018.ESCAPE
どうやら暁は黒い真四角の空間に閉じ込められているようだった。どこかに光源があるのか、2人の姿はしっかりと見て取れる。
「……これがセシルさんの能力か」
「私の《パニック・ルーム》は私が解除しない限り中に入れませんし、外にも出られません。大人しくこちらに来てください」
「なぜこんなことを?」
暁はズボンの中の支給携帯に手を伸ばす。
「ムダですよ。電波だって例外ではありませんから」
その言葉通り、携帯は「圏外」のマークになっていた。
「何か理由があるなら話してくれないか?」
「本当に私のことを想っているなら、何も言わずに抱いてください」
ここで、暁の頭の中にある仮説が浮かんだ。それはこれまでのセシルの様子や言動から推測したものであったが、その内容は彼にとって信じられないものであった。
「セシルさん……勘違いのないように聞いておきたいんだが……」
「なんですか?」
暁は、恐る恐るその仮説を口にした。
「もしかしてセシルさんは……俺のことがそんなに好きではない……?」
「……え?」
セシルは暁の言葉に固まってしまった。今、この状況でする質問がそれなのか、という驚愕。同時に明らかになるお互いの意識のずれ。暁にとって重要なのは2人が愛し合っているか否か、それだけだったのである。
「……人としても恋愛対象としても、特に好きでも嫌いでもありません」
この奇怪な状況でセシルが選択したのは正直に答えることであった。
「いや、やはりおかしい。セシルさんは実は俺が好きなことに自分でも気づいていないだけかもしれない」
「……はい?」
予想だにしない暁の返答に、セシルは思わず上ずった声をあげてしまった。
「俺のようなイイ男と2人きりで一週間も過ごしたら好きになるのは必定。リコも間違いなく俺に惚れているはず。よって帰納法によりセシルさんも惚れている」
「え!? い、一体何を言っているんですか風早さん? 帰納法になっていませんよ」
暁の支離滅裂な発言に思わずセシルはツッコミを入れた。そしてハッとする。セシルは自分が目の前の男にペースを乱されてしまっていることに気が付いた。自身の目的を思い出し、深呼吸をする。そして暁に告げた。
「先ほども言いました。私はあなたのことが好きでも嫌いでもありません。でも今はそんなことは関係ないんです。とにかく私を抱いてください。そうすれば《パニック・ルーム》は解除します」
「……」
暁は信じられないといった表情でセシルを見つめる。そして、無言で自らの精霊魔装を、《インターステラー》を発現させた。
「……やめた方がいいですよ。私を殺してもこの《パニック・ルーム》が解除される保証はありません」
「俺がセシルさんを殺す? まったくありえない仮定だ。こんなに心を通わせた相手を殺すだなんて。さて、どれだけ心を通わせているかというと、うっすらとセシルさんのやりたいことが見えてきた程度にだ」
暁は《インターステラー》を脇差し程度の刃渡りに変化させる。そして、それを……自らの股間に向けた。
「というわけで、俺のペニスには人質になってもらう!」
「え、ええ!?」
セシルの驚愕をよそに、暁は手にぐっと力を込め、刀の先端をズボンに当てた。
「一体何をしてるんですか!?」
「見たままさ。このままペニスを切り落とす! そうされたくなかったら《パニック・ルーム》を解除してくれ」
「そんなこと」
「息子よさらば。いや、娘かも」
「……!」
暁は刀にさらに力を込める。はた目から見ると頭のおかしい男が異常行動を起こしているだけに見えるが、暁にとっては実に論理的な行動であった。自分のことを好きでも嫌いでもないと言ったセシルが、抱いてほしいと強く主張している。どのような帰結でそうなったのかは不明だが、どうしても暁の子供が欲しいということに違いない。そうした推測に基づいた行動だった。
「……ハッタリですね」
「ある意味では俺にとってこの行動は実に正しいものになるだろう。ペニスを失っても男の魅力は1ミリも損なわれないことの証明ができるのだから」
暁は思いっきり勢いを付けて、刀を自分の股間に突き刺そうと……
「ま、待って! 待ってください!」
すんでのところで暁は自分の手を止めた。
「か、解除します。解除しますから……」
「解除するまで、刀はこのままだ。ついでに、どうしてこんなことをしたのか教えてくれると嬉しいな。後学のためにね」
「……わかりました」
根負けしたセシルは自ら作り出した《パニック・ルーム》を解除した。その瞬間。
ジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリッ!
けたたましく鳴り響く警報が2人の耳を貫いた。
「なんだ?」
「こ、これは、侵入者!?」
魔甲虫が出現した時の警報音とは明らかに違うそれは、防衛隊施設へ侵入者が出たときの警報であった。
「しまったっ!」
セシルは机の上に置きっぱなしにしていた携帯に駆け寄る。着信8件。そうしている間に再び携帯が震えだす。電話に出た時、最初に耳に入ってきたのは罵倒の言葉だった。
『セシル! 何をしていたっ!』
「ご、ごめんなさい!」
『侵入者の数と目的は不明だ。現在防衛隊と交戦中。お前は風早暁のそばから離れるな! 侵入者の目的はあの男に違いない』
「はい!」
通話を切るとセシルはすぐに暁に向き直る。
「風早さん。侵入者です。おそらくあなたを狙った……私から離れないでください」
「わかった」
その時、警報に混じって別の音が鳴っていることにセシルは気づいた。
「チャイム……!」
2人はドアに近づき、のぞき穴から外を窺う。そこに2人の防衛隊員がいた。2人ともセシルの知っている顔だ。セシルはすぐさまドアから離れ、部屋の中にあったインターホンのボタンを押した。
「侵入者はもうつかまりましたか?」
「いえ、まだです。安全のため風早さんをシェルターに移動させるように言われました」
「わかりました。着替えるので少し待っていてください」
「わかりました」
インターホンを切ったセシルは暁に耳打ちする。
「偽物です。逃げましょう」
「なんと」
「緊急事態に防衛隊員がやることはチャイムを押してのんきに待っていることではありません。後ろの窓を破ってフリークスの安全を確保することです」
セシルはバスタオルを巻いた姿のまま、ドアと反対側の窓を開けて脱出した。この警報で物音はドアの前まで聞こえはしないだろう。
「とりあえずリコと合流したほうがいいんじゃないか」
「……そうしたいところですが、今リコさんはここに居ません」
「え?」
「江ノ島コミューンでフリークスの病欠が出て、そのフォローに今日の昼から出ています。明日の昼まで帰りません」
「なるほどな」
もしかすると敵さんはそのことを知って急いで攻めてきたのかもしれない。暁はそう考えた。そして同時にこの状況も悪くないと考えていた。
月夜に男女が手をつないで逃避行。最高のシチュエーションじゃないか。とにかくこのお呼びでない事態はすぐに収まってもらわないと困る。セシルさんの真意を聞くために、そしてあの続きに進むために……!
と。




