁は自分の時代にいた生物のすべてを把握しているわけではない。彼はただの学生だったのだから。だが、理科の分野はそれなりに得意であると自認もしていた。
何しろ小学校のころ、クラスでただ1人理科のテストで100点を取ったこともあったのだ。……まあ、今はこのような過去話はどうでもいいだろう。
とにかく暁はこう考えた。そもそも虫には肺がないのであれほどの大きさになることはできない。だから、きっと自分のいた2029年でもあんな生き物はいなかったはずだ、と。
「そうですか……この時代の現状について説明する必要がありそうですね」
「そう! それを教えてくれ!」
「焦らないでください。まずはすべての元凶であるこの生物"魔甲虫"についてお話します」
部屋が暗くなり、2人の後ろにプロジェクターの画面が映し出される。それとほぼ同時に、1人の少女が部屋の中に入ってきたが、画面に集中していた暁はそれに気づかなかった。
「まず、今から100年前、2029年に宇宙からこの未知の生物……いずれ"魔甲虫"と呼ばれることになるこの生物が飛来しました」
「2029年!? 知らないぞそんなこと!」
もしそんなことが起こっていたら、大ニュースになっているのは間違いない。
「おそらく、あなたがコールドスリープに入った後に飛来したのだと思います。巨大な虫のような姿をしたこの生き物は視覚・聴覚・触覚・嗅覚が存在せず、食事・呼吸・睡眠・休憩を必要としない、想像を超えた生き物でした」
「そ……」
暁は「そんなバカな」と言いそうになるのをぐっと堪える。
「そして……厄介なことに人を襲います」
確かに、魔甲虫は暁の姿を見るなり、問答無用で襲ってきていた。様子を窺うようなこともなく、まるで条件反射として組み込まれているかのような早さだった。
「もちろんこれだけであれば大事ではないのですが……」
いや、十分大事だろ! と暁は説明を続ける銀髪美少女に心の中でツッコミを入れる。
「最悪だったのが、この生き物には人類の開発した兵器がまるで効かないという点です」
「……そんなバカな」
「かつて核兵器を使用して魔甲虫を殲滅する作戦を実行した記録が残っていますが、効果が無かったということです」
「……」
プロジェクターに見覚えのあるきのこ雲の写真が映し出される。核兵器が効かない生物? 核を受けても死なないのではなくまったくの無傷な生命体が存在するなど、暁の常識ではなかなか受け入れられるものではなかった。
「この魔甲虫の襲来に起因して、人類は99.9%の人口を失いました」
少女の言葉に、暁は思わず立ち上がった。突然立ち上がったからか、脳みそが情報を処理しきれていないからか、一瞬立ち眩みが襲う。人類の99.9%が死んだ。85億いた人類が、850万人に……神奈川県の人口よりも少なくなってしまったというのだ。あまりに現実離れした話に、熱に浮かされたような状態になっていた。暁は思わず、心のままに無意味な質問を少女に投げかける。
「母さんは一体どうなったんだ……?」
少女だけでなく、隣の男も驚いたように目を見開く。質問した暁ですら、その回答は自明だった。
「……わかりません。ただ、当時の災厄を生き延びていたとしても、もう寿命で亡くなっていると思います」
「は、はは、そりゃそうか。……そりゃ、そうだよな」
彼にとって、それはコールドスリープに入った時点で覚悟していたはずのことだった。100年経ったのだ。自分の知り合いなど1人として生きているはずがない。そう、さっきの質問は彼の目の前にいる2人にとっては、まったく無意味な質問だった。
だが、彼自身にとっては……自分の家族や知り合いが穏やかな死を迎えたのか、それとも恐怖と苦痛の中にそれがあったのかは、天と地ほども違うことだった。
「あなたを救助したあの施設から持ち出せる資料は回収しました。現在防衛隊でも過去の情報と照らし合わせているので、もしかすると何かわかるかもしれません」
防衛隊、というからにはやはり何かしら軍隊のようなものがあるようだ、と暁は理解した。
「わかった……」
そう呟くと、暁は力なく椅子に腰を下ろした。
「話を続けましょう。人類はほぼ絶滅寸前まで追い詰められました。しかし、しばらくするといくつかの希望が見えはじめました。その1つがフリークスです」
「フリークス?」
「実際に見ていただいた方がいいでしょう。リコさん」
2人の目線が動く。暁もそれに合わせて目線を動かすとそこには……
「あの時の……!」
そう、そこにいたのは魔甲虫から助けてくれた赤髪の少女だった。少女は得意げな表情をしながら暁に向けて手のひらを差し出す。そして突如としてその手のひらの上に炎が生まれた。
「!」
その炎に暁は見覚えがある。そう、魔甲虫を燃やした炎だ。しかし奇妙なことに、燃焼に必要なものはまったく見当たらないのにその炎は少女――リコ――の手のひらの上で燃え続けているし、リコが熱がる様子もない。
「フリークスはファンタジー作品に登場する魔法のような能力を持ち、この能力でのみ魔甲虫を排除できます」
「魔法って……」
「訝しむのもわかります。フリークスの能力については魔甲虫以上にわかっていないことが多いですから……」
目の前で起こっている以上、その存在を信じないわけには行かない。しかし、暁の頭はこの突拍子もない存在を前に、もっともらしい理由を探しはじめる。もちろん、すべて空回りに終わったが。
「フリークスが生まれるようになって、人類はやっと自分たちの生存圏を確保することができるようになりました。その生存圏の1つがここ、横須賀コミューンになります」
「横須賀!? ここは横須賀だったのか!」
「ええ。100年前の横須賀とは………大きく違うとは思いますけど」
この100年後の世界で、やっと出てきた聞きなれた地名に暁はそこはかとない安心感を覚えた。とはいえ、彼が横須賀に行ったことがあるのは幼いころに1回程度で、カレーを出す屋台がたくさんある楽しいところという程度の記憶しか残っていないのだが。
「先ほど言った通り、魔甲虫に対抗できるのはフリークスだけです。フリークスを確保することがコミューンの維持には絶対不可欠になります」
そこで少女の言葉は途切れた。目の前の2人とも、じっと暁の方を見つめている。
「ですから、あなたにはこのコミューンで魔甲虫と戦っていただきたいのです。フリークスの1人として」
「………何?」
少女の発言に暁の思考は追いつかなかった。フリークス? 誰が? 俺が?
「ちょっと待ってよ、こいつ男なんだけど」
暁が何か言う前に、リコがツッコミを入れてきた。男か女かがフリークスにどう関係あるのか暁には分からなかったが、他の人が疑問を呈したおかげで、少しだけ冷静になっていくのを感じる。
「確かに今まで男のフリークスの存在は確認できていませんが………これが先ほど撮ったあなたの胸部X線写真です」
プロジェクターの画面が切り替わる。いや、切り替わったのだろうか? そこにはほぼ全面真っ白で何も映っていないように見える。もしこれがX線写真であれば、写真写りが悪いにもほどがある。
「こいつは……どういう?」
「共通の特徴の1つですが、フリークスはX線以下の波長の電磁波を通しません」
もしこの話が本当なら、確かに暁はフリークスなのだろう。彼は過去にも胸部X線写真を撮ったことがあるが、ちゃんと肺やら骨やらがわかるようになっていた。しかし、理屈では受け入れられても、心のほうがそうは行かないものである。
「ちょっと待ってくれ。そんなこといきなり言われてもな。正直話の内容がいまいち信じられないし、言われたこと全部信じて『はい戦います』とはならないぞ」
「話が急すぎるのは理解しています。ただ………」
「我々には余裕がない。君の意思を尊重している余裕がな。それに逆らったところで君にメリットはないんじゃないか? 風早暁、15歳、身寄りもないこの時代でどうやって生きていくつもりだ?」
少女の言葉を遮って突然喋りはじめたのは細身の男だった。
「君は防衛隊に入る。これはお願いでも命令でもなく決定事項だ。セシル、あとの説明は任せた。私は四十六室に報告に行く」
「は、はい」
言うだけ言って、細身の男は部屋から出ていった。一方的な物言いに、すでに暁はこの男が嫌いになっていた。
「失礼しました。ああ言ってはいましたが、私たちもあなたがどんな能力を使えるかは分かっていません。もし戦闘に適さない能力であれば他の選択肢もあります」
銀髪の少女――セシル――が申し訳なさそうにフォローする。
「まずは魔甲虫との戦いのことは考えず、防衛隊の方に身を寄せてはいかがでしょうか。衣食住は保障されますので、悪い話ではないと思います」
「……ああ。分かったよ」
あの男の態度は腹に据えかねるが、正しいことも言っている。確かに、身寄りもない状況の暁が一から衣食住を確保するのは困難だろう。それに目の前の美少女をあまり困らせてしまうのも暁の信条に反する。
「では、ここでの生活についての諸々の説明はリコさんから受けてください」
「は? なんで私が? セシルがやればいいじゃない」
「その方が手間が省けるので。あなたと風早さんは同室に住むことになりますから」
セシルの言葉に、2人の時間は止まってしまった。そして、リコの表情はしだいに怒りを含み、逆に暁のそれは神妙さを増していく。
そして2人は同時にセシルに向かって口を開いた。
「なにそれ!? どういうことよ!」
「俺としては同棲はもっと親密になってからスタートさせたいんだが」
その後暁は、2人の美少女から「何言ってるんだこいつ」という視線を受けることになったのだった。




