115.瞳の中の迷宮
「があああああああああああぁっっっ!」
暁の左腕は二の腕を少し残して消し飛んだ。消えた腕の部分は皮も肉も骨も血も、すべて分解され残ってはいない。無くなった腕に送られるはずだった血が、ボタボタと甲板を染めていく。
「ふぅーーーーーーっ!」
血はすぐに止まった。傷口を重力で抑え込んだのだ。
「ふん。そのまま垂れ流していた方が楽じゃったかもしれんぞ」
「……見事だ」
「敵に塩を送りすぎじゃ。確かに電磁気力を消すだけでは重力で補われてしまう。だが、元々あった電磁気力の引力を斥力に変えちゃれば……弱い重力では抑えきれんじゃろう」
勝負あった。そう確信した真夜に連絡が入る。陸のほうも決着がついたのかと思いきや、耳に入って来たのは予想外の内容だった。
『真夜様! 上陸部隊、敵フリークスに侵攻を阻まれ撤退しました! こちらにも撤退命令が出ました!』
「は!? なんじゃとぉ!?」
『今から10秒後に回収するとのことです!』
「んな……」
完全に作戦成功だと思っていた真夜には寝耳に水である。上陸部隊には5人のフリークスを配備していたにもかかわらず、それでも撤退が決定した。いったい何が起こったのか、真夜には分からなかった。
真夜が頭の中を整理するよりも早く、撤退の時間が訪れた。自分を含めて全艦艇がノイズに包まれていく。
「くっ……覚えとけよ! 私は必ず帰ってくるけぇな!」
暁に捨て台詞を吐いて、真夜たちは消えた。
「……」
周りを見てみると他の艦艇もいなくなっている。本当に完全撤退をしたようだ。暁にはなぜ真夜が撤退したかはさっぱりと分からなかったが、きっとセシルたちが何かしたのだろうと結論付けた。暁自身も横須賀に戻ろうと踵を返したとき、忘れ物を1つ思い出す。
「おっと」
宙に浮かんだままの魔甲虫を一瞥すると、それは軋みをあげて圧壊した。
「任務完了」
暁をその場に留めるものは何1つなくなった。状況を把握すべく、最大戦速で横須賀へと戻っていく。しばらくして見えた横須賀の空が赤く染まっていることを確認し、心臓が早鐘のように打つ。それは、セシルたちの無事を確認するまで続いた。
「セシルさん!」
防衛隊本部の対策室の中に駆け込んだ暁は、セシルの姿を確認して安堵した。だが、暁の姿を確認したセシルは逆に蒼白になっていた。
「か、風早さん!? 腕がっ……!」
「腕? ……ああ、重力を使うのに集中して忘れてた。すぐ直す。それより状況を教えて欲しい。街のあちこちで煙が上がっていたが」
「あ、はい……」
心配して駆け寄ったセシルだったが、暁が思ったより大丈夫そうだったのですぐに元の調子に戻り話をはじめた。
「風早さんが対応に出た後、陸地側で敵の侵攻がはじまりました。おそらく海上のほうは陽動だったのだと思います。中にはフリークスもいて、防衛隊員にも犠牲が出ました」
「そうか……だが追い払ったんだろう? 真夜も連絡を受け取ってから慌てて撤退していったぞ」
「はい。四十六室の体調が回復したのでリコさんが対応しました」
「流石だな。リコは無事なのか? 今どこにいる?」
「リコさんは傷1つありません。今は自分の部屋に戻って待機してもらっています。また敵が出現するかもしれませんから……」
暁はロジェについても聞いたが、どうやら今回は完全待機で出番が無かったようだ。ロジェ自身は不満だったようだが、暁にとってはそちらの方が安心できる。
「……それで犠牲者は」
「民間人の犠牲者はありません。防衛隊員は現在確認できているだけで17名が戦死。83名が負傷しています」
「……」
暁はその報告に対して何を言えばよいのか分からなかった。
「それと……エーコさんも負傷、というより損傷しています」
「……なに!?」
予想外の名前が出て、暁はセシルに詰め寄る。
「なぜ? 今エーコはどこにいる?」
「落ち着いてください。彼女は今、風早さんの部屋で充電をしています」
「そうか……」
「リコさんが出撃できるようになるまでの間、戦力不足が否めなかったので私がお願いしました」
セシルは申し訳なさそうに目を伏せていた。もちろん、暁はそんなセシルの事を責めることはしない。ちなみにこれが霧羽の判断であったらボロクソにけなしていただろう。
「いいんだ。きっと被害がこの程度で済んでいるのもエーコが戦ってくれていたからだろう。エーコにはお礼にデートに誘うことにしよう」
「……そうですね」
「そうだ。こちらのことも話しておかないとな」
暁はやっと自分に起きたことをセシルと霧羽たちに話しはじめた。とくに、真夜との会話は詳細に。
「……今の時代に魔甲虫を知らない者がいるとは思えません」
「しかも日本国か、世間知らずもいい所だな。そいつらも地下に潜って暮らして来たんじゃないのか」
2人とも、暁からの情報をどう解釈していいものか悩んでいた。そこで暁は自分なりの結論を話すことに決めた。
「おそらく彼女たちはパラレルワールドから来たのだと思う」
「……パラレルワールド、ですか? あの、SF映画とかに出てくる?」
暁の突拍子もない発言に、セシルは懐疑的な表情をし、霧羽は鼻で笑った。
「あいつらは私たちとは別の世界から来ました、とでもいうつもりか? 15にもなって現実と妄想の区別もつかんらしいな」
「ははは、そのセリフ、現実がどんなものか知っている人間が言ってはじめて説得力を持つんだぞ。霧羽幕僚長殿」
空気が軋む音がする。はあ、とセシルはため息をついて脱線した話を元に戻す。
「風早さんは魔甲虫を知らなかったり、日本国がまだあると認識しているところから、別世界から来たのだと判断した、と?」
「ああその通り。ロジェちゃんには話したことがあるが、量子力学の解釈の1つとして『多世界解釈』というものがある」
暁はかつてロジェに話した内容をセシルたちにも説明した。
「とまあこんな感じでパラレルワールドが存在する可能性は量子力学的には否定できないんだ。ただ……」
「なんですか?」
「多世界解釈では、分岐した世界への干渉はできない。普通なら俎上にも載らない意見だが」
「フリークスの能力であればできるかもしれないと?」
「ああ。何しろフリークスは実現困難と言われていた過去へのタイムスリップだってやってのけるわけだしな」
とはいえ、暁の考えを証明することは現時点で不可能である。敵は消えたが、これですべてが終わったとは到底思えない。防衛隊は次なる敵の侵攻に備えて準備に奔走することになるだろう。
そう、これで終わりではない。
だが、「どう終わっていないか」については暁も、セシルもそのほかの防衛隊員たちも……さらには攻め込んできた真夜やその上層部ですら、正確に把握できてはいなかった。
それは、遠い遠い宇宙の彼方で、誰にも知られることなくはじまっていた。




